身近なものがなくなった時の心持ちの話
こんにちは(o・ω・o)虫圭です。
私、昔から熱帯魚が好きで、学生の頃にも色々飼育していたのですが、社会人になってから一度手離し、また4年ほど前から飼い始めたのです。
そんな4年前から飼っていた熱帯魚が、今朝亡くなってしまったんです。
ちょっと、書き方としてどんなふうに書こうか、迷ってしまうのですが。
気持ちは整理できているので、少し、淡白な書き方になりますがいろいろとご勘弁ください。
※表現がややグロい可能性があるので注意
熱帯魚を飼う人の愛情の注ぎ方
熱帯魚って、『ペット』として見るか『観賞用の生き物』として見るか、飼う人や飼う種類によって、けっこう扱い方が変わる生き物で。
例えば身近な金魚とか、熱帯魚のなかでもグッピーとかテトラとか。
小さかったり『群れ』で飼うタイプだと、一匹一匹に強い愛情を注いで名前を付けて愛する。
というのは難しいものなんです。(と個人的には思います)
金魚は以外と大きく育つ生き物なので(30センチとか)、群れにせずに名前を付けて、とかもあると思うですけど、
テトラとかだと100匹とかを群泳させたり、数種類を同じ水槽で飼ったりするので、それこそ個体ごとに名付けたりするのはほぼ無理なんです。
なので、犬や猫などの動物と違って、強い愛着があって、死んでしまった時の喪失感が家族を失った時のように大きいか、と言われたら、少し違うものになるんです。
じゃあ私が飼っていたいたのは、というと、熱帯魚の中でもペットとして、いえ、家族として、愛着を持ちやすい、一つの水槽に一種類だけ飼うような、大型のタイプだったんですね。
寿命が10~30年くらいある子で。
プロトプテルス・ドロイ 古代魚
アフリカのコンゴ川原産の大型肺魚。
肺魚の中でも特別長い胴を持っており、自然下では125cmになる個体も発見されている。
肺魚はデボン紀から地球に生息しているとされ、数百万年その姿を変えず存在し、生きた化石と呼ばれる。乾季に水が干上がる環境に適応するため、水が少なくなると泥を掘り、粘着質の繭を作って乾燥から身を守る。
ニコニコ肺魚図鑑
消して金魚とかテトラを飼う人を愛情がないとか言う訳じゃないんですけど、一匹だけに愛情を注いでた、という話です。
ですから、今朝、その子が水槽で動かなくなっていたことに気付いた時、血の気が引くと言うか、
そこに身体はあるのに、もうなくなってしまっていることに気が付いた、と言うか。
茫然自失、なんですかね。
「あ、どうしよう、死んじゃった、愛してたのに」
部屋に一人きりの状況で気が付いたので、言葉にこそしませんでしたが、心境はそんな感じでした。
悲しみと、これからも生きる自分
でも、亡くなってしまったその子の身体をそのまま水槽に放置しておく訳にはいかないじゃないですか。
水棲生物って、腐敗も早いので、数時間で水カビとかが生えたりするんです。
水槽から取り出して、やるべき処理をして、空っぽの水槽や水槽回りの器具を片付けて。
なんて足取り重く、作業が進まないんでしょう。
飼い始める時の準備のようにてきぱきと準備して、環境を整えて……とは違って、今までそこにいた生活環境をどんどん解体していく作業という……。
多くの熱帯魚を飼ってきたので、そのぶん多くの熱帯魚の死を見てきました。
熱帯魚を長く飼っている人は同様だと思います。
犬や猫を飼う人より、きっとずっと多くの死を見ていると思います。
それが良いとか悪いとかじゃなくて、死がとても身近で、些細なことで失われることを知ってる、という感じです。
なんですけど、いざ死んでしまうと、ショックで、
今日はほとんどやるべきことができませんでした。
それでも片付けはしなくちゃいけないし。
それでも私はこれからも生きていくし。
死んでしまったことの悲しさとか、もっとちゃんと見ておけばとか、全部自分のせいだとか。
色々考えながら1日過ごしました。
しばらく考えて。
悲しいんですけど、でも命は戻らないので、その悲しみをどう扱うか、ってことを考えました。
失ったからこそ、今あるものをもっと大事にしなきゃ、やるべきことがあるならやらなきゃ。って。
簡単には割りきれませんが、
亡くなったその子が、自分の中に想いとして在るのだから、亡くなって悲しい、辛い、だけではなく、その子がいたから、その子の死が悲しいからこそ、次に何かを失ったりしてしまう前に出来ることをやろう。
という気持ちで、今、います。
ちゃんと気持ちを言葉に置き換えれているか分かりませんが、重たい気持ちでずっといるより、ちゃんと死を受け止めれる気がしますね……。
難しい。