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ブラジル・ゴイアニア/オランダ・アムステルダムのPedro Kastelijnsにインタビュー(と称した友達作り)|ピュアな不協和音、サン・ラー × バイレ・ファンキ、家を建てる


はじめに

「インタビュー」の名目で気になる人と話をすれば友達を増やせる。閉店間際のガストでカルピスとトロピカルアイスティーを混合させたオリジナルドリンクを片手にGoogleドキュメントを編集している最中、天啓のように閃いた名案です。

ライターという立場を使ってアーティストとお近づきになり、半ば職権を濫用して懐に入り込み、親睦を深めながらお互いを確認する。したい。自分だけできてないのはズルい。だからする。これは休日をPCとの睨めっこで消費するだけのライターが寂しさを埋めるための不定期インタビュー連載です(書きながら思ったけど、そうして実施したインタビューをまとめるためにPCとの睨めっこをまたすることになる。ガストの滞在時間はますます増えていく)。

今回はブラジルのゴイアニア出身、現在はオランダのアムステルダムを拠点に活動しているペドロ・カステリジンスPedro Kastelijns)に話を訊きました。2019年の暮れにリリースされたキノコのジャケットの1stアルバム『Som das Luzis』はトロピカリア〜MPBとネオサイケが密教的に邂逅した怪作として話題になり、BamdcampのAOTD(Album of the Day)を瞬く間に獲得。日本でも猫街まろんさんのツイートを起点に拡散、僕も一瞬でノックアウトされて後にレビュー記事を書きました。懐かしー

そして数年の沈黙を経て、2024年に最新作『Construção』がリリース。錯乱状態で庭園を彷徨うような『Som das Luzis』とはうって変わり、ソフィスティケイトされた軽業的なストレンジ・ポップに仕上がった本作。話を訊くと、彼はジャズ〜ヒップホップからの影響と共に、ブラジルの都市景観からインスパイアされたらしいです。ブーガリンズをはじめとしたブラジル・ゴイアニアのインディーバンドとの交流や現在彼が所属しているというアムステルダムの即興音楽シーン、さらにはアルバムに影響を与えたドローイング体験までたっぷり答えてくれました。途中にはペドロが送ってくれた自撮り写真も挿入されています。

ブラジル・ゴイアニア/オランダ・アムステルダムのPedro Kastelijnsにインタビュー(と称した友達作り)

ペドロ・カステリジンス(Pedro Kastelijns)
解像度よすぎ
Photo by Plano B(Biel Lara and Hugo Rezende)

「複雑な町」ゴイアニア

まずは生まれ故郷のブラジル・ゴイアニアについて教えてください。

ゴイアニアはブラジル中西部の内陸、ゴイアス州の州都だ。1933年に設立された都市で、この国の中ではまだ若い方なんだよ。暑い日が多くて、雨季と乾季の他にはハッキリとした季節の区切りがあるわけじゃない。個人的に、時間の流れが面白いんだよね。例えばラッシュアワーの激しい車の往来とか、信号待ちでコインを要求する人々とは対照的に、美しい夕日や頭上を飛び交う色とりどりの熱帯の鳥たちがそこにはある。ピュアな不協和音、そのコントラストと曖昧さ……複雑な町だね。

ゴイアニアの音楽シーンについても教えてください。あなたの1stアルバム『Som das Luzis』のキャプションにもあるように、ゴイアニアにはブーガリンズ(Boogarins)やルジルジア(Luziluzia)、さらにはカルネ・ドーセ(Carne Doce)といった素晴らしいインディ・ロック・バンドがいますよね。

そうだね。ゴイアニアでは「ブラジルのカントリー・ミュージック」とでも言うべきセルタネージャ(Sertaneja)が未だに人気なんだ。現在ブラジルのメインカルチャーであり、モノカルチャー型のアグリビジネス的メンタリティ( the monoculture agribusiness mentality)として祭り上げられている音楽だね。でも、それだけじゃないよ。例えばここ数年、地元のサウンドシステム文化と結びついたバイレ・ファンキのサブジャンルであるエレトロファンキ(Eletrofunk)が成長したんだ。

