根拠のない感覚と根拠のある感覚
今日、用事で実家に帰省していて、ふと思ったこと。。
同じことが起こったとき、
うちの母は、悲観的になる場合が多く、
私は、逆に、楽観的になる場合が多い。
もともと、私は、多少の不安がある場合でも、大体寝たら忘れられるし、
まあ、大丈夫!と思えることが多いから、気楽な性格なのかもしれない。
なので、脳の中では、大丈夫!何とかなる or 何とかするでしょ!
というつぶやきをしている場合が多いけれど、
昔から直感的に気を付けていることがあって、
人や場合によりつつも、悲観的になっている人に
大丈夫だよ、何とかなるよ、といいすぎないようにしている。
楽観的なときと、悲観的なとき、
根拠のない自信・安心感の強さが違うのだろうなと思っていて、
悲観的になっている人が、根拠のない安心さを言われても、
ピンとこないだろうし、逆にそのエネルギーの差で
疲れてしまって、余計に不安の理由を探すことに脳を使うかも、、
と思ってしまうからである。
で、しばらく、話を聞くだけにして、
ちょっと落ち着いたときに、
何があれば安心?
どれをしたい?
どれを済ませられれば安心?
とか聞いて、コントロールできる部分で変えられそうなところを
ちょっとずつ整理してみると、少し安心な方向に行くことが多い気がする。
根拠のある内容で、できそうという感覚になれば、
悲観的になっている人も少し受け取りやすくなるのかもしれない。
悲観的になるということは、
リスク対策には、とても重要な反応だと思うし、
楽観も悲観も大事な感覚。
悲観的になることを、いけないことだと思わず、
でも、自分が楽になれるような問いかけをいつも持っているといいのかな。。
何があれば少し安心できる?
何を小さく始めると安心につながる?
何があれば、ちょっと楽な気分になれる?