日本企業衰退の原因は株主資本主義
「百年兵を養うは、ただ平和を護るためである」 山本五十六元帥
雪残る 長岡市山本五十六記念館前にて
山本五十六元帥がおっしゃったとおり、目的と手段をはき違えたところから敗戦が始まる。
今回は株主主権論について皆さんと考えたいと思います。こういうご時世なので皆さんと情報共有ができるように可能な限りネット上で読める記事を中心に。
目的と手段を誤った論理
私の記憶が確かならば・・・まだ、三年ほど前のことだったと思います。とあるベンチャー界隈のパーティで名刺交換をした相手の方が話の流れから急にムキにになって「会社は株主のものだろう(怒)」と語気強く執拗に繰り返したので「そんなバカはいない」とだけ何度も繰り返して退けました。その方の名刺には、某地方の大学で起業論の非常勤講師の肩書きも書かれていた。
後述するとおり商法(会社法)の大家上村達男先生がベンチャー企業にもっとも不適合な制度が株主主権論であると少なくとも2015年には入手容易な週刊メディアで明らかにしているのにいまだにこんな人がいるのかと驚いたものです。さらに上村達男先生は「株主価値最大化論とは要は・・・アメリカでのこうした主張も高々30 数年の歴史しか有しておらず、・・・経済学に過度に理解のある法律家と、法律学に過度に理解のない経済学者の共同作業であったと言える。 」と喝破されています(詳細後述)。
とっても不思議だったのは「社畜は糞だ、雇われるより自立した起業家がいい」「学生で起業するべきだ。好きなことを自由にできる」だから私の起業論では学生起業を推進しておりその中で正しい経営判断ができるように株主主権論をしっかりと教えていると。その挙げ句が「会社は株主のものである」。なぜ株を買っただけの人に自発的隷属したいのか全くの謎でした。
ちょっとこの話には後日談があって、自主ゼミでこの話をしたらその大学のある都道府県出身者の学生が「だから(怒)都会で相手にされないいい加減なのが地方に流れてきて余計に地方を駄目にしている。だから私は東京に学びに来た」と怒りだしました。うかつにも当該地域出身者がいることを失念していたのです(猛反省)。
大学院生の頃うっかり質問したのが
この株主主権論、大学院生の頃に流行り始めました。その頃に偶然ばったり出合った加護野先生に「最近よく耳にするのですけど株主主権論ってどう思います」と雑談程度に聞いてしまった(はっきり言って魔がさした)。返ってきたご指導が・・・
先生「企業の究極の目的はなんやと思う?」
私「え!(困った)・・・三方よしです」
先生「真面目に聞いてるんや、究極の目的はなんや?」
私「???あの~、、、、(;゚ロ゚)継続企業の前提(Going Concern)です!」
先生「そやろ。会社が倒産せず将来にわたりずっと企業活動を継続することを目的に経営せなあかんねん。そやないと倒産したら三方よしもできへんやろ。あんなぁ、株売り買いしたことあるか?あるんやったら、全財産つぎ込んだ株が暴落しそうになったらどうする?」
私「そりゃ、損切りして売って回収して損失を最小にせなあきまへん。」
先生「そうや、株主ってそんなもんや。そんな、企業がやばくなったら逃げ出す輩の言うこと聞いてなんで継続企業の前提が達成できんねん。」
(先生ちょっと考え込んで)
「その着目点おもろいわ。こんなこと聞いてきたんやからなんかその矛盾の解決思いついたんやろ。レポートにして持ってきてくれ、一緒に論文書こう」
思いつきと暇つぶしに教官に話題を振ってはいけないと学んだ瞬間でした。と同時に大局かつ長期的観点の観識(見識ではなく)で学生を指導しないととんでもないことになると悟った瞬間でもありました。破れ窓理論ではありませんが、胡散臭い話は早期に元から絶たなきゃだめとも。
「株主主権論」は理論的誤謬である
2009年10月23日(金)東大安田講堂で行われたシンポジウムで、岩井克人東京大学経済学部教授は「株主主権論」は理論的誤謬であると喝破されました。
この講演の内容は既に2005年には御著書『会社はだれのものか』において、「米国流の株主主権論は、会社(法人)をモノとしか捉えておらず、ヒトとしての側面を考慮に入れていない点で法理論として誤っている。経営者とは、会社になりかわって意思決定し行動する自然人である。よって、経営者には私的利益よりも会社の利益を優先し「倫理的に」行動する義務が本源的に存在する。」と述べておられる一貫した御主張です。
