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曇天の北海道に沖縄の太陽を。【2022年の五悦七味三会を振り返る12】

好きな食べ物はなんですか?
僕はマンゴーです。

七味その⑥:北海道の祖父母の法事で食べた沖縄のマンゴー

北海道の祖父母が亡くなって数年。
今年は祖父の三回忌、家族で北海道に向かった。
祖父母の写真を見るたびに、いまだにいまいち整理がつかないような、想像が追いつかないような部分がある。
もうあれから時間は経っているけれど、写真を見つめていると2人は今にも喋り出しそうで、というか僕の頭の中ではおじいちゃんおばあちゃんが僕に話しかけてきて、その映像と体験があまりにもリアルで、だけどもう2人はいないんだという現実との隙間に、それは隙間というよりも荒涼とした道東の大地に吹く冷たい風ような触感なんだけれど、そこに1人つかむ場所なく浮かんでいるような、そんな気持ちになる。

僕がマンゴーを好きになったきっかけは間違いなく祖母だった。
たまに東京の病院に通いにこちらに来ていた祖父母は、僕らの家を訪れ、よく一緒に東京観光をした。
帰りにスーパーに寄るたびにおばあちゃんは「マンゴーでも食べるかい?」と北海道訛りの言葉で僕に提案をしてきた。
「マンゴー好きだもんね」と。
当時はただとっても嬉しかったけど、最近になって気づいたことがある。
そう、あれは僕のためなどではなく、何よりもおばあちゃん自身がただマンゴーを食べたかっただけなんじゃないか?と。
思い返してみれば、僕の返事を待つまでもなくおばあちゃんはマンゴーを手に取っていたようにも思う。
実に可愛らしい人である。
おばあちゃんはマンゴーが好きだった。
今から20年くらいは昔の話。
当時から「昔からマンゴーが好きなのよ」なんて言うおばあちゃんは相当にハイカラだっただろう。
だってマンゴーなんていつから日本にあるんだ?

・・・・・

そんなマンゴー大好きな僕はここ数年、ふるさと納税で沖縄の高級マンゴーをもらうことが生きる楽しみの一つになっている。
なかなか果物屋さんのマンゴーには手が出ないが、ふるさと納税には感謝しなくてはならない。ありがとう制度設計者の人。
そんな楽しみに待っていた今年のマンゴー到着予定日は、三回忌で北海道にいる時期だった。
困ったことになったなと思ったのも束の間、ああ、これはいい、と思って郵送先を北海道の祖父母の家に変えてもらった。
おばあちゃんと一緒に食べられるじゃないか、と。

ふるさと納税ができる、ということはすなわち自分が働いていてある程度の所得があるということだ。
返礼品でもらったマンゴーをおばあちゃんにまずお供えして、それから法事で集まっていた親戚で分けて食べた。
1人一切れくらいになってしまったけれど、自分が社会人として働いて得たお金で、親戚一同に美味しいものを食べさせてあげられる、という事実が、まずとても嬉しかった。
自分が親戚一同に何かを奢るという経験は初めてのことだった。

「そういえばおばあちゃんマンゴー好きだったもんね〜〜」と誰かが言った。「きっと喜んでるよ〜」と。
その時そこにいた親戚一同の頭の中では、実にリアルにおばあちゃんがマンゴーをカットし、実に美味しそうに食していただろう。
僕がプレゼントしたものなのに「マンゴー食べるかい?」と言いながら。
なんでやねん、と思わずツッコんでしまう。
つくづくお茶目な人である。

・・・・・

沖縄で採れた地のマンゴーを、翌日に北海道に届ける近代の運送技術。
自分の納めるいくばくかの税金が美味しいマンゴーになって返ってくるという制度。
そしてそれができるようになった自分、ようやく一人前の社会人になれたのかもしれない、という思い。
そしてそれを亡くなったおばあちゃんにプレゼントできたこと。
親戚みんなで分けて一切れずつ食べたこと。
僕の心に印象深く残った食べ物だった。

マンゴーそのものが美味しかったことは言うまでもないが、それを超えた感情があった。
夏でも寒い、寂寞とした北海道の海辺の向こう側にある温かい光のような、そんな味がした。

「太陽のタマゴ」とは、よくいったものである。

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