場は自分で創るもの オンラインとは

引き続きオンライン講義とは何かの話です。前回は、全てのUXがユーザー側に移行するのがオンラインであるという話をしました。
 今回は、全ての体験価値が受講側にあるとはどういうことなのかをお話ししたいと思います。ここを押さえておかないとオンライン講義もリモートワークもできないからです。

 映画館を各々の自宅に再現するのは無理だし無駄。全てのUXがユーザー側に移行すると言うことは、オフラインと同等でありたいならば映画館を自宅に構築すると言うことです。映画館同様だとご自身で大スクリーンと音響設備を準備してポップコーンは自分で作らないとなりません。こういうことです。

 ちなみにDTSがでた遙か昔に自宅のDVD映像関連を5.1chにしたときは感動的でした。はたしてDTSのDVDを制作したとしてもそれをどのような体験価値にするのかはすべてユーザー側にあるのです。DVDはPCでも観ることができるので。

研修会社ですら

 伝統的な対面研修を行っていた会社の中には、オンラインとオフラインの違いが分かっているところがほぼ皆無と言っていいと思われます。よって、オンラインツールで対面研修と同じスタイルとコンテンツを行っている。

 それならまだましな方で、ひどい場合は半分が研修室にいて半分がオンラインでお願いしますという発注が頻繁にきます。それぞれのUIが異なるという事が場は創るものという思考がないために気づかないようです。

消費者マインドの、オンラインは○○できない論

 そうすると、「オンラインでは○○はできない」は、単に消費者マインド社会に凋落した人々の思考だといえます。消費者マインド社会とは、誰かがしてくれるという意識の人が集合し、場は誰かが創ってくれるものでそこに行きさえすれば自分は何もしなくても誰かが何かをしてくれる。不足すればそんなものの消費を辞めると言えばいいだけというもの。

 残念なことにオンライン上には居酒屋も会社も学校も存在しません。誰かが設計して設置しないとならないのです。会社という自分以外が設定した場、居酒屋という自分以外が設定した場、学校という自分以外が設立した場に参加することでしかない消費者マインドだとオンラインは不便以外の何ものでもないでしょう。よく考えてみれば、居酒屋の宴会も幹事や進行役がいないと場が盛り上がらない=自ら主体的に場を設計したことがないか、積極的に場の構築に協力したことがないと、単にオンラインはだめだから元に戻そうとしか言えないのです。そうしたら誰から何かを忖度も含めてしてくれますから。

体育会系価値観はオンラインにはない

 おそらく前回紹介の小金井小学校の動画からもオンラインで重要なのはサイドバイサイドの関係性だとお気づきだと思います。疫病禍前から既にテール組織概念が流行しはじめていました。そうすると体育会系の組織(Red)ではなくなってきたことはお気づきだったと思います。しかるに・・・

社員が一つのフロアに集まって仕事をするのが当たり前だったときには、チームの和を乱さないとか、同僚と仲が良いとか、真面目にパソコンに向かっている……というようなアウトプット以外の“模範的な立ち居振る舞い”を部下に求め、その部分を重視した評価を下す上司もいました。

「▼その場にいないと力が出ない!「ゼロディスタンスおじさん」――いいから会って話そう。顔見て話さなきゃ伝わんねぇだろ?」「▼相手の時間に介入してくる「TELワークおじさん」――今、いいかな? さっきメール送ったんだけど確認してくれた?」「▼周りに忖度させて責任を取らない「言語化自粛おじさん」――ま、要するにアレがソレだから、もろもろいい感じにヨロシク」

中原淳先生は、

リモートワークは「管理職の平時のマネジメントの手抜き」を「白日のもとに晒した」だけ
 リモートワークは「管理職の平時のリーダーシップスキルのしょぼさ」を「白日のもとに晒した」だけ

 のようにも思えるのです。
  
 つまり・・・
  
 対面状況下であれば、たとえ管理職のマネジメントスキルやリーダーシップが「イケ」てなくても、職場のメンバーが「あうんの呼吸」と「空気を読んで」、何とかかんとかフォローやカバーをしながら、成果をだしていたものが、それがリモートワークによって不可能になってしまった。

 このように、全てのUXがユーザー側に移行するということを理解できない残念な人々がいるというのは本当に残念です。「顔見て話さなきゃ伝わんねぇだろう?」は元々伝わっていなかったのですが、この話は運営面ではかなり重要な話なので次回にでも。

講義中に私語が許された大学はあるのですか?

