とあるバンギャの備忘録⑦ピエラーとして生きた日々とソロ活動
高校に入学した私は、同じクラスに3人ほどピエラーの友達ができました。
高校時代は特殊なコースで13人しかクラスメイトがいなかったので、すごい確率です。
アイシャー、コーター、タカー一人ずつ。
(潤くんはみんなのもの)
そこでコスプレを始めたり、人によってはロリータを始めたり、サイバーファッションを楽しんだり(フェトウス!)バンギャとして最高に楽しい時間を過ごしました。
私も中学時代よりは精神が安定して(腕にキリトの名前いつも書いてたけど🤣)バイトを始めたことでライブも行けるように!
THE FINAL DESPAIRをはじめ
日本武道館には沢山お邪魔させてもらいました。
これだったかな???「アンコールが揃ってない」とキリトに怒られたライブは……。それまでも声を枯らしてアンコールしてましたが、もっと全力を出そうと決めた瞬間でした。(水分を忘れてしまい「いけるかぁ!」って言われたとき全然いけなかったの思い出す)
それからのID ATTACKのツアーは、本気でアンコールをするたびに出てきてくれたんですよね。
約束を守ってくれるキリトさんに対して、素直に嬉しくて格好良いと思った。
さて、日々楽しく健康的にキリターとして生きてきた私ですが、非常に衝撃を受けたDVDがあります。
それはID ATTACKツアーのDVDに収録されていた、キリトの楽屋破壊&飛び蹴り。
思考回路や偽装音楽業界で読んだ通り、キリトさんはとてもプロ意識が高く責任感が強いひと。命をかけてバンドをやってくれるのは理解していたつもりでした。
でもね!
あの楽屋破壊はね!
10代には刺激が強かった!!!!
今だからこそネタにできるし(切人一家のグッズにもありましたよね)それだけ真剣にやってくれてると思うけど…。
普段私たちが行っているライブの裏側ではあんな状態になっていたのか……と、衝撃でした。嫌悪感とかじやなくて、ただひたすら衝撃。しばらくぼんやりしてしまいました。
キリトが怒ってる時何も言わないメンバーたちの様子に少しだけ違和感を覚えながら。
あれは本当に衝撃的でしたわ…今見たらどんな感想になるんだろう??
順調に、楽しくピエラーとして生きた日々。
そこに不穏な影が迫ってきました。
それは、「ソロ活動」
今となってはソロ活動に対して悲しい思いはありませんが(それも全てDIRのおかげです)、「Raphaelは、ソロ活動を始めた後に華月さんが亡くなってしまった」というイメージが強すぎた。
(華月さんの件はソロ活動が影響しているという意味合いではありません。ただ単にタイミングの問題です)
だからキリトのソロ活動か発表された時は、胃の中に黒い鉛が落ちたかのような、なんともどんよりした気持ちなってしまいました。
友人に「なんでそんなに嫌なの?」と不思議がられた時自分でも何故なのか理解していなかったのですが……上記のようにとにかく「ソロ活動=嫌なことが起こる」というイメージが強すぎたんだと思います。
悩みつつも、キリトのライブには行っていました。
そこで披露される「DOOR」や「Hameln」の歌詞は、もうキリトがPIERROTに戻ってこないのかとも思ってしまうようなもので。(帰る場所なんていらない、とか)
今考えたらこの時点で解散まで一年もないわけで。水面下ではいろいろな話し合いがおこなれていたのだと思います。
その年の冬。私は高校三年生になっていました。名古屋への進学が決まり、3年間の集大成ともいえるイベントのお稽古に明け暮れていた時。
年末に、THE EVENING OF UNDERMININGの地方公演にいきました。久々のPIERROT。久々のPIERROTのキリト。やっぱりPIERROTが好きだ!と実感するようなライブ。
一人暮らしを始めたらもっと沢山追いかけよう。無邪気にそう思っていました。
けれどこのライブが私にとって、PIERROT解散前最後のライブとなりました。
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