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【障害×サッカー】電動車椅子サッカーについて

皆さんは電動車椅子サッカーという競技をご存じでしょうか?

実は、電動車椅子サッカー界はワールドカップイヤーなんです😃⚽
今年10月にオーストラリア・シドニーでW杯があり、日本代表も予選を通過して本大会に臨みます!

フランス、アメリカ、イングランドが強豪です。
日本代表も頑張って欲しいです!

残念ながら、まだ電動車椅子サッカーは パラリンピック正式種目ではありません。
日本にも世界にも凄い選手が多く、早く正式種目として認められ
多くの方々の目に触れられるようになってほしいですねー!

俺自身 選手としては・・・・ですが、この競技の宣伝など頑張って行きたいです!

でも、選手として諦めたワケではありません。

文化部ではなく、スポーツ部に入りたかった

もともと俺は野球少年で、小5から小6と動けないなりに頑張っていた.
巨人が大好きで、松井秀喜と上原浩治の大ファンで、毎日ナイターを観ていた.
 
障害進行により12歳の時に電動車椅子を使用することになり、野球が出来なくなった.
 
その後、中学では文化部ではなく卓球部に入るが、思うように腕が上がらずうまく出来なかった.
なかなか同級生は相手にしてくれなかった・・・・お前とやっても思いっきりできないし面倒くさい、と.
 
中学3年間の部活動は、練習をサボったこともあったが辞めずに卓球をやり続けた.
辛いことの方が多かったけど、なぜ辞めなかったか・・・・なぜか?深い理由があったワケじゃない.
他校の女子卓球部の子を好きになったから、だった.
大会の度に会える、時々練習試合があれば会える.
次はいつ会えるだろう・・・・
 
単純な理由だったけど、卓球部を3年間続けられたこと、練習試合で初めて勝ったことは俺の誇りである.
恋の行へは・・・・・内緒っ!
 
高校では、本当は卓球部に入りたかったけど、体育館の狭い階段を上った所が練習場所だったから、練習の度に車椅子に乗ったまま上げてもらうのは忍びなかったから、入部しなかった.
卓球部に入ったら、またあの子に会えたのにな・・・・
 
1年生の途中から将棋部に入ったが、続かなかった.
高2の終わりまでは帰宅部 部長!w

電動車椅子サッカーを始めるキッカケとなる出会い

高校の8月に俺の人生を変えるスイス登山への挑戦が始まった.
心臓の機能など検査するために、都内の筋ジストロフィー専門病棟で検査入院するのだった.
ここで、主治医がある人物を紹介してくださった.
たまたま通院日で、彼に会ってみないか、と.
会った人物は、ずっと日本電動車椅子サッカー界を引っ張ってきた、ワールドカップ3大会連続・日本代表の選手だった.

この出会いは、自分の人生において初めてスポーツに打ち込む経験と体験を与えてくれた.
その選手から、競技映像のDVDを見せてもらい、
「このスポーツなら思いっきりできる!」と一瞬で思った.
 
出会いはさらに続く.
選手の友人が、長野県のチームのエースとして活躍しているから紹介するよ、と言ってくださったのだ.
 
自分は人に恵まれているなーと振り返る.本当に有難いことだった.
 
スイス登山が8月に終わり、直ぐに長野県のチーム練習の見学に行くと思いきや、なぜか躊躇してしまい3ヶ月ほど時が進んでいた.
 
今の自分からしたら、早くいけよって想う、3ヶ月もロスしてるじゃん!ってw
 

 to be continued



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