怒るのは自由、悲しみは無料(ただ)

私は横田家の長女として生まれた。第一子、女性。それが私だ。四つ下に弟がいる。

よく長子が「お兄ちゃん/お姉ちゃんなんだから、と言われて辛かった」という話を聞く。私も言われたことがないわけじゃないが、弟とは性別が違ったりある程度歳が離れているからか、おもちゃの取り合いなどはしたことがなく、そんなに強く記憶には残っていない。だから友達が親にそう言われた、と話していたときは「大変だなあ」と心配しつつも、どこか他人事のようにも感じていた。

ただ、その代わりにずっと言われ続けてきた言葉がある。「女の子なんだから」。

私が弟と差別化されたのは、年齢ではなく性別だった。「女の子なんだから上品にしなさい」とか「女の子だからもっとお淑やかに」とか、そういうのじゃない。「女の子だから勉強しなさい」これが私の父の口癖だった。女性は、男性と同じ仕事をしても社会的には評価されづらい。だから男性よりも能力を高めないと出世ができないのだと言っていた。だから勉強しなさいと。弟は、男だから何とかなるのだと。多分、父は職場やそれ以外の場所で、世の中のこういう理不尽な事象を見てきたのだろう。私もそれを聞いて父が私に(少々度は過ぎていたものの)厳しくする理由に納得したし、そのおかげで多少はそういった理不尽を乗り越えるだけの体力はついたと思うので感謝はしている。

中学高校と女子校育ちであるかわりに、このように家庭内で男女差というものを叩き込まれた私だが、大学は共学に進学した。大学では、(少なくとも私の周りでは)男女差別なんてなかったし、能力が秀でた人は男女関係なく評価され、尊敬されていた。男女差別なんてものはもう時代遅れ、そんな考え方をする人なんてそんなにいないんじゃないか?大学のぬるま湯に4年間浸かっていた私は、社会に出て冷や水を思いっきり浴びせられることになる。差別は確かに、そこに存在していた。

みんな、男女差別なんてしているつもりはないんだと思う。口に出して「男が上、女が下」と主張する人には未だにお会いしたことはないが、それとわかるような行動を幾度も目撃した。同じことを言っても男性が言ったときだけ聞き入れてもらった。同じ仕事をしても私だけ酷い言葉で否定をされ、男性にはごにょごにょと言いたいことを言わない。最初は私が悪いのか?と色々策を練ったものの、ついに飽きてしまった。相手に理解されなくてもいいや、理解してくれる人がいればラッキー、そういう人と長く付き合っていければ御の字だと考えることにした。本人には多分悪気なんてものはないから、私が悲しく思ったことを伝えてもどうしようもないだろうと割り切ることにした。ああ、この人とは合わなかったんだな、と。

ただ、割り切れないのは自分の感情まで否定されることだ。「こういうことがあって悲しかった、腹立たしかった」と話すと、「女の子なんだから大人しくしてなきゃだめよ。適当にあしらわなきゃ」とか「私が若い頃にはそんなこといっぱいあったわ。女なんだからしょうがないわよ。我慢しなさい、気にしてたらキリがないわよ」と宥められることが少なくなかった。そのときに気付いたのだ、「お兄ちゃん/お姉ちゃんなんだから」と言われた友人の苦痛がどんなものかを。

これは女性に限ったことではなく、誰しも感じたことがあるのではないかと思う。「あの人には何を言っても無駄だから、怒ったってしょうがないよ」がその最たる例ではなかろうか。

殴られたら痛いし、自分を否定される言葉を言われたら傷つくし、嫌なことをされたら腹が立つ。それは男だろうが女だろうが、子供だろうが大人だろうが関係なく抱く感情だ。その発散方法に可否はあれども、その気持ちに良いも悪いもないのだ。そう感じるのは「本当のこと」だから。

上のようなアドバイスをした人にだって悪気はきっとないし、無論私を励ましたり、今後の人生を生きやすくするためにそう言ってくれているのも理解している。だから決めた、少なくとも自分だけは自分が感じた感情を否定しない。そして、もし私と同じような気持ちの人がいたら堂々と言葉をかけるのだ、その気持ちは本物だよ、大事にしてねと。根本的な解決にはならないけれど、世界はそれでちょっとだけ生きやすくなる気がする。

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