 オンラインはオフラインに劣るという理由にとあるサイトに「オンライン授業では、学生はマイクをミュートにした状態でなので、出席している生徒同士で会話する機会がありません。」という書き込みがあり驚きました。私の常識では講義中の学生間の私語は厳禁で対面講義では注意をされるか激しい場合には教室からの退場を命じられるはずです。このような思い込み=何がなんでもオンラインは気にくわないは何故発生するのでしょうか。

精神科医が薦める就業時間中のノンアルコールビール

 代替ではなく独特の特製と考えられるのか否か。2020.7.29のCanCanに「なんで?精神科医が「ノンアルコールビールを仕事中に飲むといい」と語る理由」という記事がUpされました。そこには、「Q.なぜ「ノンアルコールビール」は「ノンアルコール」だとわかっているのに、仕事中や日中に飲むことに抵抗があるのでしょうか?」「A.「あくまで、アルコールの一種」という認識が外れていないからです。」「「ノンアルコール」とついていても「あくまでアルコールの亜種だ」という認識が頭から離れないからこそ、抵抗が生まれています。」と。

 この就業時間中のノンアルコールビール問題は昔から有名です。この「亜種」「代替」という思い込みから脱却できないと、不満しかない。
 そうすると、DVDなんかで映画を楽しめるか(怒)という方は映画館に行くしかない。これが、出社でないと対面でないと登校でないとなのです。事実種々のオンライン講義における不満表明には共起語として「代替」があがる。この代替という思い込みから抜け出せるか否かが鍵です。

もう戻れないOMO=オンラインならではの良さ

 仮に対面講義に戻ったとしても90分間板書やパワポで話し続けている、これは方法論ではなく一方的伝達の講義は成立していないと私は思います。何故ならば、オンライン講義の良さとして以下の要素ががあります。

「通学時間がなくなったこと」「眠い時間に無理して授業を受ける必要がない」「好きな速さで、何度でも聞けること」「オンデマンドでは自分の好きな時間に授業を聞ける。自分の予定に合わせて、一番集中できる時間に視聴できるのは、私にとって大きな魅力だ。」

 このオンラインの良さは対面講義に戻したときに特に厳しく問われると思います。「この講義が通学時間をかける価値があるのか?」「眠い時間に受ける必要性があるのか?」「2倍速で聞けばいいのに倍の時間をかける価値は?」これこそが、オンライン様式が現実社会を書き換えると言えます。

OMOの背景にある科学の知見 

 対面講義でないと講義ができない問題の背景には深刻な問題が隠れています。そもそも、学生の反応を見ないと講義ができないのは、対面でも講義が成立していないのです。授業設計と学習契約ができていない。もし対面講義でないと講義ができないのであればスタディサプリから有名予備校のオンライン講義そしてYoutuber講師どころか、MIT OpenCourseWareやCourseraは成立していないはずです。
 この原因は、明確な指示を出せない講師にあります(このことは次回以降にUPします)。それどころか、この手の意見聞いて腰が抜けるほどに驚いたのは、講師としてやってはいけないことを今までは平然とやっていたのですか?と問いたくなります。受講者としっかりとアイコンタクトをとるとかしていたのか?反応を見て話を変えていたのか?等々。それ以前に本筋の議論ではないので詳細は省略しますが、興味のある方は「教師期待効果」「ローゼンタール効果」「ゴーレム効果」等々で検索してください。そんな問題が多い講義スタイル⁉️

学習には休息が必要

 1990年から知的産業社会になっています。動画配信を10分程度で切るのも学習に関する各理論からです。さらにこの背後には、脳科学による研究成果から
「60分連続学習と比べると、学習時間を細かく分けた休息をとった45分の学習効果は同じ」
という研究成果に基づくからです。これが、知的産業社会の基礎だからです。それだけ、どのタイミングでどれだけ休憩をとるのかが大事なのです。この知見を取り入れた対面講義は今までとは様変わりしていると思います。

オンラインで大事なことは何か

 それは、場の構築です。オンライン講義では受講者間の私語は自由です。アプリをもう一つ立ち上げて友人と会話をしながら講義を聴くことは可能で、同時受講の他人に一切迷惑をかけることなく実行できます。事実、私の体験では、京都大学公開講座の哲学講義配信の最中に卒業生のグループSNSに講義内容の感想や意見を自発的に書き込んだのを切掛に講義に関する意見や感想などで盛り上がりこういう受講スタイルがあったのかと発見しました。また、「もったいないキッチン」という映画の試写会では主催者が「チャットで感想や意見を書き込んでいきましょう」という呼びかけで一体感のある、かつ、自分にはない視点からの指摘など映画館でみているよりも深い学びがあるものになりました。
 既にオンライン化した(せざるを得なくて巻き込まれた)大学生間ではSNSなどのツールを利用して場の構築が行われています。

 例えば、マイクロソフト社では「私たちのグループでは、グループランチから「パジャマデー」、「ペットに会う」などのテーマのあるハッピーアワーまでさまざまでした。全体として、ソーシャルミーティングは1か月で10%増加しました。」と自分たちで場の構築を行っています。

