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何度来ても飽きない、私の第二の故郷-フィリピン生活1ヶ月目🇵🇭
遅くなりましたが、みなさま新年明けましておめでとうございます🎍今年もきゆかのnoteをどうぞよろしくお願いします。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、このnoteはフィリピンから書いてます。
実は、今日でフィリピンに住んでからちょうど1ヶ月経ちました!
2024年。あまりにもバタバタしすぎて、例年と比べるとnoteの更新頻度がガタ落ちしてます。少なくとも1ヶ月に1回、軽くてもいいから何かしら更新はしてたのですが。。。
そして何より去年は英語をぼちぼち頑張ったせいで本を読む回数もガタ落ちしました。そりゃnote書く気失せるよね。なんなら文章の書き方を微妙に忘れかけています。このままでは本当にやばいです!
辛いことも多々ありつつ、本当に刺激的な毎日でした。この日々をnoteに残さないわけにはいかないです。てことでnoteリハビリがてら、フィリピンに来た理由と、フィリピンで過ごした2024年12月をざっとまとめます!!
フィリピンに住むと決めた理由
渡航歴とフィリピンに対する感情
私は日本生まれ日本育ち、もちろんパスポートも日本国籍だけど私の母親はフィリピン人で、いわゆるハーフというやつです。今までのフィリピン渡航歴は3回。3歳、8歳、18歳のとき。
18歳のころに感じたことをやっと言語化できたnoteがこちら。
今までの渡航は、楽しかったとか、怖かったとか、そういう簡単な感情では表すことができず、ずっとモヤモヤしていた。上のnoteも、絞りに絞ってやっと感情を出した。いつまで経ってもあの景色を思い出にすることができないまま大人になった。
でもいつかまた、成人してからも絶対フィリピンに行きたいとは強く思っていた。
フィリピン行きのきっかけ
2024年8月に実家である岡山に帰省したときのこと。自分自身、環境に変化がありすぎてなかなか帰省できていなかった。いい人はいるんか?いつ結婚するんだ?みたいなことを迫られたらどうしようと余計な心配をしていたが、実はそれらの心配は一切必要なかった。
母親とファミレスに行った。温かいスープを飲みながら心を落ち着かせ、悩みを打ち明けた。母親は言う。
『おーそうか。じゃあ一緒にフィリピン行く?笑』
とりあえず軽く飲む?みたいな声のトーンで言われたため思わずひっくり返りそうになったが、そのときに思い出した。私の母親は、私の人生を迫る人ではないんだと。
あーなるほど、わるくないなあ、フィリピン生活。呑気にハンバーグを食べながらそう思った。
そもそも前から両親は、『いつかフィリピンに3ヶ月くらいのんびり住みたいなー』とたまに言っていた。
それを2024年に実行しようとしていた。
そのとき私は『ちょっと考えとくわ』と一旦保留。しかし、仕事はフルリモート。そして独身。フィリピンで自由に暮らせるなんて今しかない!と立ち上がり、父親に『私も行く!』と電話した。
ついに始まったフィリピン生活
渡航前準備
実家に戻るための引越し準備。習っていた残りのオンライン英会話。12月の渡航日までに計画表をNotionで作成し、すべてを超特急で終わらせた。
正直記憶がぶっ飛んでいる。
ありがたいことに、日本とフィリピンのハーフの独身の人は、家族と一緒にフィリピンに行くとビザが免除になるそうで、ビザ関連の手続きは何もなくてよかった。
いざ渡航、親戚と過ごす日々
着いてすぐ、湿った空気、独特の匂い、音のボリューム、フィリピンの雰囲気すべてが懐かしい!という感情でいっぱいになる。なんせ8年ぶりですから。
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そして着いてから食べたフィリピン料理。子どものころによく母親が作ってくれたルンピアンシャンハイという料理を見つけてテンションMAX。本当に感動した。しかしそのあと、シニガンという料理に入っていたオクラのような野菜を食べ、見事に口の中が死亡した。(実は緑の唐辛子だった)
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親戚と合流し、首都マニラから南に位置するバタンガス州というところへ行く。観光したり、ビーチへ行ったり、のんびりしたり。
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そして私はというと、バロットというフィリピン料理を食べて食中毒になった。(かなりグロめな食べ物なので、気になるかたは検索してみてくださいw)
フィリピン人は気分屋で、よく喋る。そして家族とのつながりが本当に強い。これらの景色を見て、何度も感じていた『本当にフィリピンで暮らしていけるのか』という不安が徐々に薄くなっていった。
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Bonifacio Global Cityを見て感じる格差
Bonifacio Global City(通称BGC)というエリアがあることを知り、夜に訪れてみた。高い建物。煌びやかなライト。整った道路。並ぶ高級車。BGCだけ切り取ってしまえばそこは東京だった。
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夜でも比較的安全に歩けるエリア。遅くまで開いているたくさんのお店。私の知ってるマニラじゃないという驚きの反面、うしろを振り返ると見えるボロボロの住宅街。追いきれない情報に私は疲弊してしまった。
騒音、お湯なし、エアコン故障。
数日ホテルやら親戚の家やらモール近くのコンドミニアムやら、いろんな場所で過ごしていたが、やっと、1ヶ月ほど住むAirbnbで借りたコンドミニアムに引っ越しをした。
モール近くのコンドミニアムに1週間住んだときのこと。部屋が狭すぎて私はソファーで就寝、トイレが詰まってわざわざ1階のトイレ行き、度重なる環境の変化でピリつく両親、同世代の人と話せない私の孤独感。
そこそこ大変な1週間を過ごした。
だからAirbnbで借りた部屋で1人部屋を見たとき、飛び跳ねるような嬉しさだった。
しかし、高速道路沿いの部屋のせいで夜も騒音は続き、シャワーのお湯は出ないので毎日ポットでお湯作り。しばらく経つと私の部屋のエアコンが壊れて、扇風機生活を送る。
だけれど、Airbnbオーナーのお母さんが定期的にWhatsAppで連絡してくれたり、部屋にも来てくれる。とてもやさしいお母さんのおかげで、この部屋を選んでよかったと胸を撫でた。
冬休み、南国の島にて
同世代の人と話せない孤独感と、意外と使わない英語に悩み、年末年始だけ、フィリピンのどこかで英語留学しようかなあと考えていた。しかし親戚がいつの間にかボラカイ島行きのツアーを用意してくれたため、年末年始はボラカイで過ごすことに。
結果的に、ボラカイに行けてよかった。最初の数日は曇りがちだったが、年が明けたあとの、快晴の下のホワイトビーチは息を呑むほど綺麗だった。透き通った水色の海と、のんびりと過ごす世界中の人たち。すれ違うたびにいつも笑顔を向けてくれるホテルの人。観光街を外れると現れる、ボラカイの住民と普通の景色。平和な島だなと感じだ。
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ヘルメットダイビングやアイランドホッピングなどのアクティビティ。ホワイトビーチに打ち上がったニューイヤー花火。ボラカイで過ごした温かい日々のおかげで、刺激的だったフィリピンの生活も悪くないなあとやっと冷静になることができた。
2ヶ月目へ続く。
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![きゆか](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161809510/profile_9ea00e8c26237d91e00864c5ff8aba4f.png?width=600&crop=1:1,smart)