他にも、00年代初頭から活動しているロック・グループもいれば、ジョセフ・イ・オス・パラ・ハイオスJosefo e os Para-Raios)のような、サイケ・サウンドに傾倒した新しいグループも出てきた。テクノはゴイアニアで人気だし、ヒップホップ・シーンもアンダーグラウンドながら昔からある。ただまぁ、全体的に音楽シーンは小さくて、ライブハウスもほとんどないんだよね。

僕は10代の頃、ゴイアニアでブーガリンズやルジルジアやカルネ・ドーセが始動した、とても豊かな時期を過ごしたんだ。<Bananada>や<Goiânia Noise>、<Vaca Amarela>といった大きなフェスティバルが開催されて、全国から集まったバンドが集っていたね。ブルーノ・アブダラBruno Abdala)が企画した〈Propósito Records〉関連の即興コンサートとか、クールなD.I.Y.精神もあった。そのシーンが狭かったおかげで、僕はコミュニティや帰属意識を経験し、手元にあるもので何かをすることについて学べたんだ。その交流は今も続いていて、例えばブーガリンズのメンバーとは今でも連絡を取り合っているし、今回のアルバム(『Construção』)にも参加してもらったよ。ディーニョ・アルメイダが歌い、ラファエル・ヴァズがいくつかの曲でベースを弾き、イナイアン・ベントロルドのドラムもサンプリングしたね。

ブーガリンズの機材で録音した1stアルバム

1stアルバム『Som das Luzis』のキャプションには、「幼少期から大人になる過程で感じた世の中のプレッシャーに打ち勝つために音楽を始めた」とも書かれていました。発表から数年たち、今のペドロさんにとって『Som das Luzis』とはどのような作品なのでしょうか?

このアルバムは17~18歳だった当時の僕の、親愛なる美しき肖像だと思うよ。『Som das Luzis』は英語にするなら「Sound of Lights」。「Martin Cererê」が演奏されていたのカラフルなステージライトを観た時のことを思い出すよ。そこでは友だちが演奏していて、自分も音楽を作りたいと初めて願ったんだ。同時に、僕の初恋や友人たちとのパーティー、そして無邪気さを思い出させてくれる作品だね。

『Som das Luzis』制作時に熱心に聴いていたアーティストを教えてください。個人的にはテーム・インパラの1stアルバム(『Innerspeaker』)を思い出しました。

最もインスパイアされたのはブーガリンズの1stアルバム『As Plantas Que Curam』(2013年)。実は彼らがアルバムのレコーディングに使った機材のほとんどを『Som das Luzis』でも使用しているんだ。

その他にもアンノウン・モータル・オーケストラ、マック・デマルコ、トロ・イ・モワ、アリエル・ピンク、コナン・モカシン、グリズリー・ベア、ドゥンゲン、ディアハンターをよく聞いてたね。ブラジルでは「街角クラブ」の様々な作品をはじめ、カエターノ・ヴェローゾ、ムタンチス、トン・ゼーといったクラシックから、アヴァ・ホーシャ(Ava Rocha)、ネグロ・レオ(Negro Leo)、ルーペ・デ・ルーペ(Lupe de Lupe)、レ・アルメイダ(Lê Almeida)とか同世代のアーティストから影響を受けたよ。“Feitiços Tropicais”や“Olhos da Raposa”のような曲では、フライング・ロータスのようなアーティストも研究して取り込んだよ。

あなたはミュージシャンとしてだけでなく、イラストや詩の創作も積極的に行っていますね。どの作品も色彩豊かで、全体で「ペドロ・カステリジンス」という人物を形成しているように思えます。あなたの創作活動の原点となった、決定的な瞬間は瞬間は何でしょうか?

子供の頃に絵を描いていたことだね。僕の両親は郊外に住んでいて、大きな裏庭があり、外で遊ぶスペースがたくさんあったんだ。そこで僕は自分で何かを想像し、ゲームや物語を作り出していた。そして10歳になる頃には、プロの演劇家としてブラジルを巡業するようになったんだ。

音楽と絵の道を歩み始めた決定的な瞬間は、高校生の時だね。大人になって就職して、子供の頃に経験した魔法や遊び心を失ってしまうことに耐えられなかったんだ。この葛藤は2015年にリリースした初期レコーディングのコンピレーション『Raposa』に記録されているよ。

アムステルダムの「均質な風景」

もう一つの拠点であるアムステルダムについても教えてください。どんな街ですか?

