#5 進路決定までの記録 ②高校編Ⅰ 【高校時代の下書き③】

前回に引き続き高校時代の下書きより失礼します。
この回では高校入学時から進路決定までのことが記されていました。
今読み返してみると、高校生の私はこんなことを考えていたんだ、と懐かしいような少し面白いような、よくここまで長い文章を書いたなとも思います。何日間かけて書いたんだろう、ここまで書いていたなら公開したら良かったのに、、、、
高校生の私にもう少しだけお付き合いいただけると幸いです!


進路決定までの記録 ②高校編Ⅰ


こんにちは!

中学編に続き、今回は高校編になります。高校3年間は本当にいろいろありました、、。それらを振り返っていけたらいいなと思います♬

前回同様拙い文章にはなりますが目を通して頂けると幸いです。


高校入学時の希望進路

①スポーツマネジメントが勉強できる4年制大学
②筑波大学体育専門学群 
③鹿屋体育大学スポーツ総合課程


【高1】
 中学生の頃と変わらず
・Jリーグクラブのフロントスタッフになりたい
・スポーツマネジメント、、、。  
といった感じで高校生活がスタートしました。

私は島内で1番偏差値の高い学科に進学しました。
偏差値が高いといっても、所詮小さな南の島の中での比較です。本土の高校と比べてしまっては話にならないなぁといった感じだと思います。ですが、島内でも勉強のできる(勉強意欲のある)子ばかりが集まる学科だったので雰囲気や個々のモチベーションはとっても良かったです。
ほぼ全員が大学進学を目標にしている環境だったので、4年制大学に行きたいという私の気持ちも変化することはありませんでした。

中学校卒業と高校入学のタイミングでコロナの影響が全国的に拡大し、1年生の時は特に細かい制約を受けていたと思います。島外への渡航もままならなかったので、目立った進路活動(オープンキャンパス等)は出来ませんでした。いや、しませんでした。
今思うとやろうと思えばオンラインでのイベントに参加できたんだろうなあと思います。怠けていただけですね。

日々部活と学校生活の両立に悩まされる中でも、明らかになったことがいくつかありました。それは、
私そんなに勉強好きじゃなさそうだな、、。
圧倒的に理系苦手だな、
国立に行きたいなんて夢のまた夢。
ってことは筑波無理じゃない???
です。

そうです。高校に入ってしばらく経つと色々な現実が見えてきました。かっこつけると自己理解。かっこつけないなら諦めですね。
筑波大学体育専門学群は共通テストでとてつもない高得点を取ることだけでなく、二次ではプロすれすれの方々と実技試験を受けなければなりません。無理です。人生において「無理」という言葉をあまり使わないようにしている私ですが、ダメでした。
高1時点で筑波に行くという選択肢は消え去りました。

そうなってくると、残った選択肢は鹿屋しかありませんでした。このころはサッカーオタク度も増して、スポマネへの興味もかなり高まっていたので、体育系の大学に進む!という気持ちが強かった記憶があります。しかも、なぜか私立に行くという考えは一切ありませんでした。奨学金や各種制度など何も知らなかったので、家庭の金銭状況的に私立は難しいと考えていたんだと思います。

高1終了時希望進路→鹿屋体育大学スポーツ総合課程


【高2 鹿屋しか考えられない、、?】

 高1の途中から志望校が鹿屋体育大学一本になった私。
もともと、鹿屋について興味を持ったのは父の影響でした。
父は高校時代ほとんど勉強せず、浪人時代の努力で飛躍的に学力が上がって合格した。という話を小さい頃から聞いていたので、わたし今そこそこ普通に勉強してるし大丈夫だろ~なんて甘い考えで過ごしていた気がします。今思い返すと本当に恥ずかしいお話です。そんな簡単にいく話じゃありません。なんせ国立です、、。
同じ国立でも、筑波は無理で鹿屋は目指せると思った理由。それは、鹿屋は共通テストで課される科目数が少なかったからです。

 科目を絞れるのは有利だなあと、受験について無知すぎる高校2年生なりに考えていたんだと思います。
そんなこんなで特に何もしないまま、毎日部活に明け暮れて高2の1年間は過ぎていきました。

高2終了時希望進路→鹿屋体育大学スポーツ総合課程

【ちょっと寄り道 ~選手権の影響を受けすぎた私~】
 第100回全国高校サッカー選手権大会 廃人と化すほどドはまりしました。どうしても現地で見たかったため2回戦から準々決勝までは現地に行きました。授業の関係で準決勝以降は宮古島にいたのですが、スマホにかじりつくように見ていた記憶があります。
選手権についても後々投稿していこうと思います。

