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ばいばい、怖い夢。

毎日のように怖い夢を見ていた。小学校1、2年生の頃だったと思う。

団地の階段を同級生の男女数人と駆け上がって遊んでいる。私は足が遅いから後ろの方から一生懸命ついていく。すると突然、上の方から叫び声がして、急いで踊り場を曲がると、ポタポタと血の垂れた包丁を握った女がいる。きゃー!!と叫んで、残りの数人で一気に階段を駆け下りた。

あるときは、自分の住んでいる棟の前の広場に、黒い長い髪の女が立っていた。周囲は霧がかっているし、髪が陰になって顔がよく見えない。気になってそろりと近付く。その瞬間、目に入ったのは女の表情ではなくて、異様な全身の装備だった。ナイフやら槍やら三又やら、なんだかよく分からないあらゆる鋭いものを体中に剥き出しにして付けていた。ひぃっ!!と思った瞬間、目が覚めた。

「洋風の怖い夢」を見ることもあった。
地下牢らしきところに閉じ込められている。周りを見やったところ、女性が4人くらい、プリンセスラインのドレスをそれぞれ色違いで着ている。髪もみんなお姫様みたいにアップにしてまとめている。みんなで身を寄せ合って、この暗く冷たい静けさに耐えているようだ。
なんだか『シンデレラ』に出てくる「お姉さま」たちみたいな格好だなぁ、と思うや否や、女たちが一斉に私の方を振り返る。そして、その全員の目と口がどんどん三角につりあがっていく。いやぁ~~!!

目が覚めて、ほっとして、寝返りを打つ。と、その瞬間、視界に入ったシーツの皺が恐ろしい老婆の顔に見えて、思わず本当に叫びそうになった。
うっわ!びっくりしたぁー!

中でも繰り返し見ていたのは、2人組の男に追いかけられる夢だった。
団地の敷地内や、通学路に商店街、逃げても逃げても追ってくる。そして、いつも決まって夜の薄暗い中、その「追いかけっこ」は繰り広げられる。

その日もまた、いつものように2人組の男から走って逃げていた。
どうしよう、もう走れない・・・!
そう諦めそうになったとき、父の車が現れた。私は急いで乗り込んだ。
よかったぁ。お父さんが来てくれたなら、もう安心だ。しかも車だし!
すっかり安心した気持ちで、姿勢を正し、前を見た。
すると、バックミラーに映っていたのは、お父さんではなく『キテレツ大百科』の勉三さんだった。
べ、勉三さん!!??
慌てて車のドアを開け、転げるようにして降りた。
勉三さんは奴らの変装だったのか仲間だったのか定かではないが、また2人組が追ってくる。
えぇ~~!もう今日こそ本当に捕まっちゃうかも~~っ!!
そのとき、空が明るくなり始めたことに気が付いて、私は走るのをやめた。
そう、この「追いかけっこ」は、なぜかいつも夜明けと共に終わるのだった。

この日の追いかけっこの夢を家族や友達に教えるときには、私の中で「いちばん怖くて笑える夢の話」になっていたが、『キテレツ大百科』の外で見る、眼鏡がぐるぐるの勉三さんは、良い人なのか悪い人なのか、はたまた何を考えているのか全くもって分からなかった。

こんな風に、寝る度にと言ってもいいくらい、怖い夢を見ていた。
そして、起きている時間にも、夢みたいな「怖いこと」は起きた。

小学2年生だった1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きた。

「地震」という言葉は知っていた。けれども、それが、突然にして大勢の人の命を奪うということを、沢山の建物や街を破壊する力を持っているということを、このとき初めて覚えた。

1995年3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した。

「オウム」という集団を初めて知ったのがどのタイミングだったのか、もはや覚えていない。けれどもあの頃、朝起きて学校に行くまでの時間、テレビから流れてくるニュースを聞いては、「また、おーむ」「また、しょーこー」と思っていた記憶は確かにある。

なんなら登校時に「おーむ」を見たことがある。
私は生まれてこのかた地方暮らしなので、それはもちろん幻なのだが。
だけどハッキリと見た。
団地の自宅のドアを閉めて、階段を下りるとき、踊り場の小さな窓の向こうに、白い服に身を包み、もさもさと艶のない長い髪と長い鬚をたずさえた男たちが何十人もこっち向きに整列しているのが見えた。

やだ!怖い!

