日蓮大聖人の言葉『諸経与法華経難易事』しょきょうとほけきょうとなんいのこと 14

仏法ようやく顛倒しければ、世間もまた濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。      

弘安3年(1280)執筆     
                                         『昭和定本日蓮聖人遺文』1752頁


(訳)
 仏法の真実が次第に損なわれてしまえば、人の心も乱れ、世の中も濁って乱れてしまうのであります。仏法は、本体のようなものであります。世間は、それを映し出す影のようなものであります。そうでありますから、本体である仏法が曲がることで誤って理解されてしまうと、影である世間も曲がってしまうという結果がもたらされます。

(解説)

本書は、日蓮聖人が五十九歳の時に身延山で執筆されました。法華経の第十番目「法師品」に「難信難解」とあって、信じがたく理解しがたい教えであると説かれていることにつき、富木常忍が日蓮聖人に尋ねたことに対する返書です。
 日蓮聖人は、法華経が釈尊滅後の衆生に大きな導きを与えるとし、竜樹菩薩、天台大師、伝教大師という三師の解釈を引用して、諸経(=法華経以外)と法華経は、次のようであると明かします。


 ★諸経「随他意」釈尊が方便をまじえて説いた教え→易信易解
 ★法華経「随自意」釈尊の本意が直接的に説かれた真実の教え→難信難解


 そして、法華経を信仰することは容易と思われがちですが、釈尊の真実の教えを受け止めていかなければならないというのです。その後に、冒頭に挙げた一節が示されます。
 仏法が顛倒し、正法たる法華経が隠れて無くなると、世間が濁れて乱れた状態となってしまうことを嘆き、「仏法は体」「世間は影」であるために、すべての衆生の成仏を説く法華経を根本として、世間と出世間の教えを立てなければならないと明かすのです。
 存在するもの(本体)に光を当てると、影があらわれます。「影」とは、「本体」の形をそのままに現すのです。それと同じように、仏法と世間の関係性も示されます。正しき教えが無くなってしまえば、世の中も乱れ、仏法が曲がれば、影もななめになるのです。
お釈迦さまは、生涯において「八万四千」という膨大な教えを説かれましたが、そのなかにも、真実の教えと方便の教えがあります。私たちは、唯一の真実の教えである『法華経』に出逢えました。だからこそ、安穏な世の中が実現するように信仰活動に励まなければなりません。

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