今の好古園 昭和中期は? ✈️
元々は本多忠政が造営した西御屋敷や武家屋敷を再構築したもの。
彼がどういう意図でこれらを造ったかに興味のある人は、また調査してください😁
昭和中期のこのあたりには、後で知ったことだけど、国鉄や営林署の宿舎、税務署や保育所などがあり、広い道路が内壕にぶち当たるまで通っていた。
僕と友達ふたりは、これらの建物が移転や解体される頃、有刺鉄線の切れ目から、このエリアに入ったことがある。
建物はだいぶ立ち退いていて、草原が多かった。
ショウリョウバッタの太い後ろ足で指をトゲキックされたのも、カマキリに同じく指をトゲ鎌ロックされたのもここだった。
お陰でバッタやカマキリの持ち方をマスターできた。
もしかしたらカマキリの卵を見たのも、ここが初めてだったかも。
草原のなかに点在する、平屋で壁も屋根もトタンでできた宿舎は、もう使っていないので所々錆びていた。
ボロい梯子を見つけ軒にかけ、踏み抜かないよう慎重に屋根に上ってみた。
勾配屋根に寝ころんだのも初めてだったと思う。
青空で飛行機が飛んでいた。
飛行機が飛び去ったあとは青一色。
明るい一色の空をずっと見ていたら、目の縁から中央に向かってビームが出ているような模様が見えた。
なんだったんだろね
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