株主主権から距離を置いてきたシステムは、
ポスト産業資本主義と親和性
しかも岩井先生は創造性のためには、株主主権の米国型ではなく、知識社会では、日本型の会社システムの方が親和性があると以下のようにおっしゃってます。
株主主権から距離を置いてきた日本型会社システムは、ポスト産業資本主義と親和性を持っている。だが、そこで必要とされるヒトは、機械制工場の脇役としてのヒトではない。差異を生み出す知識や能力を自ら率先して開発できるヒトである。(戦後70年日本の立ち位置は(2)岩井克人国際基督教大学客員教授――ヒト生かす経営築けるか(経済教室)2015/05/19 日本経済新聞 朝刊 25面)
「株主主権論」の誤りを正せ
株主主権論とは、会社は株主のものであり、経営者は株主の代理人として、株主資本の収益率を最大化すべしという主張だ。だが株主主権論の旗印の下で実際に大きく上昇したのは、資本所得ではなく、経営者の報酬だった。なぜこうした逆説が生まれたのか。それは株主主権論が理論上の誤りだからだ。
ところが株主主権論は、経営者は株主の代理人だと称して、この倫理的義務を株式オプションなどの経済インセンティブ(誘因)に置き換えてしまった。まさにそれは、自己利益追求への招待状だ。そして実際、米英の経営者は自らの報酬を高騰させ始めた。その帰結が、トランプ旋風とEU離脱派勝利なのだ。(2016年8月 9日 (火)付日経新聞「経済教室」岩井克人「株主主権論」の誤りを正せ))
日本の資本主義 再興の時 米国型に代わる「普遍」作れ
米国型資本主義は、株主主権を絶対視し、会社を株主の利益追求の単なる道具(モノ)とみなしている。しかし株主主権論は、会社が法人であることを無視した誤謬である。オフィスや工場を所有し、従業員や仕入れ先や銀行と契約を結ぶのは、株主ではなく法律上のヒトとしての会社だ。その会社を現実にヒトとして動かすのも、株主ではなく経営者だ。
株主主権論が誤謬であるならば、会社は株主の道具ではなくなる。それは人的組織としての自律性を持ち、その目的の中に従業員や他の関係者の利害も含みうる。( 時代の節目に考える(1)日本の資本主義 再興の時 米国型に代わる「普遍」作れ 岩井克人・国際基督教大学特別招聘教授2018年1月4日 )
会社は人間がより良く生活するための道具立て
2019年1月22日、早稲田キャンパスの8号館階段教室で行われた上村達男先生の最終講義講義末席を汚しておりました。前列には著名な学者・弁護士・裁判官が並んで受講されており講義後お孫さんから花束を受け取る上村先生はそれまで教壇で熱弁を振るわれた姿と一転して字義通りの好々爺でした。以下その様子と講義後のインタビュー記事を要約してみました。
「株式会社は人間が作った人間のためのものです。その原点が失われています。株主という主体、特にファンドの中には徹底的に人間のにおいのしないものも多いのですが、そうした株主像を安易に肯定したまま株主価値の最大化を肯定することは、要は『俺にカネ寄こせ株主』の横行を認めることになります。それでいいのでしょうか。会社は人間のためのものなのです。人間がより良く生活していくための道具立てであることを確認する必要があります。」(いつも先見性のない経団連が「経済界として反対」と言える根拠は?上村教授「会社は人間がより良く生活するための道具立て」加藤 裕則)
上記記事には書かれてはおりませんが、同講義で上村達男先生はメルカリに出品された議決権行使書の件にも触れ株主主権論に言及しておられました。議決権行使書を売買するような輩が投票し会社を支配することは正義なのかと問題提起をされました。(メルカリに「議決権行使書」出品多数 特典狙い? 2017/6/13日本経済新聞 電子版)
ベンチャー企業にはそぐわない株主主権論
