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「私を束ねないで」新川和江 【詩】
私は高校から細々と合唱を続けている。この詩集の題名にもなっている「私は束ねないで」は、木下牧子によって女声合唱曲集『わたしは風』の中の一曲としても作曲されている。合唱曲「私を束ねないで」を通して初めて新川和江の詩に触れたわけだが、ピアノ伴奏と歌詞の内容がひどく気に入り他の詩も読んでみたいと思い詩集を購入したのがつい先日のこと。
詩集は装丁(恥ずかしながら「そうちょう」だと誤って覚えていた時期が。)の凝っているものも多く、それなりに値が張るのでそう頻繁に買うわけにはいかない。しかし、一つの詩集から自分に響くものを一つでも見つけることができれば一生の宝になるだろうと自分に言い聞かせて買うようにしている。もちろん青空文庫で読める詩もあるが、やはり本として手元に置いておきたいと感じるのは私だけだろうか。本の値段といえば、大学に入って学術書の値段の高さには驚かされた。
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,や.いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
他者からの「名付け」に窮屈さを感じた経験を想起。いつしか内面化された「名付け」が自分自身で自分の限界を決めてしまう。「私はこういう人間だから」と異なる価値観や性別の人と関わろうとしなかったり、向上心を捨てて諦めていた中高時代の自身を回想し、自分自身になんと窮屈で勿体ない生き方を強いていたのかと反省。もちろん精神衛生上苦手な人と距離を取るということは心の健康を保ちながら社会で生きていくうえで不可欠なのでしょうが、容易に他人にレッテルを貼って遠ざけることはせずに、旅行や他者との交流、小説を通じて他者の人生をなぞることを通じて心を豊かにしていきたいと思う。