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俺の歌を聴け
今日はライブの感想を残しておこうと思います。
ヘッダーの写真から、わかる人にはわかると思いますが、マクロス7の30周年を記念したライブに参加して来ました。
私がチケットをゲットできたのは、2daysのうちの1日目だけでした。
本当は両日参加したかったんですが、2日目は抽選で落ちました。
明日(投稿時間によっては今日か)、参加される方がいたら、楽しいのは約束されているんで、大声出して一緒に歌ったりとかして記憶に残る、心に残るライブをぜひアーティストと一緒に作ってください。
さて、ここからはライブのネタバレにならないように配慮しつつ、思い出話を交えながら、感じたことを残していきます。
はじまりは日曜日の朝
私とマクロス7との出会いは、小学生のときだったと思う。
当時は日曜日の11時台という少し微妙な時間に放映されていたと記憶しています。
マクロス7の主人公は熱気バサラという名前のロックバンドのボーカリストで、戦闘兵器であるヴァルキリーというロボットに乗りながら、一切戦わずにマシンガンのような銃から発射されるスピーカーを利用して、所構わずジャイアンリサイタルを始めるような奴です(笑)
当時の自分はこの戦わない主人公に憧れて、ヴァルキリーの代わりに、自転車に乗りながら、俺の歌を聴けと所構わず歌いながら街を走るガキでした。
多くの男子がそうであるように、私もアニメに影響される多感な時期が過ぎると、リアルを生きるときが来ます。
中学、高校と学年が上がってくると、受験や何だと将来を考えるようになるからね。
しかし、マクロス7との再会は突然、思いもしない場所で訪れます。
大学受験を終えて、少し穏やかな時間を過ごしていたときに、何気なく立ち寄った近所のブックオフで、DVDを見つけて懐かしさの余り手にしたことをきっかけに、大ハマりをし、漠然と音楽で生きていきたいと思うようになり、一人でカラオケに行っては毎日歌を歌い、オーディションを受けるような日々が始まりました。
結局、音楽で生きていく夢は破れて、普通の会社員になりましたが、今の医療機器のエンジニアになったのは、少なからずマクロス7の影響があったからです。
この地球で今も起きている戦争に巻き込まれている人たちが、少しでも安心して生きていけるように、環境を整えたいと思ったから。
争いからは何も生まれないし、争いの先にあるのは、悲しい未来だけだから。
少しでも安心して、笑顔を作れる場所を守ってあげたい。
それが、今の職種に就いたきっかけです。
音楽は言葉の壁を越える
さて、ここで皆さん突然ですが、フィリピンパブで歌ったことはありますか?
(いきなり何を聞き出したんだ?)
私はあります!!
それも、シンガポールのフィリピンパブで(笑)
何でシンガポールで歌ったことがあるのかは、私の自己紹介noteとも関係してくるので、一旦ここにリンクを置きます。
興味ある方は、こちらも読んでくださいw
最近では徐々に一般化して来ている面もありますが、私は過去に複数回、転職をしているジョブホッパーです。
過去に5回転職していて、今は6社目の企業に在籍しています。
私が医療機器と関わりを持つようになったのは、2社目以後で、在籍する企業によって、メンテナンスする装置は診療科ごとガラリと変わりますが、約10年ほど、この業界に身を置いています。
そして、3社目が私にとっては、初めての外資系企業で、フィールドサービスエンジニアとして入社した社員は、シンガポールで製品の技術研修を受けるような企業でした。
シンガポールでの研修は割と長いもので、入社したタイミングでの最初の研修では、2週間滞在することになるのですが、一緒に行った先輩に連れられて、シンガポールのフィリピンパブで歌うことになります。
留学経験の無い純ジャパの私は受験のときは、英語が得意科目であったものの、流暢に話せるレベルになく、フィリピンパブで楽しげに会話している先輩を横目に、とりあえず場を盛り上げようと、カラオケを歌い始めたら、思いもしない形で音楽って言葉の壁を越えるんだなってのを実感します。
俺の歌がね。。。
届いたんですよ!!俺の歌が!!!