びっくりして、とっさにその場にしゃがみこんだ。窓から私の姿が見えないように。心臓が、ドキドキ、ドキドキ、いっている。

どうしよう。とうとうわたしのところまでやってきたんだ。
どうしよう。どうしたら、みんなちゃんと助かる?どうしよう!
・・・・・・・・・でも、なんで?
ここ「とーきょー」じゃないのに?わたしはただの「小学生」なのに?
お父さんもただの「かいしゃいん」なのに?
お母さんはこの間も「お金ない、お金ない」って言ってたのに?

少しの間にそんな考えが頭を巡り、
どっちにしても、本当なら早く誰かに教えなきゃ!
と、思いきって立ち上がり、窓の向こうを覗いた。
「オウム」はいなかった。
代わりに白い車が停まっていた。黒い「ルーフキャリア」を付けた白い車だった。

なんだかあの頃は、寝ても覚めても「怖いこと」が待っているような気がした。見通しの悪い角を曲がるとき。親が帰ってこない夕暮れ時ひとりぼっちの部屋の中。団地を走り回ってかくれんぼをしているときも、なかなか見付けてもらえないと不安になって、その棟に住んでいる大人が階段を上がってくる足音に、かくれんぼの鬼に見付かるドキドキとは違う緊張を握りしめた。

大人になって、というより昨年のことだったと思うが、
「子どものときに怖い夢を多く見るのは、現実に耐える訓練をするため」、
という話がテレビから聞こえてきた。
なんだ、その時期はみんな怖い夢を見るのか
ホッとしたようなガッカリしたようなヘンな気持ちだった。怖い夢を繰り返し見るのは、密かになにか特別な役目が自分に与えられているからかもしれないと、どこかでちょっぴりだけ思っていた。例えば、『ヘンゼルとグレーテル』のグレーテルとして、この世界に送り込まれているような。ちぇっ。

その説について、気になって検索してみたが、残念ながらそれらしい文献は私には見つけられなかった。

だけど私は、その説を嘘ではないと思っている。
「明けない夜はない」「夜明け前が一番暗い」「一陽来復」
そういう言葉たちを知る前に、そういう言葉たちが教えてくれることを、私は繰り返し見る怖い夢で経験した。

そうか。
それなら、地震とか天災とか、集団とか正義とか、「自然や人間の恐さ」についてあの頃より知るようになった私は、もう「怖い夢」を繰り返す必要はないってわけだ。たしかに最近めっきり見ないもんな~。。。
よっしゃ。
バイバイ、怖い夢。
あんまり小っちゃな子どもたちをおどかしちゃダメだぞ!


◆◆◆


最後までお読みいただき、ありがとうございます♡ お疲れ様でしたm(_ _)m

「怖い夢の話」について書きたくなって、記憶の中から色々と材料を揃え、さてタイトルはどうしようか、と思ったときに、思い付いたのがこのタイトルでした。でも、これって、YUKIの曲とおんなじ!?と思って調べたところ、あちらは歌詞が「バイバイ長い夢/暗い夢」だったので、まぁギリギリいいかな?と思い、そのまま付けさせてもらいました。
だけど、書き上げるまでしばらくは、脳内BGMでちょいちょい流れてくるわけです。♪バーイバイ 長い夢 、と。
だからなのか?やたらと文が長いのは。
いや、だからってほんとに長くなるかね??
というか、私の中では時々 ♪バーイバイ、怖い夢! って歌っちゃってたよ。。。


テレビで聞いた「説」と一致する文献はなかなか見つけられなかったのですが、気になる研究論文を見つけたので、ご紹介させていただきます。

【不安夢の臨床心理学的意義に関する研究 佛教大学臨床心理学科 牧剛史】
(スミマセン。不慣れで、このテキスト上にPDFを添付することができなかったので、興味を持った方は、ぜひ検索の上、お読みください。)

正直に言うと、私も最初から最後まで一字一句読み込んだ訳ではないのですが(>.<;)興味深い内容でした。「夢との関わり方」について、考えを深める手がかりになりそうです。


そして、もうひとつ。
今回、『みんなのフォトギャラリー』より、ソエジマケイタさんの作品をお借りしました。
すてきな空の色です。
写真を水彩画ちっくに仕上げることができるのですね、この作品で初めて知りました☆現実と夢を行ったり来たりしているこの文章にもぴったりだなぁ、と思っています。
ソエジマケイタさん、ありがとうございました♡(*^-^*)


さて!長くなりましたが、とにもかくにも、最後までお読みいただき、
本当にありがとうございました m(_ _)m
また是非、覗きに来てください♡   きゃお

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*Rioka
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