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とあるバンギャの備忘録④夢より素敵なRaphaelとの出会いと別れ

前回までのあらすじ:DIR EN GREYとPIERROTに出会ったワタクシ

その次の年、はやくもまたライブに行く機会が訪れました。これもまた姉が調べてきてくれたんです…姉は行動力のある人だなぁ。

そこで行ったライブは

SHOCK WAVE CIRCUIT '99 春の嵐

これ、一年前はディルとピエロのツーマンだったんですよね。それを知った時は「くそぉ!一年前だったら!」と思いましたさ。

これ、私が行った会場では出演されていなかったのですが、ジャンヌやプラ、マシンガンズなんかも出演されてたんですよね。すごいー豪華だなー。

地方公演へ行ったのですが、そこで初めてレイヤーさんやロリータファッションと出会い、憧れるようになりました。Break outはそんなにV系!って感じではなかったんです(地方公演だったし余計かな)

「ガキがこんなとこ来るなよ」とか通りすがりに分かりやすく言われたり(当時小5だもんね…)色々洗礼を受けたのも今振り返ったら良い思い出です(笑)

でも!Da:vida使徒:aL(なつかしーー!!)のコスプレをされていた方と写真を撮らせてもらえたのは嬉し楽しかったなー!そこで「ファンの方との交流」もライブの楽しさの一つなのだと知るわけです。あんなガキンチョと当時お話ししてくださった方、ありがとうしかないです。もう会うことはないけれど、お元気かなぁ…

さて、このイベントの目的はただ一つ。姉や姉の友人も同様でした。私はただおまけでついていかせてもらっただけ。

キリトと京くんに夢中でありつつ、まるでスポンジのような吸収力を持っていたこの時代は、知るバンド知るバンド全てが新鮮で、次々色々なバンドを知っていきました。

Raphaelとの出会い

今回はBreakoutと異なり、ライブ見るならちゃんと調べていこう!と発売されたばかりの「sick〜XXX患者のカルテ〜」や「LILAC」なんかを聞き込み、予習はバッチリ!(懐かしくて涙出る)

初めてのライブは…………もう、すごかったという記憶しかございません。

ライブハウスは初めてだし、後ろにいたから押しに巻き込まれることはなかったけどとにかく「怖!」って感じでしたし、メンバーも全然見えなかったし…正直ライブ内容がどうこうの記憶は、BreakOutと比べて全くと言っていいほど覚えていません…下手にいたのでYUKITOくんをずっと見ていて「かっこいいなぁ」と思っていたくらい……

だからこそ、もう一回行きたいと思ったのかもしれない。(知らんけど)

そしてその機会は割とすぐに訪れました。1999年「天使降臨」ツアー。このライブも今振り返っても「楽しかった!」という記憶しかないけれど(笑)とにかく、楽しかったんですよね。前回の「怖!」よりは全然いいですね。

そしてRaphaelで、「ライブで暴れる」という行為を覚えたのでした。

Raphaelの魅力

なんといっても、歌詞です。

V系に対して否定はしないけど興味もなかった両親も、Raphaelのライブだけは一緒に行っていました。皆口々にこう言っていました「歌詞が良いよね」。

華月さんの書く歌詞は繊細で、美しくて、自分にも身に覚えのある感情ばかり。今振り返ると、当時10代であのような活躍をしていたRaphaelは本当に凄いバンドだったと思います。いやー…10代ですよ?自分が10代の時はただのバンギャでしたよ。

私が特に好きだった曲は「夢より素敵な」。

ライブで聴くといつもワクワクして、楽しくなって、Raphaelがファンを大事に思ってくれていることが伝わってくるんです。

今見てもとても心に響く歌詞ですね。

私はRaphaelに「こうして同じ時代に出会えたことは奇跡なんだよ」ということを教えてもらいました。

あと、「弱い自分でもいいんだよ」。Raphaelからそう言ってもらえているような気がしました。くよくよ悩みやすく、心配性で怖がりな私は、その優しい言葉にいつも救われていて、Raphaelの歌詞が心の支えになっていました。

