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「花屋日記」9. 美しいのは花じゃなかった。
花屋のスタッフは皆、エプロンの上からシザーケースをつけている。美容師さんが腰に付けているようなアレだ。中に入れているのは、専用のハサミとナイフ、ボールペンにメモ帳、そして店のオーダーシートなどだ。(私は不器用なので、手を切った時のための絆創膏もマストだった。)
私は毎日、オーダーシートを片手に接客をする。尋ねることはだいたい決まっているし、それほど細かな指定をしてくる人も多くはない。だがお客様の予算や用途、花のイメージなどを何百回とお聞きしていくうちに、私はだんだんとその来店理由に興味を抱くようになっていった。
以前の職場では有名人やモデルなどと接することが多かったが、ここで出会う人たちはみんな街で見かけるような「ふつう」の人たち。でも彼らの注文内容には、それぞれ驚くようなストーリーが隠れていて、それぞれが「特別な人」であることがやがて明かされるのだ。
単なるブーケのオーダーでも理由は様々だ。例えば「今までがんばってきた娘の卒業式に花を渡したい」というお母さんや「30年以上勤めてきた会社を定年退職する母親を誇りに思うから」と語った息子さん。「こんな自分が社会人になれたことを両親に感謝したい」というリクルートスーツの女の子もいた。ほかに「結婚記念日だから、ばあさんに花を持って帰ってやるんだ」と照れ笑いしたおじいさんや「自分の誕生日に、遠くに住む両親へ感謝の花を贈りたい」と語った大学生もいた。そんな素敵な人たちが日々、あたりまえのように花屋を利用してくれる。
「ふつう」の人の生活の中にこんなキラキラした感情が隠れてるなんて私は知らなかった。東京の暮らしに慣れて、世界をもっと殺伐としたものだと感じていた私には、ここはまるで異世界だった。
たまに「花屋なんて底辺の仕事じゃないか」なんて言われることもある。時給だって安いし、資格や学歴だっていらない。でもたとえここが底辺なのだとしても、ここから見える景色がこんなに美しいことを、私は幸福に思う。美しいのは花だけじゃない、人間なんだ。それを学べる場所なんて他にない。恐ろしいモードの現場で神経をすり減らしていた私にとって彼らとの出会いは、完璧な心の「リハビリ」だった。
そして店で働き始めて一年が経った頃、私はようやく自分の中に幾つかの感情が戻ってきたことに気づいた。コミュニケーションを重ねていく上で、多くのお客様たちに少しずつなにかを分けてもらっていたのだろうか? 私はいつのまにか出歩くことも、人と会うこともできるようになっていた。前のように笑ったり泣いたりもできる。もう無感覚ゾンビみたいな自分ではない。
季節の移ろいと共に、いろんなことが解決し始めていた。
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