【3000文字チャレンジ】21時の魔法使い~よろしければ萩本欽一さんのお話をしませんか?~
3000文字チャレンジ! 第110弾!【笑】
小学生の頃、私には2人の魔法使いがいました。
当時の私は学校が大キライでしたが、彼らのおかげで「今日は頑張ろう」と何度思ったかわかりません。
一人目は漫画家の新沢基栄さん。彼の名前だけで「奇面フラッシュ!! 」のワンシーンが頭に浮かんできた方とは是非お友達になりたいです(笑)。そう,新沢先生は「週刊少年ジャンプ」で連載していた「ハイスクール奇面組」作者さんです。(「3年奇面組」も覚えている方とは固い握手を交わしたい‼️)
ある程度の世界観を理解すれば、すぐに楽しめるのがギャグ漫画のいいところですよね? 私は兄のジャンプを勝手に読んだ時に奇面組に出会い、あっという間にファンになってしまいました。あ、一番好きだったのは「番組」の似蛭田妖くんでしたが…(笑)。
そしてもう一人は「欽ちゃん」こと萩本欽一さんです。
私は昭和46年生まれ。小学生の頃は「スター誕生‼️」や「家族対抗歌合戦」など…色々な番組で欽ちゃんの姿を目にしていました。
その中で私が大好きだったのは「21時の欽ちゃん」です。
同年代の方でしたら、覚えていらっしゃるでしょうか?
・月曜日「欽ドン」
・水曜日「欽ちゃんのどこまでやるの」
・金曜日「欽ちゃんの週刊欽曜日」
…という番組がそれぞれ21時に放送されていたことを。
一時期は火曜日の21時にも「欽ちゃんのそーっと歌ってみよう」という番組が放送されていましたから、7日間のうち4日が「欽ちゃんによるバラエティ番組」だったのです。よくよく考えると凄いことですよね。
「欽ちゃんのそーっと歌ってみよう」が新番組としてスタートする時、当時(1983年)の新聞に記事が載っていて、見出しに「9時の王様」と書いてあったのを今でも覚えています。
でも私にとって、欽ちゃんは「王様」というよりは「魔法使い」でした。だって昼間に嫌なこと(大体が女子グループ絡み)があっても、21時に私を思いきり笑わせてくれたのですから。
「3000文字チャレンジ」第110弾のお題は【笑い】。…と、いうことで、今回はお題を見て真っ先に思い浮かんだ萩本欽一さんのことを書かせて頂きます。萩本欽一さんの番組を観て子供時代を過ごした方もそうでない方も、よろしければどうぞ。
月曜日21時の「欽ドン」。私が一番好きだったのは「良い子・悪い子・普通の子」の時代でした。番組から誕生した「イモ欽トリオ」のデビュー曲「♪ハイスクールララバイ」が大好きだった私。でも、親に異性の芸能人が好きなことを話すのが何となく恥ずかしくて、レコードをねだることができませんでした。しかし偶然聴いたNHK・FMでこの曲の録音に成功!そのおかげで今でも2番まで歌えます(笑)
「欽ドン~良い子・悪い子・普通の子」は視聴者からの投稿で作られている番組でした。私も「欽ちゃんにハガキを読まれたい‼️」と思い、一生懸命考えたネタを投稿しようとしましたが、兄に「内容がつまらない」と言われて断念したなー(/_;)/~~。今、思うと本当につまらなかったので、投函しないでよかったのですが…。
また、この番組では「え? この人が⁉️」という女性タレントさんをレギュラーとして起用。歌手の中原理恵さん、女優の志保美悦子さんが、欽ちゃんの奥さん役でお茶目(あえて死語)な演技をするのがおかしくて、私はお2人のファンになりましたね。とくに中原理恵さんのはじけっぷりが凄かった。この人本当に「♪東京ららばい」を歌っている人と同一人物?…と。
水曜日21時の「欽どこ」は、萩本家の「日常」を軸に繰り広げられているバラエティー番組。共演の真屋順子さんとの息がぴったり過ぎて、一時期は欽ちゃんの本物の奥さんと勘違いしていたことも…。