青森代表の青森山田と兵庫代表の滝川第二高校を贔屓に応援していたのですが、。まあ、当たり前のごとく卒業生の進路先が気になってきます。大学追っかけたいな~とかではなく、みんなどんなとこ行くんだろ?こんな感じです。

これが後々大事なポイントになってきます。
大事なポイントどころではなく、人生が変わったと言っても過言ではありません。


【怒涛の高3スタート】
 高3開始時希望進路→鹿屋体育大学スポーツ総合課程
高2~高3なりたての数か月は完全に鹿屋のことしか考えていませんでした。なんならこの時は浪人してでも鹿屋に行く気でした。
模試の結果としては、高3春くらいにⅭ判定まで上がったのでやる気満々だった時期もありました。、、。ありました。


 高2の秋に塾に入ってから、少しずつ受験について考えるようになりました。高3になってからは塾でも学校でも「受験生」として扱われるようになり、だんだんと自覚も芽生えてきます。とは言いながらがり勉にはなれませんでした。
 模試の結果や普段の学習進度から、これ鹿屋現役は厳しそうかもなあという思いがじわじわと広がってきます。塾長がなるべく現役合格派の方だったのもあり、鹿屋以外も考えてみるか。となったのが高3初夏です。
 鹿屋と筑波以外の大学をほとんど知らなかった私は、下記の方法で大学の選択肢を絞っていくことにしました。



〖サッカー部から大学を知る〗

 どこの大学に行くとしてもサッカー部でマネージャー・学生スタッフをしたい。と考えていた私は、サッカー部から各大学のことを調べることにしました。

〈優先順位・条件〉
①立地→関東 なるべく都会
 中学生に頃から関東で生活したいと思っていたので、関東は固定でした。そして、Jクラブでのインターンやアルバイトなど、都会にいた方がたくさんの経験を積むことができると考えていました。それは今でも一貫しています。超田舎の宮古島から出るのであれば、鹿屋以外なら都会!と決めていました。

②経営学部・商学部を目指すことが出来る(学力の面でも)
 中学生の頃からスポーツマネジメントを学びたいと思っていたので、シラバスに「スポーツマネジメント」「スポーツ経営学」「スポーツマーケティング」がある学部を探していきました。
この時、体育系の学部は選択肢から外して探しました。体育学の目線で学ぶスポマネと経営学の目線で学ぶスポマネとでは、大きく違いがあると考えたからです。
経営学部と少し似ているような気がしますが「経済学部」は考えていませんでした。社会の中のカネの動き方というより、組織づくりや会社のお金回りを学びたかったからです。

③関東リーグか県一部リーグ所属
 中学生のころから大学サッカーに憧れていたので、関東学連に興味がありました。学連業務を通してフロントスタッフに近づけるのではないかと考えているので、部内で学連の担当がいる関東リーグ所属のチームに入りたいと考えていました。将来Jクラブに自分を売り込む(就活?)の際、名の知られた大学の方がアピールになる。と考えていたところも正直あります。 

しかし、関東リーグ所属の24校では選択肢が狭まりすぎた(これまでの条件を満たす大学が少なかった)ので、4年間のうちに関東リーグに昇格する可能性が高い県1部リーグのチームも含めて考えることにしました。 
もともと神奈川に縁があるので、神奈川県1部リーグを重点的に探していました。

とんでもなく長ったらしくなってしまいましたがまとめると
①立地→関東 なるべく都会
②経営学部・商学部を目指すことが出来る
③関東リーグか県一部リーグ所属  になります。
この条件を基に大学を調べ尽くして残ったのが以下の4校になります。

産業能率大学 商学部
関東学院大学 経営学部
神奈川大学 経営学部

夢のまた夢だけど今でも行きたい 中央大学 商学部 。

関東の大学を目指すならこの4校だな。というところまで、高3夏前に絞ることが出来ました。関東大学サッカー、かなり詳しくなったと思います。

ここからさらに調べ上げて、高3の夏休みに関東学院・神大・中央の参考のオープンキャンパスに行くことにしました。

オープンキャンパスから受験までは次の回に記録しようと思います。
長くなってしまいましたがここまで目を通してくださった優しい方がいるならば本当にありがとうございます!

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