ベンチャー企業家にはおカネはありませんが、企業を支配する必要があります。その起業家がいなくなったら会社は成り立たないからです。一方で、ベンチャーキャピタルはおカネはあるけれど経営に口は出したくない。現在の会社法が前提としているような資金の出し手が会社を支配するという仕組みが、ベンチャー企業にはそぐわないのです。(2015/04/08 「コーポレートガバナンス・コードに問題あり。300万社を縛る会社法は限界です」上村達男・早稲田大学法学部教授インタビュー 磯山友幸 経済ジャーナリスト)
株主主権論の誤り
2019年7月18日付けで裁判所に提出された法律意見書において、上村達男先生は
株主は資本の論理を単純に押しつけることができるとのきわめて素朴かつ未熟な発想を振り回すものであるので、こうした主張の誤りを正すことが、日本の企業社会のあり方を正しい方向に転換させるためにきわめて重要であることを、以下強調する。
株主価値最大化論とは要は「俺にカネ寄こせ」という主張を合理化するものでしかなく、こうした主張は彼らの利益獲得に奉仕する一種のイデオロギーと化してきたのである。しかし、アメリカでのこうした主張も高々30 数年の歴史しか有しておらず、日本はこの異例な発想を無批判 に受け入れてきた(それは、経済学に過度に理解のある法律家と、法律学に過度に理解 のない経済学者の共同作業であったと言える)。
と喝破しています。
日本企業衰退の原因は株主資本主義にある
経営学者の意見を見ていきましょう。野中郁次郎先生はドラッカーを引用して下記のように指摘しています。
日本企業の現状を見ると、2000年ごろから多くの大企業が「選択と集中」「成果主義」「株主価値の最大化」などの経営手法を採用した。一方、社員を育成する余裕が失われ、強みだった社員の忠誠心や団結力、社会貢献への思いなどは劣化した。株主資本主義を意識せざるを得なくなり、企業の目的は何かという価値観に基づいた経営判断ではなく、数値で計測できる指標を用いて意思決定する風潮が広がった。その結果、企業は理論分析過多、経営計画過多、コンプライアンス(法令順守)過多に陥ったのである。
(日本経済の羅針盤(下)一橋大学名誉教授野中郁次郎氏(経済教室)2013/08/15 日本経済新聞 朝刊 22面)
人本主義企業
伊丹敬之先生は1987年『人本主義企業』において、お金を出している人のものだとする「資本主義」に対して、企業で働いている人のものだとする「人本主義」という概念を提示しました。そこには、企業はそこにコミットして長期間働く人々のものであり、彼らが企業のメインの「主権者」である(p.59)と指摘しています。
従業員主権論
加護野忠男先生は『日本型経営の復権』(1997)において、従業員主権論を展開し、従業員の利益を優先することで、従業員の貢献意欲が高まり、結果的に株主をはじめ多くのステークホルダーに利益がいくと論じています。
株主主権幻想
株主主権さえ回復すれば健全な企業統治が実現するというのは幼稚な幻想である。無責任な株主の影響力行使を最小化したうえで企業と株主の健全な関係を構築するための仕組みを真剣に考えねばならない。(企業統治改善、株主の無責任正す制度を――神戸大学教授加護野忠男氏(経済教室)1999/07/23 日本経済新聞 )
グローバルスタンダード幻想
九〇年代に入ると状況は一変。グローバルスタンダードという奇妙な言葉が流行し、日本の経営はグローバルスタンダードに合わないから、株主主権、成果主義賃金制度、流動的労働市場といった国際標準に合わせて経営改革をしなければならないという主張が、新自由主義を信奉する経済学者を中心に声高に叫ばれた。この主張は二つの意味で誤りだった。皆が同じ経営方式に従って同じように行動するようなグローバル市場は存在しないし、皆が同じように行動する市場は企業にとっても消費者にとっても利益はないからである。(故アベグレン氏と日本の経営――神戸大学教授加護野忠男氏(経済教室) 2007/05/15 日本経済新聞 朝刊 25面)
従業員のコミットメントが鍵
コミットメントという言葉は日本語にしにくい英語の一つである。約束、盟約、忠誠、一体化などの言葉があてられることが多い。アベグレン氏が言いたかったのは、たんに雇用関係が長いということではなく、働く人と職場共同体との間に生涯にわたる強い結びつきがあるということだった。
(故アベグレン氏と日本の経営――神戸大学教授加護野忠男氏(経済教室) 2007/05/15 日本経済新聞 朝刊 25面)
