挫折にすらならない

先日、質問箱で「挫折したことはありますか?」と聞かれた。私は「死ぬほどある」と答えたのだけれど、実は正しくない答えだった。ここにお詫びして訂正いたします。

そもそも挫折って何だろう。意味を調べると「目的を持って続けてきたことが途中でダメになること。あるいは、それによって挫けて気力をなくすこと」らしい。そこではたと気付く。

私、挫折してないかもしれない。

正直この言葉を調べるまで、私の人生は挫折にまみれたものだと思っていた。絵を習いたかったけどお金が無くて習えなかったこと、演劇部に入りたかったけど土日に練習があるからと父に許可がもらえなかったこと、前回書いた養成所を勝手に退所させられたこと、大学受験で第一志望に落ちたこと、就職活動が上手くいかなかったこと、就職先でも上手くいかなかったこと、大きなオーディションの最終審査で落とされたこと。並べてみると挫折のデパートみたいになっている…気がする。

でも、別に何かが「ダメになった」とは感じてないのだ。

絵の代わりに家にあったピアノを始めた。漫研に入って部長にまでなった。自分でお金を貯めて養成所に入り直した。行った大学で友達ができたこと。入った会社で身につけたスキルで今ご飯を食べていること。演劇を一から学び直したこと。全て人生においてプラスの出来事だ。

冒頭の質問に付随して「どうやって挫折を乗り越えるか」も問われた。多分、私の正式な回答はこうだ。「その出来事を挫折にしなければいい」。

人間誰しも(その人からしたら)取り返しのつかないレベルの失敗や後悔しても仕切れない不成功があると思う。それをきっかけに何かを諦めて後悔し続ければそれは挫折になる。だけどそこからまた何かしら前を向ければそれはあくまで「上手くいかなかったこと、思うような結果を得られなかったこと」にしかならない。

挫折とは。今まで生きてきた、たった数十年の経験だけで、これから死ぬまでの人生を閉ざしてしまうことだ。そんなのは勿体ない。今まで嫌なことしか無かろうが、老い先短かろうが、今から1秒先のことだって誰にも予想できないのに「出来っこない」なんて言うのもおこがましくないか。

だから私は挫折しない。手痛い失敗も、いつか笑い話にできるように今日も今日とて地を這い、泥水をすすりながら足掻き続けている。そんでもっていつか本当に挫折しそうになったときは、この文章が自分を叱咤してくれることを願う。

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