「Main stage」Pride of each samurai.
「Cyberpunk2077」はサイバーパンクの世界観そのままに未来世界を舞台としたオープンワールド型のアクションRPGである。
バッドランズ生まれ遊牧育ち、赤毛カーリーの家出娘な2代目ちゃん。
プレイ日記13回め、相変わらずなジャパニーズ・イメージということか。
..ちょっとプレイから離れつつあるが、そこはそれ。
ゴロウ・タケムラは、殺されたアラサカ御大の側付きであった。
死の真相を明らかにすべく離反し、いまやアラサカに追われる身となって、アラサカからの恩恵すべてが凍結された憂き目にある。
落ちぶれた、と本人も嘆いていた。が、メリットもあるそうだ。
ナイトシティで隠れ潜むに、みすぼらしい身なりは都合がいいという。
タケムラは、言動や立ち居振る舞いにサムライらしさを漂わせる。
ツテを頼ってタケムラがコンタクトしたオダという人物は、御大の娘であるハナコ・アラサカの側付きだ。主君の仇討ちに奔走する、ある意味では枷がなくなったタケムラと違い、あくまでもハナコの勅命が行動規範だ。
「立場が逆なら同じことをする」と、助太刀は断られてしまう。
タケムラが二の矢として提案してきたのは、オダが口にしたサブロウの追悼式典を狙う策。式典に参列しているハナコのもとへ直談判に出向くという、トンデモな考えだ。アラサカの私兵が十重二十重に警護している。さらには側仕えのオダが最後に立ちはだかるだろう。
タケムラの無策はさておき、それだけ権力の集中した組織なのだとわかる。
考えなしで飛び込むわけにもいかず、2代目ちゃんのツテで追悼式典が予定されているジャパンタウンのフィクサー、ワカコ・オカダを訪ねる。
追悼式典の警備情報を得て、下拵えの準備も整ってというところ。
で、ここまでの件で気になったことが1つ。
やり取りは時代劇めいて、過剰なジャパンっぽさが鼻につく。
どこかで見たことのある雰囲気だと思い返せば「ブラックレイン」だった。
リドリー・スコットが監督したアメリカ産のヤクザ映画である。
1989年の、まさにサイバーパンクの全盛と重なる。
「ブレードランナー」を監督したリドリー・スコットがギブスンの日本観に影響を受けていた可能性は十分にあり得る。
が、30年アップデートされていないイメージは如何なものだろうか。
「ならば2021年の日本は?」と問われたとて何も浮かばない。
いまの日本を舞台に全世界リリースのタイトルを企画するとして、おそらく刀を持たないキャラクターがひとりもいないということはないだろう。
きっと「立場が逆なら同じことをする」はずだ。
次回、ナイトシティの素敵なドライブについて。