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第1回クビ夢「自己紹介」

はじめまして。

そしてお久しぶりの方々、ご無沙汰しています。

いつもお世話になってる方々、儲かってますか?

永井カイルです。

自分は作曲家をしています。

編曲やキャスティング協力もしてますがメインワークは作曲です。

たぶんはじめましての方が多いので今回のnoteでは軽く自己紹介と代表作のリンク貼っておきます。

永井カイル。作編曲家。
1986年岐阜県高山市にて生を授かる。東京都狛江市育ち。 

高校の頃にバンドを組み大学に通い始めて打ち込みに目覚める。 

「あるもので新しい音を創る」「既存のジャンルを混合した新たなジャンルの開拓」をスローガンに2011年から作曲家として本格的に活動を開始。 創作のヴァリエーションの幅の広さを生かした音作りを得意とする。 

映画『カメラを止めるな!』の劇中曲や森永製菓株式会社CM「アイスアクターズ」 全楽曲担当。

第42回日本アカデミー賞にて優秀音楽賞受賞。
趣味は将棋と筋トレ。

上記が僕のオフィシャルで公開されている簡単なプロフィールです。

以下からはnoteではじめて語られることもあるかもしれない。少し長めの自己紹介をさせていただきます。

1986年 誕生
岐阜県高山市にて生誕。どうやら難産だったらしい。この頃の記憶はほとんどありません。

1993年 小学校入学
落ち着きのない問題児。よく親にぶん殴られてました。笑

すぐ図に乗る上に、協調性なし、団体行動苦手な典型的ひとりっ子。習い事(水泳、サッカー、ミニバス)はほとんどが漫画の影響。だがしかし、どれもろくに継続せず。口答えばかりするクソガキでした。

Dragon Ash、宇多田ヒカル、m-floの台頭により音楽に興味を持つ。


1999年 中学校入学
一般的な中学校に入学。ちなみにこの中学の卒業生として代表的なのがミスターチルドレン。けれど音楽の成績はいまいち。

この頃からキングギドラやスチャダラパーの影響でリリックを書き始める。正直言って中学の頃が学生時代で一番楽しかったかもしれない。

小学生では陸上部からのバスケ部に転部したがろくに活躍できず。運動とチーム行動が苦手なのを悟る。

勉強はごく普通。中の中。

恋愛は片思いばかりで成就せず。告られたりもしたが正直タイプではないので奥義「好きな人がいるからごめんなさい」をかましたりした。この頃から人生の教訓として「人生は片思いの連続だから仕方がない」というのを肝に銘じるようになる。

その姿勢は今も変わらない。


2002年 高校入学

この頃から暗黒時代の幕開けである。

校風が合わない、人間関係がうまくいかない、何となくクラスと溶け込めない。成績も最悪。まさに奈落の底に落とされた気分だ。

それとは裏腹に数人の女子から告られたりしたが「校風が最悪な環境で付き合ってもどうせろくなことがない」という理由で秘技「今はそういう気分じゃないからごめんなさい」をかます。まさに硬派の鏡だ。というか陰キャな男子によく能動的に告ろうと思ったな...人生は何が起きるか予想だにできない。

部活は研音に入っていた。正直言って研音に入っていて良かったと思っている。アジカン、GLAY、福山雅治さんのコピーをやっていた記憶がある。授業には出ないが部活には出るという典型的なクソ生徒だった。たまにオリジナルソングもやっていたような気が...バンドメンバーとは今も親交がある。


2005年 大学入学

ごくごく普通の大学に入学。

高校が色々と最悪だったので、その影響もあってか大学外の人間ともつるむようになる。当時付き合っていた彼女にmixiというSNSを教えてもらい、mixiでコンタクトを取って人脈や知り合いを増やしていったり、交流会などで知人を増やして日々ロビー活動をしていた。

この頃から中学からの幼馴染の影響で打ち込みというのを知る。そんな幼馴染からDTMのノウハウを学ぶ。19歳の頃に初めて触れたのはCubaseというソフトだ。ちなみに現在もCubaseを使っている。

就職は氷河期手前だったので「氷河期なのに無駄に頑張るのがめんどくさい。そもそもなぜみんなと同じタイミングで就活しなきゃいけないんだ?」というのを理由にろくに就活しなかった。


2009年 フリーター兼自称ミュージシャン1年目
この頃からフリーターである。今思えばこの頃から数年"冬の時代"だったような気がする。居酒屋とコンビニのバイトをしつつ、The Imaginary Labelという音楽団体でトラックメイカーで飯を食っていけるように努めるも鳴かず飛ばず。

今思えばだけど一度社会人経験しても良かったような気もする。社会は知っといたほうがいい。それもそれで安くはないしっかりした人生だと思うから。かく言う永井は社会を知らないまま現在に至ります。


2010年 フリーター兼自称ミュージシャン2年目
鳴かず飛ばずでバイト辞めれず音楽団体では作った楽曲そんなに採用されず、親との関係もそこまで良くなく人生で2度目の奈落の底を経験。レコーディングも自分の家で所謂"宅録"を担当していたが正直たまに集中力に欠けていた。