目的喪失の日本企業
90年代に入り、「株主利益の追求こそが企業の基本目的であるべきだ」という議論が強まった。その結果、日本企業は目的喪失状態に陥ってしまったようにみえる。
株主の利益はもちろん重要だが、企業には他にも大切な目的がある。その大切な目的を追求する結果として株主の利益が得られるという基本が、ともするとおろそかになり、忘れ去られてもいた。その反省に立ち、もう一度、企業の基本的な目的とは何なのか、見つめなおすべきではないだろうか。
大切な目的のひとつは、顧客の利益である。エーザイは最終顧客である患者の利益を優先するとあえて定款で宣言した。その勇気にこそ学ぶべきだ。
(企業統治の論点(下)経営者の工夫引き出せ――甲南大学加護野忠男氏(経済教室)2011/04/04 日本経済新聞 朝刊 19面)
なぜ日本企業は強みを捨てるのか
労働経済学者の小池和夫先生は、御著書『なぜ日本企業は強みを捨てるのか』のなかで、
真の競争力とは長期をかけないと築けません。その競争力こそが雇用を確保し、人々のくらしを支えます。研究開発投資ひとつをとっても、みるべき成果は10年はかかります。ところがいま世の掛け声は、株主重視です。企業の業績をみるにしても四半期ごとです。世の流れは短期化をつよめ拡大します。それでは真の競争力はできそうにありません。 この動きによってもっとも破壊されるのは、人材です。職場で工夫し、さらに企業の経営方針についても発言する人材こそが、長期の競争力をつくっているのです。そうした人材を形成するには、時間がかかるのです。本当に強い企業は、長期の競争を勝ち抜くシステムづくりを実行しています。
欧州での株主主権論は社会の主権者が株主前提
前回、ドイツと米国は全く異なるという話をしたかと思います。岩井克人先生は、
会社の「人」としての側面を「もの」としての側面より強調する、そういう会社のあり方です。そういう会社の経営者は、会社の組織としての自律性やその成長を非常に重視するということで、例えば日本の会社、それから、ヨーロッパ大陸の会社、ドイツなどの会社はこちらのパターンに入るということです。(東大・朝日シンポ 「資本主義の将来」)
上村達男先生は、上記引用の株主主権を巡る裁判の意見書において、下記の指摘をしておられます。
なお、欧州で会社は株主のものと言われるのは、社会の主権者である個人や市民が株 主だからであり、つまりは主権者が株主だから株主主権ということに違和感を感じない。金さえあれば必ず株式を買えるが、買えたから主権者になるわけではない。ルノーの株 主総会の構成は政府が 15%で個人が63%だが、フロランジュ法によって彼らの大半は、2年以上株式を有するために議決権は2倍になっている。ヘッジファンド株主を排斥し、市民中心の株主総会を実現できているのは、ヘッジファンドは2年以上株式を保有し続 けることができないためである。この政府と個人が株主という構図は、フランス革命時に国家と個人以外の中間団体を全面否定したル・シャプリエ法の発想が今に生きているためと思われる。
以上のように経済経営分野は日経図書文化賞を始めとする各賞受賞分野の研究者の意見を尋ねてみました。
すなわち、規範経営学いいかえると目的探求の系統にある欧州(特にドイツ)と日本と、手段経営学いいかえると方法論探求の系統にある米国と読み替えることができます。
ここまで話をしても頑なに「日本はガラパゴスで思考するから駄目なのだ」と言い張る方もおられます。
そこで、では米国で創造的な企業の統治制度は株主主権を採択しているのかどうかを探求することとしましょう。
2012年に国を挙げて短期志向から脱却した英国
英国では、ビジネス・イノベーション・職業技能省のヴィンス・ケーブル大臣が、英国の株式市場における短期主義的傾向の広がりを懸念し、プロジェクト研究をすすめ最終報告書、The Kay Review of UK Equity Markets and Long-Term Decision Makingを発表し四半期決算という短期利益主義の放棄を宣言しました。
Dual class stockの米国創造企業
