描かれるヴェネチア
筆者が第一に思い浮かべる「描かれるヴェネチア」は、この作品だった。
ターナーが生まれたロンドンは、特有の暗く靄がかかった気候からか、彼が初期に描いた絵は、何となく明るさが鈍い。
旅行先のヴェネチアで光の魔法にかかり、後年に至るにつれて、絵画で描ける彩度の限界値に達したと思う。
ロンドンっ子にとって、南欧の明るさは、それ程までに強烈だったのか。
さて、ロンドンからヴェネチアに渡ったのは、ターナーだけではない。
18世紀後半、大英帝国が栄華を極めた頃、貴族がこぞって南欧へ、見聞を広めに渡った。「グランド・ツアー」である。
概要は本展チラシに詳しい。
ヴェネチア土産として貴族が好んで買い求めた「ヴェドゥーダ(景観画)」の巨匠、カナレットを中心とした画家たちの作品が展示されている。
以降、展示構成に沿って、特に筆者の目を引いた作品とその所感を紹介したい。
◾️カナレットのヴェドゥーダ
この頃に描かれるヴェネチアの特徴は、前後にも左右にも広角な画角に、縦断する運河というモチーフ。
これが大通りだったら、密集する通行人や街路樹で圧迫感があっただろう。奥へ突き抜ける運河がそうさせないモチーフが、ヴェネチアが愛された理由ではないだろうか。
ヴェネチアでヴェドゥーダの需要が激減した後、ロンドン、ローマと拠点を移したカナレットの後年の作品。
何となく、運河が大通りに置き換わった印象を受け、ヴェネチア時代のデフォルトが健在の様子。
◾️同時代の画家たち、継承者たち
カナレットがヴェネチアを明け渡した後、その後進には、ヴェネチア景観という完成されたフォーマットを、工夫凝らして描く景観画家が続く。
こちらの作品は、画面前方から、奥へ奥へ漕ぎ出す躍動感が特徴的。
◾️カナレットの遺産
時代が下り、描かれ方に変化が。
画家が「空を描きたい」「海を描きたい」どちらの人か、絵を見ると何となく分かるそうだ。
(本投稿末で紹介の、解説動画参照。)
水面映る街並みが美しい作品だが、カナレットと同じく「空を描きたい」人な気がしたので、この一枚を。
空、海だけでなく「空気を描きたい」画家も出てくるように。
精緻さと反比例して、透明感が描かれている。
画家の視線は、遠景から近景へ。運河の裏側の風景も描かれるように。
近景から、画題は市井の風景に移り、近代美術の足音が聞こえるかのよう。一見何処にでもありそうな街角がヴェネチアの画題になり、時代が下ったことを感じさせる。
屋外で作品制作するスタイルで、印象派の先駆けと呼ばれる海景画家ブータンも、例に漏れず海洋都市ヴェネチアを描いた。
印象派に描かれるヴェネチアは、南欧の光が虹色に表現されて、これまでとは別の魅力が見出されている。
筆触分割されたヴェネチア。景観画から新印象派までをヴェネチアという地から定点観測すると、モチーフや描かれ方の遷移が見られて興味深い。
◾️描かれたヴェネチアの後に
筆者は過去の記事で、一つの絵画を時間を置いて何度も鑑賞することで、絵画を通して自分自身を定点観測する面白さを書いた。
今回は、一つのモチーフから画家、時代の変化を定点観測した展示だった。
これほど長い間、愛され、描かれ続けた土地が他にあるだろうか?
筆者が思う、描かれるヴェネチアとしての魅力は、海と運河が可能にする、前後と左右上下に開けた景観。そして、南欧の明るさだ。
画家の視線は、広角な景観から、時代を下るにつれて徐々に手前に、視界に映る範囲に焦点が引いていった。
やがて皆んなのヴェネチアは、人の視覚が像を結ぶ世界を超えて、光に分割され切ったのだと思う。
◾️余談:描かれる都市 -ロンドン-
ロンドンも比較的、描かれることが多い都市だと思う。
今回紹介した画家の描いたロンドンを並べてみよう。
モネは他にもウォータールー橋の連作を描いているので、先に引用した拙筆を参照されたい。
ヴェネチアとロンドンを比較して思うのは、光源の強弱が、色彩の豊かさに比例している、と言うことだ。
モネの作品から、同じ水景を描いた《サルーテ運河》と比較しても分かると思う。
ロンドンのような光源が弱い都市で「光」を描くには、とにかく発光するように、発散させるように描く。
ターナーを筆頭に、画家たちがたどり着いた境地なのかと思うと、興味深い。
◾️『カナレットとヴェネチア』展に行く前に
山田五郎氏のYouTubeチャンネル『大人の教養講座』で分かりやすくまとめられている。
鑑賞前に是非視聴して欲しい。