見出し画像

昭和生まれの元証券マンの独り言

【マーケット徒然草NO.4】

 『歴史は繰り返さないが、韻を踏む』とは米国の作家マーク・トウェインが語った言葉だそうですが、相場に関しても同じことが言えます。(歴史を相場と読み直してください)
 第一回で、インフレを克服した後のマーケットは黄金時代とお話ししましたが、勿論、当時とは細かな点で違うところがあり、一緒には出来ません。ただ類似点は多く、何故パウエルFRB議長が矢継ぎ早に金利を上げたかを知る材料になります。
名FRB議長のボルカーを参考にしたのです。(誰もが経験したことのないインフレに対しては教科書通り躊躇なく利上げすることが正しいと行動)
正に歴史(相場)は、韻を踏むのです。

 通常、コモディティ(商品・金や原油等)サイクルは55年周期と言われており、新型コロナのパンデミック明けからのインフレはこの周期より早く始まりました。
 前回のインフレは、二度に渡る石油ショックが遠因ではありますが、当時のFRB議長アーサー・バーンズの頼りない政府寄りの金融政策が原因と考えられています。
 今も昔も中央銀行の政策は大切で政府との軋轢も古今東西、枚挙にいとまがない様です^_^
 日本のバブル崩壊の山田が考えるところの戦犯は三重野日銀総裁ですが、この話しはいづれお話ししたいと思います。
 今年8月の日経平均の暴落は、【植田ショック】と言ってよいと山田は思いますが、余りマスコミが言わないのは、忖度しているのかな🥹と思ってしまうこの頃です。植田さんは嫌がっている様ですが、今でも(と言っても10年以上前ですが)米国で【バーナンキショック】があった様に中央銀行の総裁名のショックは結構あって、それだけ中央銀行の政策は重要ということでもあります。
 そう言えば、昭和の時代に【タテホショック】がありまして、別名当時の澄田日銀総裁をなぞって【罪だショック】などとも言われました。
これは、タテホ化学工業と言う売り上げ60億円程度の地味な上場企業が、金利の見通しを誤って債券先物相場で▲286億円と言う大損をして債務超過に陥った事件でした。昭和62年9月に発覚したのですが、この時も昭和62年5月に金融緩和の影響で10年国債の利回りが2.5%程度まで低下!その後の金利上昇で大損したのでした。
ちなみに【ブラックマンデー】は、1987年10月(昭和62年)に起こっています。
 プラザ合意以降の円高対策としての金融緩和は仕方がなかったとしても、日本のバブル発生の原因であることは間違いないと思います。

いいなと思ったら応援しよう!