3歳児神話と、藤井風と、ピアノと。
3歳と数ヶ月の娘が、ピアノを習い始めました。
これによって、私は肩の荷が降りた気がしています。
荷とは何か。
それは私が勝手に背負っていた「3歳で何かを始めた方がよいのでは」というプレッシャーです。
何らかの能力に秀でている人のプロフィールを見ると、3歳から始めていることが多い(気がする)のです。
以下、私の脳内メモリに居座る、何の検証もしていない「らしいよ。知らんけど。」な情報。
運動神経の発達は3~6歳ごろにかかっている
絶対音感を身につけるには3歳からトレーニングすべし
太る遺伝子は、3歳までにできあがるため、食べ物に注意した方がよい
性教育は3歳から始めるのがよい
3歳ごろから他者の違いを認識するようになる。多様性の教育はこの頃からがベスト
他にも色彩のセンス、言語の発音などなど、挙げればキリがない。
これらの真偽はさておき、脳が急激に発達する幼児期に何か始めるのが悪いことでないのは、もはや確実なように思えます。
情報収集する中で繰り返し目にする「3」という数字に、いつしか「3歳」は、何かの能力に秀でるか否かのそのターニングポイントかのように思えてきていました。
だからずっと、私は娘が3歳になるのを恐れてました。
我が子が大きく成長する大切な時期を逃してはいけない!!
と勝手に背負ってしまっていたからです。
そうは言いつつ、娘がやりたくないことを無理にやらせたくはない。
興味を持ったものをやればいい。3歳になったら夢中になるものが1つや2つあるだろうし…と思ってました。
甘かった。
3歳になった娘、広く浅くタイプだった…!
歌も好きだし、お絵かきも好きだし、ダンスもパズルも絵本も好き〜!
動物も好きだし、恐竜も好きだし、宇宙も気になる〜!
ど、どれにしたらいいの?
体験教室に行って試してみればいいのだけれど、いかんせんとっかかりがない。
そしてここはアメリカ。習い事教室を探すのも、体験を申し込むのも、とてつもなくめんどくさく、ついつい腰が重い私…
そんなある日、事件(おおげさ)は起こりました。
藤井風のYouTubeを見たんです。
きっかけは、同僚が会話中に言い放った
「いやそれ藤井風じゃん」の一言。
???
意味が理解できない私。
「どゆこと?」
同僚曰く、藤井風が「なんなん」という曲を出しており、彼のアイコニックな曲でもあるので「『いやそれなんなん』という意味で言った」とのこと。
何その表現!めっちゃいい!!
元来、変わった表現や言葉のチョイスが大好きな私にメガヒット。自分も使いたい!
となると、名前しか知らない「藤井風」をもっと知らねばなりますまい。取り急ぎ彼のYouTubeチャンネルで「なんなん」を視聴しました。
え、めっちゃいい…
しかも彼のチャンネルには、中学生時代の弾き語り動画も残されており、幼い頃からすごかったんだなあ、と感嘆しきり。
どんな人生を送ってきたのだろう、と気になってWikipediaで彼の略歴を見てみました。
なんとそこには
と書かれていた。
なんなん!!!
やっぱり、3歳なん!!!
ということで、藤井風によって私が勝手に感じている「3歳児神話」のプレッシャーは、より強くなったのでした。
「なんなん」をきっかけに調べた藤井風に「なんなん」と思わされたことを誰かに伝えたく、こんなに文字数を使ってしまった。むしろこれが主題と言っても過言ではない。
さて、
ひょんなご縁からピアノレッスンを開始した娘。
進捗ゼロだった「3歳で何かを始めた方がよいのでは」問題が前に進み、想像以上にほっとした自分がいました。
全然大したことないんですが、一歩踏み出せたことが嬉しかったんです。案ずるより産むが易し。
3歳児神話なんて、どこにも存在しません。私が勝手に作り上げただけ。
でもきっとこれからも私は、色んな場面で勝手にプレッシャーを感じて勝手に自分に呪いをかけてしまうのだと思います。
それは恐らく、娘にとって「良い親」でありたい、と思っているから。
これは他の場面でも起こり得ます。良い妻でありたい、良い娘でありたい、良い友人、良い同僚、良い先輩後輩…
つまりは人間関係全般に起こり得る「呪い」。
「そんなもの、正解はどこにもないのだから、考えるだけ無駄だよ。」と頭ではわかっています。
でもついつい勝手に呪われてしまうのが、人間の性なのではないでしょうか(突然の主語肥大化)。
できれば呪いにはかかりたくないけど、難しい。だから「自分で自分に呪いをかけちゃってる」ってことに自覚的であれば、少しは心が軽くなるのかな、と思っています。
余談。
1回30分で始まった娘のピアノレッスン。
3歳児が30分集中できるはずもないので、娘は15分持てば上出来。娘が飽きた後は私がレッスンを受けてます。笑
しかし4回目のレッスン当日、夜にあまり眠れず機嫌が最悪だった娘は「ピアノ、行かない!!!」と強く主張します。
手を尽くすも効果なし。「これは行かせても無駄だろう…」と、夫と判断。私が一人で行きました。
ピアノは時期尚早だったかなあ…とレッスンを受けて帰宅すると、号泣している娘。「え、どうしたの?」と聞くと「ピアノしたかった… ○○先生のところ行きたかった…」とのこと。
えー!タイミングーーーーー!!
嫌ではないということがわかったので、もうしばらくは続けてみようと思います。
以上、藤井風に「なんなん」と思わされた話でした(そうだっけ)。