アムステルダムはとても面白い町だけど、ゴイアニアとは正反対だ。アムステルダムは国際色豊かで、色んな国からたくさんの人が来て、英語を話しておけばなんとかなるような町さ。そしてゴイアニアとは違い、一年のほとんどが寒くて、雨風が強い。整然とした均質な風景は目まぐるしい生活や多忙なスケジュールとはミスマッチなものなんだけど、どこか村のような雰囲気も残っていて、それが大好きなんだ。ただ、この魅力的な雰囲気が多くの富裕層を惹きつけて、ジェントリフィケーションが支配し始めているのも事実。社会的にはドライなうえ個人主義的だし、人脈を築くのは難しいね。

シェアしてくれた自撮り①
シェアしてくれた自撮り②
シェアしてくれた自撮り③
これでもまだ一部

アーティストとしてアムステルダムから受けたインスピレーションについても教えてください。

とにかく活気があるよ。美術館やギャラリー、音楽会場やスペースがたくさんあり、世界中からアートや音楽が集まっている。ゴイアニアにいたら見ることのできなかったものをたくさん見て、自分の視野が広がった結果、作品が国際的な環境でどのようにフィットするのかを考えさせられたよ。

ただ、コミュニティを見つけるのには時間がかかった。状況が変わったのは2022年。アルバムを完成させて、ライブで演奏してくれるミュージシャンを探し始めたときだったんだ。ブラジルの即興演奏家でサトゥルノ・サントス・サムシングSaturno Santos' Something)のバンドリーダーやレーベル・コレクティブ〈KB〉の代表も務めているガブリエル・デ・オリヴェイラGabriel de Oliveira)に出会ったんだ。ガブリエルは僕にとってのドア・オープナーで、クールなライブに連れて行ってくれたし、qbaeという彼の現在のライブ・バンドも紹介してくれた。それ以来、僕は10代の頃にゴイアニアにいた時のように、クリエイティブな人々のグループの一員に再びなれたような気がしていたんだ。

ペドロとqbaeの面々
Photo by Giovanni Salice

現在、僕が所属しているグループは、オランダの即興シーンを中心に、型にはまらないポップスやフォークのプロジェクト、そして僕のようなジャズや実験音楽、さらには多くのサウンドや文化にインスパイアされた曲作りに熱中している。ベアトリス・スベルナ&ガブリエル・デ・オリヴェイラBeatrice Sberna & Gabriel de Oliveira)、メルキMelqui)、ツァラ・ザ・マシーンTzara the Machine)、インゴマ・イェシントゥIngoma Yesintu)、サラ・グイドリンSara Guidolin)、ヘレナ・カゼッラHelena Casella)、ザ・コレクティブ・ムーヴThe Collective Move)とかね。インスピレーションを与えてくれる素晴らしいミュージシャンたち、そして彼らとコラボレーションできることにとても感謝しているよ。

どうやって家を建て、どうやってその家に住むのか

──最新作『Construção』はどのように制作されたのですか?

『Construção』は2018年、僕が学んでいたリートフェルト・アカデミー(Rietveld Academie)というアムステルダムの美術学校のドローイング課題から始まったんだ。それは質問を書き出し、いくつか選んでドローイングで「答える」という内容だった。僕は質問のひとつである「どうやって家を建て、どうやってその家に住むのか」に対して土、レンガ、セメント、ポリ塩化ビニール管、バラバラになった体の一部などが建設中の家の中に同居するドローイングを制作したんだ。その結果に興奮した僕は、同じ方法を音楽にも応用することにして、その結果が『Construção』に向けたスケッチになったんだよね。

ドローイング作品①
'Pulo', gouache on paper, 20 x 30 cm, 2018.
ドローイング作品②
'Cuspe', gouache on paper, 20 x 30 cm, 2018.
ドローイング作品③
'Apoio', gouache on paper, 20 x 30 cm, 2018.

そして2020年、パンデミックの最中に全ての素材を持ち出して、アルバム制作に取りかかることにしたんだ。美術の勉強と並行して、ゆっくりと音楽を制作し、お互いに影響しあっていた。ビートメイカーが作ったビートにラッパーが吹き込むような形を想定して、全てのインストゥルメンタルをまず作り、2022年にブラジルへ4年ぶりに渡り、一気にボーカルを録音したんだ。その後アレハンドラ・ルチアーニAlejandra Luciani)と一緒にミキシングとマスタリングを行い、プロモーション用のビデオや映像素材を十分に集めた後、2024年の11月にリリースしたんだ。

──『Construção』の制作中、熱心に聞いていたアーティストはいますか?

