3人きょうだいに2つのワッフル
近所に住むおばあさんに会いに行った時のはなし。
おばあちゃんがワッフルを2つ出してくれたのだけど、その時食べきれなくて、帰りにそのまま2つ持たせてくれた。
帰ったらたべよー♪とほくほくして家に着いて気がついた。うちには弟が2人居る。
ワッフル食べる?と聞くと揃って食べるとの返事。
自分の頭に、一つずつ3等分すればば6切れになって、2切れずつ食べれば平等かな?なんて思ったけど、わたしは半分でいいなぁ、なんて思ったその時、長男が俺半分でいいと言ってくれた。
次男は丸々一つ食べて、わたしと長男は半分こ。
だけど気持ちは平等だ。食べたい分を食べられたんだもの。
これは保育をしていてもすごく思う。
この前の金曜日、やんちゃっこのHくんが車をたくさん繋げて遊んでいた。あとから来たSくんが残り物では足りずHくんから車を一つ取って遊びはじめた。
取られたHくんは、取りかえそうとするのだけど、保育者に止められてしまう。
Hくんは6個も持ってるでしょ、一つくらい貸してあげな!って。
保育園で人参堀りに行った時。
前の園は子どもが180人くらいいて、人参の数も決まっていたから、持ち帰る数は3本と決まっていた。
3本とも大きな人参を掘り当てようとする子もいれば、持ち帰るのが大変だから小さいのがいいという女の子、始まってものの1分でもう全部取っちゃった〜なんてケロっとしている子。いろんな子の想いがあって、すごく楽しかった。
でも、みんながお昼寝している間に、持ち帰る前にみんなでサイズをチェックして、大きさが平等になるようにした。お金をもらっているためだ。
あんなに楽しそうに、これおれのー!なんて言って大きな人参を3つ掘って、重たいけれど一生懸命歩いて帰ってきた子が、家に帰って、自分の掘った人参ではないものが入っていたら、どんな気持ちになるんだろう。
平等ってなんなんだろう。
これはわたし個人の価値観と経験からですが、
子どもの平等の軸は数ではなくて、気持ちだと思っています。
おもちゃも、自分が満足して遊ぶものがあればそれでいい。数に目がいってしまうのはつい大人の方な気がします。
子どもがのびのびと、やりたいの意欲を見守られながら、さまざまな経験をしていく。そのための安心できる保育者でありたいなと、微力ながら思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?