今考えたら、Raphaelのライブにこうして行けていたことは奇跡的なことでした。振り返ってみたら、私がRaphaelを応援していた期間って僅か一年半の出来事なんです。多分ライブに行った回数も4回くらいだったと記憶しています。

自分で振り返って驚きました。もっと、長い期間応援していたと思っていて。それ位濃密で私の人格形成に多大なる影響を与えた出会いでした。

ファンの人とも文通などで交流を深め(時代ですねぇ!!!)天使についてもやたら詳しくなり(今も天使オタクです)、はじめてファンクラブというものに入り(聖天使学園天々団!)いつの間にか私も中学生になり(多分…)ライブハウスで背が小さいのは不利だから背を伸ばそうと必死に牛乳を飲み、はやく大人になって沢山ライブに行きたいとよく泣いて(笑)なんだかすごく、バンギャとして色んな経験をしたなぁと…。

KERAを読むようになって本格的にロリータに憧れを抱いたのもこの頃だったなぁ!Raphaelのファンの方はロリータの方が多かった記憶。もちろん到底手が出せるような金額ではなかったので、ひらひらした洋服を選ぶ…くらいしか出来ませんでしたが。

これからもずっとRaphaelを応援したい。はやく大人になりたい。19歳の華月さんが「大人になんかなりたくない」と言っていた時に必死に「大人になりたい」と思っていたわけですね。なんだか皮肉だ。

ただ、その希望は予想もしていなかった形で絶たれることになります。

「心の中は変わらぬ素敵な大人になること」

2000年10月31日。

華月さんが、亡くなりました。19歳でした。

このことは今思い出しても辛いです。あまりに、早過ぎました。

私は友人経由で先に知り、華月さんファンの姉になんて伝えたら良いのだろうと一人部屋で泣いていました。

しばらくすると、リビングから姉の泣き声が聞こえてきました。そして私の所に来て「華月くんが死んじゃった」と言いました。私は何も言えませんでした。姉から言わせてしまったことへの罪悪感も相まって、その夜はずっと泣きました。

勿論自分自身も辛かったのですが、華月さんのことが大好きな姉がどうなってしまうのか、それがとにかく心配だったような気がします。一番近くで見ていたので、心配で、辛くて、何も出来なくて。

お別れ会へ行って、華月さんが大好きだった桜をお渡しして、

華月さんがいないライブ「新世紀を駆け抜けろ!」を見て、

Raphaelが活動休止になって。

茫然自失だった姉はそれ以降から今まで、誰かのファンになることはありませんでした。本当に華月さんのことが好きだったんだと思います。「バンドマンになっていなかったら服飾関係の仕事をしたかった」という彼の言葉を受けて、彼女はその後スタイリストになりました。身内ながら凄過ぎです。かっこよすぎです。彼女の心の中には今も華月さんが生きているのだと信じています。彼女にとってはRaphaelこそが運命のバンドだったんだな、と。

そして私自身は、ぼんやりしたまま生きていました。心にぽっかり穴が空いたというのは、まさにこのこと。心の支えを失ってしまいました。Raphaelを聞きたいけれど、聞いてしまうと辛くなってしまう。

これまで記した通り、私が何かを好きになるキッカケにはいつも姉がいました。けれどその姉はもう、他のバンドに想いを寄せることはなくなりました。

Raphaelを本格的に追いかけるようになってから他のバンドは追えなくなっていたのですが、(PIERROTはFINALE、Dirは脈まで買っていたようです)ふと違うバンドの曲を聞いてみようと思い立ってCD棚から一枚のCDを取り出しました。

手に取ったCDは、PIERROTの「セルロイド」でした。

次回は、PIERROTとの再会について書きます。




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