ジャズ、クラシック、70年代のフュージョン、スピリチュアル、ファンク、ブレイクビーツ、80年代や90年代のチープな何か……手に入れられるものは何でも聞いていたんだ。ヒップホップなら90年代後半から00年代前半の作品に触れていたよ。ブラジル音楽なら主に60年代から80年代前半。あとはEDMに現在のLAシーンの多くの人々、もう名前を挙げればきりがないんだ! マイルス・デイビス、ハービー・ハンコック、ロニー・リストン・スミス、ボビー・ハッチャーソン、坂本龍一、アウトキャスト、MFドゥーム、マッドリブ、スラム・ヴィレッジ、モス・デフ、ウータン・クラン、エルメート・パスコアル、ミルトン・ナシメント、ナナ・ヴァスコンセロス、イタマール・アサンプソン、ボノボ、パンサ・デュ・プリンス、フローティング・ポインツとかだね。

──アレハンドラ・ルチアーニのミキシングとマスタリングも相まって、今作は『Som das Luzis』よりもずっと洗練されたデザインになっている印象です。

『Som das Luzis』はレコーディングやプロダクションの方法論を学んでいる最中で、プロセスは混沌としていた。当時なりにローファイな美学を落とし込んだんだよね。『Construção』のミキシング・プロセスでモチーフにしたのは乾季のゴイアニア。例えば“Construção”では、自分の声はとてもドライだけど、バッキング・ヴォーカルにはリバーブがかかっている。他の楽器もドライだから、このリバーブがかかった瞬間はとても爽やかで、乾燥した暖かい日に思いがけず額に水滴が落ちたような感覚が演出されているんだ。

身体的かつ感情的なシェルター

──サンダーキャットやペドロ・マルティネスなど、『Construção』はモダンなフュージョン・サウンドになっています。なぜこのようなプロダクションになったのでしょうか?

大きな影響を受けていることは間違いないね。ハーモニーが豊かだし、ポップスの領域でしばしば見られるペルソナのセンスもある。『Construção』には間違いなくそのエッセンスが入っているよ。

ただ、それだけではないね。『Som das Luzis』以来、個人的に多くの変化があったんだ。特にジャズやヒップホップ、エレクトロニカとかの新鮮な音楽にのめり込み、ブラジルのサウンドにも深く潜っていった。ただ成熟しただけで、昔の音楽だけでは物足りなくなったんだよね。僕はジャズにしか見いだせなかった深みのあるフィーリングを渇望していたんだ。『Construção』は、そういった新しいものからのリファレンスと、『Som das Luzis』で培ったバックグラウンドを融合させようとして作った節がある。

──アルバムの5曲目“Dedos”ではサン・ラーの「Space is the place」というフレーズが引用されていますよね。なぜなのでしょうか?

ポルトガル語で「ファックする」という意味の「sarrá」と韻を踏んでいたからさ(笑)。僕はサン・ラーの遠大な音楽と宇宙哲学、そしてブラジルのバイレ・ファンキのセクシュアルで奔放な音楽という2つの世界をひとつにしたかったんだ。

──この作品を作るきっかけとなった出来事があれば教えてください。

20歳でオランダに移り住んで、全く異なる環境を経験したことだね。さっき言及した「どうやって家を建て、どうやってその中で暮らすのか」という課題は、当時僕が経験した身体的かつ感情的なシェルターの探求のメタファーでもある。高度に秩序化されたオランダの風景の中で「家を建てる」ために、僕はブラジルの不安定な都市からインスピレーションを得た。これらはアルバムの制作やその後の僕の人生にとって、指針となる原則となったんだ。

──最後に、DIYアーティストとして、今後の計画を教えてください。

2025年の2月にブラジル・ツアー、そして5月頃にヨーロッパ・ツアーを計画しているよ。そして2025年中には作品をリリースできるよう、新曲も制作しているんだ。そして、音楽とビジュアルアートの結びつきを深め、さまざまなメディアを同時に探求する予定だね。

Photo by Plano B(Biel Lara and Hugo Rezende)

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