「可愛い」市場(至上)主義
突然ですが、皆さん自分のこと「可愛い」「格好良い」と思いますか?
いきなり何訊いてんだって話なんですけど、正直ある程度は自分のこと可愛い、格好良いって思ってる人いるんじゃないでしょうか。全然悪いことじゃないと思います。むしろ良いことだと思います。勿論、「あまりモテなかったし自信ないな」って人も多いんじゃないでしょうか。多分、自分の見た目にある程度自信があっても、「芸能人とかアイドルほどじゃないしなあ」って同時に思うことあるんじゃないですかね。私もそうです。まあそこそこ好かれそうな顔だけど、見た目で商売できるほどは可愛くはないよな。それくらいの認識です。
でも、なんだかんだ言いつつ、モデルさんやアイドルさんでもない限り、普段自分が可愛い(格好良い)とか可愛くない(格好良くない)って意識しながら生活することってあまりないんじゃないかと思います。ちょっと太っても目の前に美味しそうなお菓子があったら食べちゃうし、わざわざスキンケア何段階するのも面倒くさいし、肌に悪いと分かってはいても夜更かししちゃう。大体そんな感じではないでしょうか。少なくとも私はそうです。
でも、一年前の私はそうじゃなかった。
可愛くなければ生きている価値がない、もっと痩せなきゃ、もっと綺麗にならなきゃ。そんな幻想に取り憑かれていました。
きっかけは以前、婚約者に浮気された挙句婚約破棄されたことでした。
幸いなことに、私はそれまであまり見た目の悪口を言われたことはありませんでした。家族も、他人の見た目をあげつらって悪口を言うような人はいなかったように思います。(父は多少言ってたかもしれないけど、その他の点がひどすぎて正直覚えてない)
だから彼と最初のデートに行ったとき、「化粧直しに行ってくる」と伝えたら「顔面工事?」と笑われて大層カルチャーショックを受けました。その時に戻れるんだとしたら過去の自分をブン殴ってでも「その男はやめとけ!」と止めてたんですけど、当時の私は愚かにも彼に少し怒るだけに留めてしまったんですよ。しょうがない、好きだったんだから。
で、彼とはそのまま1年以上付き合って、プロポーズもされてたので同棲したんですよ。しかも彼の実家で。つまりご両親とも同居したんです。そんな中で、彼は度々お母様の見た目をからかっていました。お母様自身も気にしていない様子ではありましたが、私にとっては大変なカルチャーショックでした。勿論、私も色々言われました。俺の友達の誰々はもっと可愛くてスタイルもいいとか、リモート飲みの時、友達がお前の宣材見て老けてるなって言ってたよとか。そのたびに私は彼の悪い冗談だと思って我慢してへらへら笑ってました。しょうがない、好きだったんだから。
で、そんなある日、彼が職場の女性とドライブデートに行ってたことが発覚しました。私は日頃のストレスもあり、とうとう母と弟の住む家に逃げ帰りました。その後何度か彼やご両親とも話しましたが「同僚とドライブ行って何が悪い」「どうでもいいことを香峰さんが騒ぎ立てて事を大きくした」と言われ、結局相手から婚約破棄されました。
※ちなみにこの出来事を某掲示板で相談したらスレのランキングトップになってしまったこと、半年後、彼の実家に雷が直撃し、彼の部屋の屋根が焼け、彼のPC、家中のエアコン、給湯器までも壊れて私が後輩から「菅原道真」とあだ名を付けられたのはまた後日話そうと思います。
今の私であれば「大きくもクソもあるか!そもそもあんたらの息子がドライブなんか行くからだろうが!」と反論できただろうけど、当時私は本当に自分が悪いと思ったので泣きながら相手の両親に謝罪しました。しょうがない、好きだったんだから……じゃ済まされないレベルになりました。その翌日から、なんと私は眠れなくなったのです。
幼児期から寝ている間に掃除機をかけても起きなかった(母談)ほど眠りの深い私が、眠れなくなった。浅く眠っても、彼の両親に責められる悪夢のオンパレード。これは一大事だと思い、すぐに病院へ行きました。正直薬を飲むのに抵抗があったのと、「悪夢の副作用がありますね!」って言われたのが本末転倒すぎたので漢方の処方をお願いしました。薬局の問診票に「粉薬飲めません(苦手です)」って項目があったからチェック入れたのに、全て粉末で出されました。あの問診票の意味あったのか。
こうしてとりあえず身体の健康を取り戻しながら、私は改めて自分の内面と向き合おうと思いました。ドライブに行ったのは確かに彼が悪いけど、ここまで心身喪失するくらいショックを受けたのは何故か、もっと感情的にならず対話できたのではないか。そう考えたからです。
そうして向き合った結果、やはり私は彼にかなり依存している部分がありました。自分の存在意義を、彼から認められることで保っていたのです。
思えば当時、見た目をからかわれないように必死に我慢していました。気に入っていたワンピースを着たら「似合わない」と言われて、それ以来着なくなってしまったこと。ウィンドウショッピングをしていたときにふわふわのパジャマに見惚れていたら「歳を考えろ」と言われ、そのブランドに足を踏み入れるのが怖くなったこと。別に良いだろふわふわのパジャマ着たって。じゃあ冬は何着りゃ良いんだ、綿か?冷静に考えたら、それくらい言い返すのは簡単なことのはずだったのです。でも私はしなかった。何故なら、彼以外が私を認めてくれるはずがないと思っていたからです。
でもよくよく周りを見たら、私に助けの手を伸ばしてくれる方はたくさんいました。職を失ったときに今の仕事を紹介してくれた恩師、学生時代からの友人、仕事で出会った人。みんな、今まで私がどんなにみじめな失敗をしようと、笑ったり、見放したりはしなかったのです。私は自分のことしか見ていなかったのだと、視野の狭さを心から恥じました。そして自分が持っている能力、出来ることを冷静に分析したのです。
その後、Radio Star Auditionに参加し、分析の甲斐あってか、ファイナリストに選ばれました。2021年8月にはMUSIC BIRD賞もいただき、現在の「ノビタイ」にもつながったわけです。
そして現在。私は婚約破棄された時から6kg体重が増えました。それでも週4で運動できているし、ダンスだって上達したし、前より声が出るようになりました。舞台でグラビアアイドルさんやモデルさんたちと並ぶとやっぱり手足の短さや頭の大きさが目立ちますが、それでも私は私にしかできない役があるんだと、胸を張ってそこに立つことができます。そしてふと気付きました。ああ、人間普段は「可愛い」に固執せず生きられるもんなんだなあと。
私の友人ですごく素敵な方がいるんですが、私よりも細くて私よりも手足が長いのに、周囲から外見について色々言われて彼女はすっかり自信をなくしていました。そんな彼女にとある人が「あなたは可愛いのに。自分で自分のこと可愛いって言いなよ」と言葉をかけていました。多分親切心から出た言葉なんだろうけど、彼女にとってはそれは逆効果だったみたいです。「私は可愛い市場から抜け出したい」。彼女は、私に向かってぽつりと呟きました。その一言に私はハッとしたのです。そうか、過去の私も彼女も、「可愛い」を存在価値に換算していたんだなあと。
多分、可愛いとか可愛くないとか、そういう問題じゃないんです。ただ、「自分が存在していい」という安心材料が欲しいんですよね。私は運良く周りに助けられて自分の中にそれを見出すことができました。私が彼女に出来ることは少ないけれど、彼女がそれを確立するためにいざというとき手を伸ばせたらいいなと思ってます。
彼女がこの記事を読んでいるかは分からないけれど、この記事は私の大事な友人に捧げます。愛を込めて。
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