いや、マジで。あれは独りよがりの思い込みではなかったはず。
少なくとも、そのカラオケがきっかけで、店のママや女の子と仲良くなれたので。
その店のある女の子とは、その後、一緒に食事したり遊びに行ったりするようになり、それがきっかけで少しずつ英語も話せるようになりました。
流暢なレベルではありませんが、拙い英語でも自分の考えを伝えられるようにはなった。
中学高校大学の約10年間を、たった2週間で超えるので、下心(爆)もバカにはできないです。
(女性の皆さん、ごめんなさい。)
コロナ禍や自分の転職もあり、シンガポールとは縁遠い感じになってしまいましたが、
またシンガポールに行きたいし、お世話になったあの店へ顔を出したいと思っています。
果たして争いのない世界を作れるのか
さて、話を徐々に戻して行きたいですが、
普通の会社員である私も音楽は言葉の壁を越えると実感するエピソードがあるくらい。
国や文化の違いというものは、みんなが思っているよりも小さく、お互いの関心のあるものを共有できれば、簡単に越えることができるんです。
私は争いのない世界を作ることは、不可能では無いと思っているし、きっと私たちは世界中のすべての人と分かり合える。
きっかけが一つでも掴めれば。
昨日のライブでも、バサラやミレーヌの変わらない歌声が聴けて、当然のように海外からのお客様もいて、マクロス7の楽曲を通じて、あの空間が一つになっていた。
まとめ
マクロス7が30周年。
昨日のライブで歌バサラこと、福山芳樹さんが今年で61歳だと言っていた。
30年変わらずに、バサラの歌声を守ってくれたことには、本当に感謝の言葉しかない。
だって、30年って小学生がオッサンになるくらいの時間だもん。
歌を歌い続け、あの当時と変わらない音を作れるってもう意味がわからないよ。
自分が少なからず、音楽の世界に足を踏み入れようとしたことがあるから、本当に凄さがわかる。
アニソンやバンドの世界には、あのレベルのボーカリストがゴロゴロいる。
偉大な先輩が今も現役でいるから、若手のアニソンシンガーやバンドマンは本当に大変だと思う半面、ファン側から見ると日本に生まれて良かったと思う(笑)
去年は熱気バサラのリアルバースデーもあったよね。
熱気バサラの誕生日は、2024年8月15日。
8月15日は終戦記念日です。
日本の学校教育、特に近現代史はカリキュラム上、後半に来ることが多く、どこか駆け足で終わってしまうけど。
終戦記念日という表現は日本から世界を見た目線の話で、韓国やシンガポールからすると、日本からの独立記念日だったりします。
時間は巻き戻せるものではなく、確実に前へ進んでいくものだからこそ、人の記憶や感情は薄れて行くし、戦争に対する理解も変化して行く。
アメリカではトランプ大統領が再選し、日本にも不必要に分断を煽ろうとする人が増えた。
対立することからは、何も生まれないし、悲しい思いをする人が増えるだけだから、この負の連鎖が早く終わることを切に願っています。
昨日のライブで、改めてみんなと世界平和について考えたくなったので、結びの言葉として、この言葉を残します。
「Forgive, but never forget.」
シンガポールの初代大統領が日本と国交を復活させるときに述べた言葉です。
意味は「許そう、でも、決して忘れない。」
腹の中はいろいろ、人それぞれ考え方や育った環境が違うので、日本人同士でも争いが起こることはある。
それでも、地球は一つしかないし、この社会は一人では生きていけないものなので、私は対立を煽るのではなく、相手を受け入れる、許すことから、関係を構築することを始めたい。
この世界から真に争いがなくなり、世界中の人と分かり合える日が来ることを願って。。。
今日は歌うか!!
(歌うんかいw)
ここまで長文を読んで下さり、誠にありがとうございます。
今後も不定期にはなりますが、積極的に記事を投稿していきたいと思いますので、フォロー、スキ、コメント等をして頂けると嬉しいです。
この記事が少しでもマクロス7を知るきっかけに、身近な争いについての解決策を考えるきっかけになることを望みます。
最後まで読んでくださり、ありがとう御座いました。
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