
「ヤマガタでまた会いましょう」を叶える前夜。
いよいよあさってから、連休を利用し2泊3日でヤマガタ入りする。
2013.2015のYIDFFぶりのため、8年ぶりの訪問となる。
(その間も1度訪問を試みたものの、当日台風で断念したことも……)
初めて参加した2013年は大学1年生。
夜新宿駅から夜行バスに乗って、(数名ギターを抱えていたら怒られたりもして)明朝は早く到着して時間を持て余したことがなつかしい。

会期の1週間、素泊まりの民宿で大学の仲間と滞在。
朝から映画、昼も映画、夜も映画(とお酒)な日々は、長く濃く、過ぎ去れば一瞬の出来事のよう。
2回の訪問は、大学の授業の一環。
入学して間もない学科オリエンテーションで、きらきらした瞳でわたしたちをヤマガタへ誘ってくれた恩師 道場親信教授の存在がきっかけで。
大学入学当時のことなんてもうおぼろげだけれど、あの瞬間は鮮明に焼き付いている。
彼は小川プロ(成田空港闘争を描いた「三里塚シリーズ」を撮った、YIDFFの黎明期をつくった存在)の資料整理の仕事をしていたことからYIDFFを知り、2009年以降参加していたようだ。

2015のYIDFFの翌年、2016年秋に戻らぬ人となる。
わたしはほぼ最後の教え子のひとりとなってしまったのだ。
今年存命であればまだ56歳。

2015YIDFFの報告書を作り終えてから間もなく休職に入り、このような結果となったため就職先が決まったことも、あんなに楽しみにしてくれていた卒論を見せることも叶わなかった。


今年、YIDFF事務局へ取材できたことを知ればいちばんに喜んでくれたことは想像に容易い。天国から見ていてくれているのだろうか?

要するに、わたしは与えられてばかりで何も返すことができなかった。
確かな形で継承していくために、発信という方法で道を探っていきたい。
少しづつでも、地道でも必ず見てくれている人がいることを知っているから。
明確な答えなんて、すぐに出なくても良いのだ。
すぐに出ないからこそ面白いのだと彼から学んだからだ。
第2の故郷と言えば良いのか、青春が凝縮された場所と言えば良いのか、
とにかく20歳前後でYIDFFを知った経験は、後の人生を大きく左右することに。
初訪問したときから早10年。
29歳のわたしは、来年30歳の一区切りを迎えるにあたり20代でやり残したことはないか考えた。
細かいことを羅列すれば色々あるかもしれないが、ヤマガタに行ければあとは案外どうでも良いかも。
今回のYIDFFも、きっと多くの良い作品や人に出会う。
久しぶりのリアル開催、待ち焦がれた人々が国内外から累計何万と集まるのだ。
必ずわたしの人生の大きなターニングポイントとなってくれる。
期待せざるを得ない魅力がヤマガタにはあるのだから。
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