タイトルをつけよう! 五感を使った鑑賞③
「わかる/わからない」の視点で、アートに関わる話を、思いつくままつらつらと綴っています…。
「この作品は一体何?」と鑑賞していて頭の中に?マークが溢れだすと、タイトルを真っ先に確認しちゃいます。「あぁ、なるほど、アーティストはそういうものを表現したつもりなのか…」と、納得とまでいかなくても一応の安心感を得られます。ところが、結構多いのが《無題》というタイトルの作品。これって、どういうこと…??
アーティストの方に《無題》というタイトルをつけた理由をお聴きすることがあります。「特に何も浮かばなかったから…」とそっけなくお答えいただくこともありますが、「説明になってしまうと面白くないし」とか「先入観なく自由に見てもらいたいので」とかいったコメントを結構いただきます。なるほど、鑑賞者にお任せしたいのですね。
なので、《無題》というタイトルの作品に出会ったら、自分で勝手にタイトルをつけちゃいましょう。《なんじゃこりゃ》とか《ぐるぐる》とか、まずは自分の頭に浮かんでいることを言語化してみる。しっくりくる場合もあれば、もっと違う言葉を探したくなる…。タイトルを考えている時間が、作品と向き合う時間に自然となっていきます。
《内在するモノたちへ》
山田愛
瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸) 2019 <秋会期>
《無題》だからこそ、自由にタイトルつけて楽しもうという気にもなりますが、逆にタイトルがついていると、ちゃんと作家の意図をくみ取ろうと、やっきになってしまいがちですね。こうなると少し窮屈に感じてしまうことにもなりそうです。
昨年の今頃に満喫した瀬戸芸。高見島訪問の際に出会ったのがこの作品です。たまたま一緒に鑑賞していた、関西のおばちゃまお二人の会話が過激に素敵でした。
「なんや、難しいなぁ。ちっともわからんわぁ…」
「でも、これあんたに似とるよ、上から下にとっ散らかってるもん」
「いやいや、あんたこそやろ。いっつも上目づかいって感じやで」
「そうかぁ、でも穴があったら隠れたいってのは一緒やな」
こんな感じの爆笑トークを繰り広げながら、「わからん」作品を前にめっちゃ楽しまれていました。作者の意図を探るというのも、鑑賞の一つの楽しみ方ですが、解釈を全面的に「任された」感で、勝手きままに言いたい放題で言語化していくのもありだなぁと。ここまでくると、もはや鑑賞も五感フル動員の体力勝負と言う雰囲気ですね。