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「花屋日記」24. さらばフロントロウ。
かつて在籍したファッション編集部では、とにかくみんなの気位が高かった。なんせファッションショーでは当然のようにフロントロウに招待され、ブランドの展示会でも貸切の時間を設けられるので、それがだんだん当たり前になってくるのである。たまにVIP扱いされず、ちょっとでも待たされたりすると
「私たちが誰か知らないのかしらね?」
と、みんなあからさまに不機嫌になった(とはいえ、待ち時間があるとなれば○ルマーニのラウンジでお茶をしたりするので、どこまでもバブリーな世界である)。私はそんな現場で日々困惑し、この命題に何度もぶち当たるのだった。「じゃあ、私たちはいったい何者なのか?」と。
ブランド力とは、なんなんだろう? 肩書きを失ったときに私に残るものはなんなんだろう? 「こんな業界はおかしい」と思うのなら、どんな世界を私は望むのか。自分の中で優先されるべき価値観とは何なのか、私はどうしてもその答えを見つけ出さねばならなかった。
転職して、花業界にとって一番の繁忙期である「母の日」ウィークを迎えたとき、私は毎日300人ものお客様と対面することになった。あらゆる人が、母の日の宅配注文や持ち帰りで店に立ち寄られる。その中には、手を繋いでおどおどしながら訪れた幼い兄妹もいた。ママのために、なけなしのおこづかいで買うカーネーション。少し離れたところで父親らしき人が一部始終を見守っているのが見える。その小さなお客様から、手の中であたたかくなった500円玉を受け取ったとき、○ルマーニや○ャネルが一瞬で霞んだ気がした。
その後も金髪のヤンキーっぽい男の子がやって来て、店で一番おおきな紫陽花の鉢を購入してくださった。母親への初めてのプレゼントだという。ラッピングされた鉢を誇らしげに抱えて
「なんだかんだ言ってもお母さんが大好きだから…」
と照れ笑いをする彼を見て、私はなんだか泣きそうになった。業界でVIP扱いされることより、ブランド物を身につけるより、心が震えるのはこういう瞬間だった。
もしかしたら私が望む「ラグジュアリー」は、お金に換算できないもの。誰にも奪えないもの。当たり前のような日常の中に在る、人間や植物のふとした表情や輝きなのかもしれない。
エプロンをつけて花屋の店頭に立つ私はもう「何者」でもなかった。選民意識も、フロントロウも、遥か遠くに感じられた。けれどファッション業界から離れなくては決して知ることのできないものが、この小さな店の中にあった。
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