オンライン 相互作用図

 相互作用構築のためのツールはそれ相応に一般的に無料で入手可能となっていますから。

 オンライン上で疫病禍になってから新たにできた関係はこのような場によりできました。お仕事関係の話が私も入ってきましたし、その場にいるある人は対面で会ったことがないけどエンジェル投資家3名から出資を受けたという話もでています。いくつかの場の中で地理的に一番広域なのはワルシャワ/ニューヨーク/ノース・カロライナ/サンフランシスコ/バンクーバー/日本/シンガポールからの参加者が定期的に集いJST8時ないし9時から私は長くても16時前には抜けていますが残るメンバーはまだ雑談会が和気藹々と続いている。

 あるいはCICのVenture Cafeは、JST16時~翌日11時まで世界中のコミュニティを繋いだ場を構築する等々さまざまな場が提供されて、一からの人間関係から仕事の依頼にまでつながることが既に行われています。

中高の現場では

 幾人かの中高の先生から話を伺うと、上図のような関係=小金井小学校の動画でいうFace to FaceからSide by Sideの関係になってそれをSNSなどで繋いだ結果、個々の学習到達度合いが把握しやすくなり、かつ、質問が個別でできやすくなったので個別指導型に変化した。また、悩み相談などがしやすくなったのか人間関係の把握と対処もできやすくなった。かつ、物理的対面的虐めが不可能となったので表面上体験しなくてよくなり(Line虐めも外された事すら分かりにくい)精神的に落ち着いてきている等々があり、メリット・デメリットを考えて対面講義に戻さない方がいいのではという学校も出始めているのも事実です。 

オンラインの場を構築する要とは

 上記のような場はなぜちゃんと機能しているのか。それは、運営者が最も大事にしていることがありそれが実現化しているからです。

 中原淳先生が「リモートワークの成功を導く、たったひとつの「貴重な資源」とは何か!?」でご指摘の通り、それは相互信頼です。


 この観点からすると、前回のリモート監視パワハラ上司問題が弁護士ドットコムで取り上げられるのも納得がいくものです。上記の例もそうですが、監視をすると言うことは上司=会社側から「そもそも信頼していない」というメッセージを送っているのです。こういう会社はこの疫病禍を期に衰退していくでしょう。主因は組織の基底である相互信頼の崩壊により。

 大学では例えば前回学生さん作成の素晴らしい動画を紹介した明治大学だと、「【リアルタイム配信型(同時双方向型)におけるマナー・エチケット】として、・自分のビデオはオフにする。・映り込む背景に注意する(必要であればバーチャル背景を利用する)。」としています。

 一般的な記事でも「学生に対してカメラで顔を映すように求める先生もいるが、私が履修している中ではそのような授業はひとつしかない。それ以外の授業では、私はカメラをオフにして参加している。」というのが常識です。

 一方企業にお勤めの方のとある夜の19:30頃からスタートするオンライン会合ではビデオオンにすることを要求する。そうすると、ブレイクアウトセッションになると人が急に減る。平日の夕方食事する家族や子どもは在宅ではないの?なんでこんなことを?と思っていましたら、ある日主催者がバーチャル背景外して分かりました。今日は高級ホテルから?と思いきやご自宅でした。個室からやっていれば人の事情に気づかない。しかもグリーンバックを必要としない高性能PCで。なんか、新たな格差の始まりか?を予感させます。

 このことは、前回の小金井小学校の動画で朝礼をやめた事例と比較して、どちらが参加者の心理的安全性を高めているのか。そこの体験価値設計ができるのか否かでしかないのです。

 以前社会人の型をお招きした学生イベントではそのイベント用に統一したバーチャル背景を使っていたのですが、社会人の方から「会社だとそんなことは許されないわよ。仕事なのだから」とご教授いただいた方がおられて学生さんからは「どこの会社?」と就活参考データになっておりました。

駄目なことを疫病禍のせいにしない

 大空小学校の木村泰子先生は、「もともとできていなかった事を疫病禍のせいにしない」とおっしゃっています。「突然休校になって学びが止まる。それは、平素から学び方を教えていなかったから」と。

 無論、驚くような教員がいるのも事実で、「オンライン講義の最後にオンライン試験をやってプリントするように命じたら「コンビニに走って行くので待ってもらえますか」という学生がいた。学生はプリンタもないのか(怒)。」という方も。。。PDF?・・・***Drive・・・仮に手書きでも写真を電送…

 オンライン講義設計の要は、全ての体験価値が受講側にあることを前提として、どのように学びの場を構築するのかにあるのです。

1年生にはきついかもしれない

 とはいうものの、大学生の意見を聞くと「1年生はきついかも」と。つまり自分で場を(例えば、オンライン学食ランチを一緒に)構築してもそれを同級生に拡散させる事が困難。2年以上だと何らかのつながりをたどって行けばなんとかなるかもと。確かにこの部分に手を貸す機能提供は学校側にありそうです。後は教育設計の問題でどこまでを自主性に委ねるかかな。

 最後までお読みいただきありがとうございます。無論私は文系なので実習や工場勤務を前提に書いているわけではございませんので念のため。

 次回は、この場の運営での要を話したいかと思います。


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