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「花屋日記」44. 閉店後に現れる、古新聞のモデルたち。
閉店の21時をまわると私は音楽を止め、レジを締め、あらゆるデータ入力を済ます。そして水汲みをし、掃除し、花たちを新聞紙でまく。そのときに使う新聞紙は商業施設の事務所から譲り受けている古新聞で、一般紙から経済紙までいくつかの新聞がマーケティングリサーチのために読まれていることがそのバリエーションから見てとれた。私はその中から適当な一枚を引き抜いては花の長さに合わせて包み、セロハンテープで留める。
何十回とそれを繰り返す中で、私は自分がドキッとする瞬間があるのを知っていた。それはその中にファッション紙があって、そこにコレクションレポートなどが載っているのを目にするときだった。
パリ、ミラノ、ニューヨーク、ロンドン、トーキョー。各都市のきらびやかなファッションショーの写真が紙面を飾る。次々と移り変わるトレンド。新しいデザイナーたちの名前。かつて飽きるほど追求し続けた世界が、今はずいぶん遠いところにあった。副業でライティングしているとはいえ、私はもう古新聞を必要とするただの花屋に過ぎなかった。
ランウェイの写真を内側に折り込んで、葉を傷めないようにその束を手早くくるむ。モード界のことなど、知りたくもない。これはただの古新聞だ、そう自分に言い聞かせた。でも最新ルックをまとった写真のモデルたちはこう問いかけるのだ。
ほんとうに?
あなた、いつまで逃げてるつもり?
逃げてなんかいない。私はそう答える。ファッションを愛する方法は、それで生計を立てることに限らない。今の私にはべつの生活があって、そのことに集中したい。あなたたちは魅力的だけれど、そのことだけが人生じゃない。その気持ちに嘘はなかった。
一人すべての処理を片づけると、売上報告のLINEをして私は店の電気を消した。音もなくすべてが暗闇に沈む。私はその瞬間にいつも言葉にならない安堵感を覚えた。そしてずしりと重い台車を押し、花を二階の倉庫へ運びながら、私はここで生きるのだと言い聞かせた。
どちらにしても、この年齢で採用してもらえるのは難しい。私をほしいといってくれるメディアがまだどこかにあるとは思えなかった。もうあれからずいぶんと時間が経ったのだ。若くも美しくもない地方の女に、再びモードと関わるチャンスは少ないだろう。
私自身がその事実に絶望することを望んでいたのか、その逆なのかは分からない。ただある日、知りたいと思った。ほんとうに戻れないのかを。諦めるなら、はやく宣告されたかった。もう不可能なのだと。
そうしてメディアの求人に応募した私は、二つの書類審査に通り、東京で三つの試験と面接を受けた。過去の記事のサンプルも提出した時、はやくそれを拒絶されたいという願いと、可能性があるならその先を進んでみたいという相反する思いにかられた。自分がなにを証明しようとしているのか、自分でも分からなかった。
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