クロスカルチャーコミュニケーション講座を受講して
「英会話の勉強をする前に、日本の美意識や精神を学ぶ。
そしてその伝え方を身に付ける。」
Instagramに突然流れてきた広告メッセージに
心を打ち抜かれて、迷わず参加申込みした。
茶道お家元が手がける The Japonism Academy の第一弾、
クロスカルチャーコミュニケーション講座は、
「アウトプットを頑張りたい」という今年の抱負を立てた筆者にとって、
受講しない理由はなかった。
この講座に出会うまでの経緯にも意義がある。
親しいお稽古仲間のお誘いで、『源氏物語絵巻』の特別展を鑑賞した帰り道、
「今年は、自分たちの手で、香会[※]を催したい」と話していた。
※ 香道で、亭主が客方を招き、銘香や組香を楽しむ会のこと
イベント運営に慣れている彼女は、
次々に香会実施までのロードマップを考えてくれ、
和室のある会場を探していたところに、
大阪迎賓館が目に止まった。
ネット情報を見ていると、なかなか敷居が高そうな様子…
何か突破口はないか、とInstagramやX、色んなリンクをコピーした。
■ The Japonism Academy との出会い
そんな中、過去に大阪迎賓館で茶会を催した
茶道家のInstagramを見つけた。
情報発信に力を入れているようなので、向学のためにフォローしたところ、
なんとその方が The Japonism Academy 主催者だった。
フォローした翌週に The Japonism Academy 第一弾講座の
最終案内がInstagramで流れてきた。
金曜日の23時、1週間で最も判断力が脆弱な時間。
学びたいこと、情報に巡り合ったタイミングに運命を感じ、
本能的に受講を即決。
こうして4月から2ヶ月間、講座がスタートした。
■ カリキュラム構成
クロスカルチャーコミュニケーション講座は、
全8回のうち2回は最終プレゼンのため、講義は6回ある。
ここからは個人の所感だが、
カリキュラムは、クロスカルチャーにおける
スキル・マナー講座が3回、知識教授が3回で構成されている。
スキル・マナー回と知識回が入り乱れながら、
両面からクロスカルチャーコミュニケーションを学んでいく構成だ。
異文化理解系の講座というと、ステレオタイプが何某、
オリエンタリズムが云々をイメージすると思う。
勿論そういったことも学んでいくが、この講座の特異性は、
「既成概念の破壊」と「破壊された概念の再構築」にあったと思う。
■ 既成概念の破壊
日本文化を説明するとき、
「専門用語」「独特な言い回し」を多用していないだろうか?
段階的な説明が必要な事象を、一言で表現できる「専門用語」は
説明者にとっては便利なので、つい頼ってしまいがちだが、
聞き手には負担が大きい。
一つ一つの語彙を辞書で調べたり、平易な表現で言い換えたりして、
「言葉の解剖」を学ぶことが、この講座で最初に扱うテーマだ。
次に学ぶステレオタイプやバイアスは、事例参照しながら、
なぜ人間の脳は「偏った見方をしてしまうのか」を考えていく。
物事をカテゴライズし、処理をパターン化することで、
一つ一つの事象に対する判断コストを下げる。
というのは、自然の摂理だと思う。
結局のところ、人間の脳は、
生命を脅かす異物から自己防衛するために、
なるべく低コストに情報と感情を処理するようにできている。
ということが、筆者のたどり着いた考えだ。
こうして、普段の行動や考えが、紙一重で
・相手に分かりにくい伝え方
・無意識の先入観や偏見
だったかもしれないと思い始め、講座の初期段階で、
「こんな沢山の事に注意しながら、会話なんてできるのだろうか」
と挫けそうになる。
■ 破壊された概念の再構築
講座の中盤は、
・意図して、文化の類似性を提示し、興味を引く方法
・世界が注目した日本文化からヒントを援用し、興味を引く方法
を学びながら、壊された概念を再構築していくフェーズに入る。
それぞれを、プッシュ型情報とプル型情報に例えると、
分かりやすいだろうか。
共通点があると、相手に親しみを感じるのは、
普遍的な人間の心理だ。
異文化に対しても同様で、表出の仕方は違えど、
本質に通底する類似性があることを示せると、
その先の会話が進めやすくなる。
一方で、思いもがけない視点から哲学性を見出され、
海外の人にインスパイアを与えた日本文化についても、
この講座では扱う。
古今東西、さまざまな文化芸術・社会現象のケーススタディを通じて、
クロスカルチャーコミュニケーションのエッセンスを感じ取り、
破壊された既成概念を再構築しながら、最終プレゼン回に突入する。
■ 具体と抽象を行き来しながら、解像度を上げる
「世界に紹介したい日本文化」というテーマで、
筆者が選んだのは、勿論「香道」だった。
プレゼン時間は5分。伝えられることは多く無い。
プレゼン資料を作りながら思ったのは、
文化の類似性や、インスパイアを与える文化の哲学性は、
抽象度の高い話題だ。
一方で、紹介したい日本文化は、具体性が高い。
具体と抽象という両極端の性質の話題を、
ちょうど良い振れ幅で行き来しながら、聞き手の解像度を上げること。
その過程で、偏ったイメージを与えて、
誤った解像をさせてはいけない。
かといって、相手に備わってないピクセル数の
解像度を強制してもいけない。
この感覚が、クロスカルチャーコミュニケーション講座を通じて
筆者が学んだエッセンスだ。
■ 日本人は、日本文化を哲学していない
プレゼン当日。
見事に学んだことの真逆をしてしまった箇所も、
学んだ通りにチャレンジしたが上手くいかなかった箇所も、
それぞれに反省があった。
「香道」という伝統芸能の一かたまりを伝えるには、
確かに5分は短すぎる。
けれど、最初の5分で興味を引けなければ、
その後の会話は続かないだろう。
「香道」の一部分を取り上げて、一口サイズの情報量にしたり、
もっと身近な話題から類似性を提示したり、
色々に改善案は思いつく。
けれど、心の底で感じるのは、
何故こうも、日本文化を説明する気の利いた言語が存在しないのか。
それは、
日本人自身が、日本文化を十分に哲学していないからだ。
筆者は、このように考える。
日本文化は、「装置」のようなもので、
ひとたび装置に取り込まれ、最後まで処理が進めば、
完成品として日本文化を体得した人格が形成される。
しかし、現代は「言語化される社会」で、
哲学することは、高度な言語化を繰り返すことだと思う。
得たこの所感を失わないように、
これからも切磋琢磨、日本文化に向き合っていきたい。
クロスカルチャーコミュニケーション講座は、
そう思わせてくれた、素晴らしい講座だった、という感想を結びとして、
この記事の筆を置こうと思う。
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