母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思ったを読む前にもう遺骨を食べていた
だから同じ思いの人間がいることに、わたしはひどく感心してしまった。
何ならこの話は墓場まで持っていくつもりだった。人間の骨を食べるなんて、きっと私はどうかしてしまったのだと思った。
そしてこの本も、映画も、怖くて見れないというのが本音だ。
わたしの母が死んだのは高校一年生の時だ。
本当に瞬く間に倒れて、またたきもせずに死んでしまった。
最後の会話も、虫の知らせも、四十九日の間に起こる不思議な体験も、何もなかった。
その日はテストで、母に朝起こしてくれと前日の夜に頼んでいたのだが、翌朝になっても起こしてくれなかったことに腹を立てて、朝ごはんも食べずに学校へ行った。
母は体調の悪そうな顔をしながらチーズの入った卵焼きを作ってくれていた。
通学路で友人に会って、今日がそのテストの日ではないことを知り、母に「ごめん!今日テストじゃなかった😭」とメールを送った。
送信できませんでした、と回線の都合か何かなのかエラーメッセージが出てしまい、ああじゃああとで送りなおそう、と私は携帯を閉じた。
それきりだ。
だからわたしは、母に謝りもしてないし
だからわたしは、最後に何を話したとかも何も覚えていない。だって母が死ぬなんて思ってもいないからだ。
あっという間だった。
人がたくさん来て、私を慰め、抱きしめ、側にいてというと側にいて、帰って欲しいと伝えると帰ってくれた。
祖母はもうずっと母の手を握っていたし、犬はずっと母の遺体と寝ていた。
苛立ちしかなかった。
お化粧をしてあげても良いかなという母の友人や、私を気遣ってご飯を届けてくれた友人の母、葬儀を手伝ってくれた塾の講師たちと、クソみたいなポエムを綴るクラスメイト。
何もわかるはずもない幼馴染、ともだちがひっきりなしに私を気遣ってくれる。
君たちは、お母さん、いるじゃないか。
それから、ICUから出ることもなく行ってしまった母に泣いて縋り付く既婚者の母の友人とかいう知らない人。
絵画教室の教師をやっていた母の棺に入る子供達が描いた色とりどりの絵も、何を汚いものを入れてくれてるんだと苛立ちしかなかった。
あの時期の感情は、苛立ち以外に何もなかった。
死んだ母にも、母の葬儀をまるでお祭りみたいにする無遠慮な母の兄にも、「鎮魂のギターを弾きますよ」という宗教の女にも。
そこからの記憶は無くて、気づいたら火葬場で私は人並みに泣いていたし、父親は居た堪れなかったのかその場にいなかった。
まるでドラマみたいだな、と思いながら
「あ、きっとここで泣けるのは私だけなのだ」と随分俯瞰的に見下ろしていた。それからちゃんと泣いた。
あまりにも私が泣くものだから、親戚のお姉ちゃんが「どうしたの」と慰めてくれた。
どうしたの?とは、と。突然我に帰った。
家に帰って来てから、すっかり一人になった。葬儀が終わって、親戚も友人も知人も宗教の女もいなくなった。
どうしようもない事がやっと分かって、足の先から痙攣してゲロを吐いた。
犬は母がいないことをもう察していたのかずっとわたしと寝ていた。
それからきっと、ずっと寝ていた。
母が寝ていた布団を捨てるとか、母のベッドを退かすとか、大人がそんな話をしていた。
親戚の家に住めだとか、家はどうするんだとか、そんな話をよくされたし、なぜか家庭裁判所にも行った。
全部がふわふわとしていて、私の知らないところでわたしのことが決められていて面白いな、と思った。
四十九日は、人が思っているより長い。
ここからとても記憶がはっきりしている。
納骨の前日に、白い骨壷の袋を剥がした。
初めに袋についている紐を引っ張ったが取れなくて、桐の箱にかかっている牛乳パックみたいな形の白い厚紙は、桐の箱に被せてあるだけなのだとそのとき知った。
隣の部屋で寝ている父親にわからないように、静かに静かに蓋を開けて、更にまだ蓋があるのかと思った。
骨壷をどうやって納骨するかなんか知らなかったので、紐の結び目やふたの位置までしっかり覚えてから蓋を開けた。
目一杯入っていた骨壷の上にある骨をひとつふたつ手に取って、それを食べたのだ。
別に何の味もしなかった。
骨は粉っぽくて、ざらざらしていた。
握った手に粉がたくさんついたのを布団で拭った。飲み込むのは容易かったが、塊が気持ち悪かった。
口に入りきらなかった骨を押し入れの淵で砕いて、香水のサンプルとかを入れてた瓶に入れた。
少しこぼれてしまったから、ティッシュで拭いて捨てた。
それだけ。
母を取り込みたいとか、母を忘れたくないとか
スピリチュアル的な感覚とか、そういうのはきっとなかった。
ただ単に、わたしは骨を食べてしまった。
それから思い出したけど、その残りの小瓶は今実家のどこかにある。
超常現象的なこととかを望んでいたかもしれない。死者に会えるとか、何かを感じられるとか、それを望んで食べたのかもしれない。
でも母にも会えないのは分かっていたし、理性も知性もあったから死を理解はしていたのだ。
現に私の夢に出てくる母は、最初から最後まで死んでいる。
だから「食べたい」とは思わなくて、本当に自然な動作だったんだろうと思う。
「食べなきゃ」でもなかった。
どこかに出かけている時、友人が何となしに差し出したフリスクを特に今はいらないけど別に口に入れる分には害はないから、ともらって口に放り込んだ。
と同じぐらいの感覚でわたしは母の骨を食べた。
ただそれだけだ。
その10年後に、わたしの犬が死んだ。
骨は食べなかった。
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