2011年 フリーター兼自称作曲家3年目

この頃から"永井カイル"として活動するようになる。ミュージシャンという呼称は捨てて、作曲家と名乗るようになったのもこの頃からだったはず。

永井カイルとしての初陣はPEACEさんの旗揚げ公演『LAST SMILE』

OPのダンス曲を担当。

当時劇団員だった大坪勇太くんの誘いで制作することになる。

あらためて聴き直すと「荒いなおい!」とツッコミどころ満載の楽曲だ。

同年に同じくPEACEさんの第2回公演『GHOST IN THE BOX』という作品の劇伴を作るもどれも採用されず。まだまだ青二才である。

この時、まさかこの作品が後の『カメラを止めるな!』という映画作品に繋がるとは誰も想像できなかったはず。

2012年 フリーター兼自称作曲家4年目
バイトしながらPEACEさんの劇伴作りつつ、ネットラジオの番組MCやりつつ、コミュニティラジオの手伝いしつつやれるだけのことはやっていた年だった。同年にThe Imaginary Labelは解散し、フリーランスでフリーターの超フリーな作曲家に転身。

この頃、知り合いの作曲家やミュージシャンは一気に姿を消したか辞めていった。それでも僕は黙々と求められるなら作り続けていた。

求められればとことんやる。そのスタンスは今も変わらない。


2013年 フリーター兼自称作曲家5年目
この頃、運命的な出会いをする。

PEACEさんの『CLOCK』という作品でキャストとして出演していた松永一哉くんと出会う。彼とは音楽の趣味が非常に合う仲だった。正直言って演劇界隈の方々で音楽の趣味が合う人はいなかったが彼は抜群に趣味が合う同業者のひとりだった。

後に彼が主宰するM ACT CREWさんの『Midnight Traveler』のほとんどの楽曲を担当する事になる。彼にはプロとしての姿勢、仕事の取り組み方、作品との向き合い方を教わった。僕の根本的な創作原理は松永一哉くんから吸収したものに他ならない。

彼には個人的に何か迷いごとがあれば必ず相談する仲だ。


2014年 フリーター兼自称作曲家6年目
前年度のMidnight Travelerでの活躍が認められ小劇場界隈の舞台音楽を多数手掛ける。正直何曲作ったか覚えてないぐらいに。

ハイライトはViViD シン君のバースデイイベントのOPを手がけたこと。

そしてモラトリアムパンツさんの『あなたがもしもを選んだ後で』の劇中曲を手がけたこと。


この作品を通して上田慎一郎監督とFacebookで繋がる。

この出会いが僕の人生を変えることになる。

その反面バイト先をクビになる。

やはり人生は片思いの連続だ。


2015年 フリーランス作曲家1年目

社会不適合者の逆襲が始まる。

クビになった男は必死だった。2.5次元舞台音楽の制作やアイドルの楽曲制作。

楽曲制作のみならず舞台公演の音響オペもやったりした。何でもありだ。

けれど何でもありじゃないと生きていけなかった。

とにかく必死だった。


2016年 お抱え作曲家1年目

この頃にとある舞台公演でご一緒したNAO-GにスカウトされZIPANG ENTARTに加入。

同年、これまた舞台でご一緒した川尻恵太さんの誘いでNHK Eテレシャキーンの韻踏みしりとりの楽曲を担当。

インディーズ映画の音楽を担当したのが功を奏し、gyao配信の短編ドラマなど配信媒体にもテリトリーを広げる。


人生が少し良い方向に傾く。

余談だが謎にこの頃ZOZOTOWNのモデルをやっていた。

流れに乗っただけ感は否めない。


2017年 お抱え作曲家2年目

沖縄国際映画祭招待作『クロス』の劇中曲と音効を担当。ビッグネームなスタッフ、キャストに囲まれて背筋が伸びる。

また六本木ビジョンで放送されているParty ChannelのBGMを担当。

同年9月頃に映画『カメラを止めるな!』のBGM制作のオファーを上田監督から受ける。

人生の歯車が狂い出した年である。


2018年 お抱え作曲家3年目

カメ止めブームが到来。

全国で200館以上の上映、200万人以上動員したりと

飛ぶ鳥を焼き殺す勢い。もはや社会現象である。


ZIPANG ENTART主催の『Jumpin’ Jack Jap』が1日限りの公演。ノンバーバルの作品に初挑戦。

未体験ゾーンに浸りまくりな1年だった。

例年通り紆余曲折あったが毎日が宝石のような日々だった。


2019年 色々な現象に巻き込まれた作曲家1年目

第42回日本アカデミー賞優秀音楽賞授賞。

あと1歩のところで最優秀音楽賞を逃す。

忘れものをまた取りに来ると決意。

ビッグネームが並び集う舞台公演『新・罪と罰』や沢井製薬の企業PV、森永製菓のWeb CM、首都争奪バトル舞台(ステージ)「四十七大戦」-開戦!鳥取編-などアカデミーテンションを意識しつつ邁進する。


同年7月ZIPANG ENTART退社。

フリーランスに戻る。

ただし前向きな退社。

時が経ちアシスタントという最高のバディをゲットする。


2020年 色々な現象に巻き込まれた作曲家2年目

アカデミー賞最優秀音楽賞を目指すことを決意。

永井カイルとしての第2章幕開けである。

ブログを無期限休止。note開始。

以上。

今後はこちらのnoteで価値観のプレゼンや気になる人の取材、自叙伝を中心に月1で記事を投稿しようと目論んでます。

もちろん楽曲を売ることもあるでしょう。


しからば、おさらば。

よしなに頼みます。

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