「先生、いつ死ぬの?」

だって先生、ガンなんでしょう、いつ死ぬの?

小学4年生の、ただ純真無垢で善悪も伴わないその質問に、先生はひとしきり豪快に笑った後、「さあねえ、お前が死ぬまでには死んでるよお」と後ろにいるその子が死ぬ前に死ぬであろう娘を気にしながらその子の頭をぐじゃりと撫でていた。

父は「先生」と呼ばれて30年余りになるらしい。15年前までは母も父も先生だった。15年前に母が去ってからは父が1人教鞭を振るう。教鞭と言えど何か為になる勉強を教えるのではない。
父も母も「絵画教室」の先生だ。かと言ってブルーピリオド某のような美大へ行くにはなんとやらという教室でもなく、ただただ子供達が自由に自らの作品を描き、「うわーいいねえー」と先生が褒める。そんなゆるい教室だ。
「こんにちはー」と意外にも今風の子供が入ってくる間借りの公民館はいつもいつも湿気と木の匂いがしていた。

最近の子でも、挨拶はできるんだなと思いながら、私はペンキを混ぜこねっていた。30年近く父と母の教室を見続けながら私がその輪に入ったのは1ヶ月前だった。
「がんになっちゃった」と笑う父親の背中は別にその前から小さく見えたし、別に今更がんになったところですぐ死ぬわけではないのに、私は果たして1人になると感じた瞬間に過呼吸を催し、父の検査している傍で看護師に脇を抱えられていた。
そこから瞬く間に弱っていく父親の様をまざまざと見せられ、私はもうこれは先生のお手伝いをする他なかったのだ。

先生。
先生はずっと先生で、苗字も何もなく先生だ。
小学校の先生も、中学、高校の先生も、その教え子たちからすればずっと先生。

先生に、質問すれば、いつも明確な答えが返ってくる。
だって先生なのだから。教える人なのだから。

先生が死ぬという、先生がいなくなってしまうというのはどんな気持ちなのだろうか。
高校生のときに、学級崩壊ぐらいのクラスの担任の先生が何かの病でなくなってしまった。何かの病というくらいなので、本当に覚えていない。

生徒にしては、先生というものは重くかつ薄く
何年も先生と呼ばれているときっと生徒も薄いのだろうか。

先生、棺桶の周りに添えられた色とりどりの、子供達が描いた絵は
別に先生を思って描かれたものじゃなかったですよね。

先生、先生。どうして死んでしまったのですか?
先生、先生、どうして未成年の娘を残してしまったのですか?
先生、先生。先生の後を継いだ先生は、私ではなくあなたが忌み嫌った元夫ですよ、先生。

先生、私はそんなあなたの忌み嫌う人と、その後15年を共にしました。
先生。そんな元夫が、あなたの元夫で私の父が、今死にそうです。

いつ死ぬの?って聞いたら答えてくれますか先生。

もうひとりの先生が、「まあ、まだだよ」と笑って、嘔吐をしながら、トイレに立つにも一苦労で、もう、まだだよが、嘘に聞こえます。

先生、先生は、いつ死ぬのですか。
私は、先生が死んだ時と、犬が死んだ時と
家族の死を、予告があったからと言って受け入れられないかもしれません。

先生教えてください。先生。



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