Dual class stockとは、classAとclassBの二種類の株式を発行する制度をいいます。金銭的な価値(株価)は同じなのですが、議決権に差をつけることによって、経営の支配と資金調達を分離した株式といえます。その目的は、創業者や経営者が会社の議決権における優位を保ち続けることにあります。創業家の意に沿わない提案に拒否権を持ち、株主利益の最大化に基づく短期的な意見が通りにくくすること。それにより長期的な価値創造への投資と意思決定を目的として米国の多くの企業で採用されいます。
例えばAlphabet (Google)、Facebook等が代表的なもので、Google社は創業者のLarry Page氏とSergey Brin氏及び一部の経営陣で議決権の約58%を確保しています。Facebook社はMark Zuckerberg氏が、約58%の議決権を確保(委任を含む)しています。他にもLinkdin、GoPro等々多数ありすぎて紹介できません(2019年9月現在米国企業リストと議決比率はココをポチ)。
とりわけAlphabet社(Google)が上場するときの審査書に添付された創業者からの手紙が象徴的です。ここには長期的視点で経営を行い四半期決算動向には与せず、かつ、従業員の福利厚生を優先し短期的な利益確保のためにこれらの削減は行わないと宣言が記載されています。
つまり、米国ですらテック系を中心に創造企業は株主主権論を採択していないということです。さらに従業員第一であると公言するのがGoogleです。
株主主権論を破棄した米国経営者団体
昨年の夏には、「米主要企業の経営者団体、ビジネス・ラウンドテーブルは19日、「株主第一主義」を見直し、従業員や地域社会などの利益を尊重した事業運営に取り組むと宣言した。株価上昇や配当増加など投資家の利益を優先してきた米国型の資本主義にとって大きな転換点となる。米国では所得格差の拡大で、大企業にも批判の矛先が向かっており、行動原則の修正を迫られた形だ。」と報じられた通り米国ですら株主主権を放棄しました。
(米経済界「株主第一主義」見直し従業員配慮を宣言2019/8/20 日経新聞)
米国ビジネス・ラウンドテーブルは、企業は自社の利益の最大化だけでなく、パーパス(Purpose) の実現を目指すべきだと。(詳しくはココ)
近視眼経営廃止
米国においてですら「四半期決算と見通しの報告も廃止されることになり近視眼経営が廃止される方向に」とロイター通信は報じています。
(Financial myopia could be healed by virus 21 May 2020 By Jeffrey Goldfarb)
日本の著名学者と米国創造企業は株主主権を否定
日本の著名学者の見解とAlphabet社(Google)創業者の考え方は全く一致しています。長期的視点、従業員に長期的に投資する等々。同社がこれを公表したのは2004年ですがこの段階で既にこれらの考え方に基づいた経営が行われており、おそらくは1998年の創業以来この考えに基づく経営を行っていたと思われます。
前に書いたとおり、1990年以降は、まったく別の社会に変わりました。知識産業社会における人と組織のあり方には共通しているところがあるということです。
しかるに、我が国では1990年以降小池和夫先生の御著書『なぜ日本企業は強みを捨てるのか』の問いかけのように自らの強みを捨て新しきにいや米国様にすがりつき理論的誤謬をその米国ですら実行していないし破棄してもなお信奉するという時代に突入したのです。言い換えれば自爆したと。
それにしても、株主主権論の誤りは学者により指摘されていたのは日本ではやり出した当初からでその破綻は明らかだったのに何故未だに主張する人が日本では絶えないか。全く謎です。
さらに謎なのが現代の株式取引はコンマ数秒間の高速売買を機械が行っておりたまたま株主確定日に保有していたという理由だけの株主が議決権を持ち経営を左右するということにすら疑問をもてないのはなぜでしょうか。
これを最後までお読みいただいた方の周りに「会社は株主のもの」だとか「株主主権」だとか「四半期決算動向」などと言う狼がいたら即刻銀の弾を撃ち込むべきです。いやそんな吸血鬼にはニンニクと十字架がいいかもしれません。
ということで、本日の御祓いは終わります