わらべの3人組。見栄晴さん、「村の時間」のアナウンサー役の斎藤清六さん館が出演していた頃が一番好きでした。中でも「黒子とグレ子」役の関根勤さんと小堺一機さんが最高でした‼️ お2人のやり取りはあの頃から面白かったですね。
※ちなみに関根さんの衣装は一般的な「黒子」。小堺さんの衣装はグレーだったことから「グレ子」と呼ばれていました。
そして金曜日21時の「週間欽曜日」。
私はこの番組で風見しんごさん(当時は風見慎吾さん)の大ファンになりました。
イモ欽トリオのレコードは恥ずかしくて親にお願いできなかったのに、風見慎吾さんの時は早々にカミングアウトしましたね。「お母さん、私、風見慎吾くんのファンになったから、クリスマスはLP レコード欲しい‼️」と…。
その時に買ってもらったデビューアルバムはLPではなくカセット ‼️ 時代ですね(笑)。一時期はこのテープばかり聴いていました。
風見慎吾さんの番組での持ちネタは、デビュー曲のタイトルにもなった「僕、笑っちゃいます」でしたが、若旦那役でのフレーズだった「つんつるて~ん♪」も好きでしたね。
「週間欽曜日」の人気コーナーの一つに「欽ちゃんバンド」がありましたが、ほとんどのメンバーが初心者状態だったらしいです。リーダーの欽ちゃんもその一人で、木琴(鉄琴だっけ?)に目印をつけて演奏していたらしいですから。
それだけでも大変なのに、目の前のお客様や視聴者を笑わせなければいけない…。テレビの中ではおどけている欽ちゃんですが、お笑いに対して人一倍ストイックな方だったと何かの記事で読んだことがありました。(うーん、確か「明星」か「平凡」の風見慎吾さんのインタビューだったかなー? )
欽ちゃんは私達に笑いを届けてくれる魔法使いでしたが、自分に対して魔法を使うことはなかったのですね。きっと凡人には想像もつかない努力を積み重ねていたのでしょう。
私が小学生の頃、家にビデオはありませんでした。持っていない家庭の方が多かったです。だからテレビを観るのはある意味「勝負」‼️ 。見逃したら終わり(泣)。そして放送中はトイレに行きたくなってもなるべく我慢していました(笑)
「ビデオ?古ぅ。DVD・ブルーレイレコーダーが当たり前じゃん」の娘達に、あの時代の話をすると「録画が出来ない環境なんて、信じられない(驚)」とのこと。
「ウチにビデオがあれば、欽ちゃんの番組を繰り返し観て、何度も笑えるのに‼️ 」 …と思っていたあの頃。でも「一度きり」だからこそ番組を選ぶのも真剣、観るのも真剣、笑うのも真剣でした。(大げさに聞こえますが、私、かなりのテレビっ子だったので)
そんな「一度きり」だったはずの欽ちゃんの番組をン十年ぶりに観る機会がありました。
「スカパー!」 での放送です。
やったー‼️ 楽しみ‼️「スカパー!」契約していてよかった‼️ と思った瞬間でした。
そんなこんなで録画の準備をして、わくわくしながら放送時間を待っていた私。
でも…、笑えなかったんですよね。
あれ? あんなに大好きで大笑いした番組なのに…と不思議でした。「懐かしい‼️」と感激はしたのですが…。
テレビ画面と私の間に「時代」が隔てている…と感じました。そして私自身も色々変わったのでしょうね。録画したものは一度も観ることなく消去。笑いにも「鮮度」があることを実感した出来事でした。
(余談ですが、ブック〇フで立ち読みした「奇面組」も同じように隔たりを感じました。「コマの割り方がなんか昭和だな~」と…。)
ちょっと残念でしたが、欽ちゃんは今の私にとっても「魔法使い」であることに変わりありません。あの時大笑いしたことは思い出と共に真空パックされていますから。
ウィキで確認をしたら、欽ちゃんはもう79歳!! お身体に気を付けて時々はテレビで元気な姿を見せてほしい…と49歳のオバサンは思っています。
※最後に…これは私の記憶「のみ」で書いておりますので、間違いがあるかもしれません。その時はゴメンナサイ。指摘してくれれば嬉しいです。