いえねこのかおつき
我が家には2匹の猫がいる。
べっ甲のレヴィと茶シロのコタである。
お姫様気質で神経質なレヴィは、おやつも選り好みする。
対してコタは、とにかく食べれそうな匂いがすれば飛んでくる。
私も妻も呑むほうで、我が家は肴にもなるメニューが多い。
レヴィのほうは「また遊んでくれなくなる時間か」という素振りで、お気に入りのキャットタワー最上段にごろりと寝そべる。
が、コタは私か妻のひざの上に陣取って文字通りの「おこぼれ」を狙う。
少しばかりは堪えるのだが、もらえないとなるとアピールがはじまる。
鼻を近づけて「ぼく、これ食べれると思うんだけど」という顔をする。
猫と暮らすというのは、いろいろな表情に気がつくということでもある。
我が家に2匹を迎えてから1年になる。
もう、すっかり家族だ。
私と妻は、もうレヴィとコタのいられない場所を「家」だとは考えない。
レヴィもコタも、ずいぶん顔つきが変わった。
やわらかくなったというか、野生なりのこわばりがなくなった。
どちらも保護猫である。
生まれてすぐ保護されたコタとも違い、レヴィは子猫であった半年ほど野良であったはずだ。
迎えて数か月は、牙は噛むものであったし、爪は引っかくものだった。
私も、腕に傷のない日がなかった。
彼女は、おそらく私が「どのくらいから傷つき血を流すか」わかっている。
じゃらしで遊んでいても、ひっかけはするがひっかきはしなくなった。
肩へ飛び乗るときに爪が立ってしまって傷が残ることはあるが、そのほかの傷は酔った私が絡んで嫌がられた結果であることのほうが多い。
いっそ、そのままソファで寝入った私を空気が冷える明け方前に起こしてくれることさえある。ふと目を覚ますと、レヴィが私をじっと見ている。
親バカとお思いかもしれないが、いっしょに暮せばわかるはずだ。
ねこは「にゃー」と鳴かない。
それ以上に、言葉なく語りかけてくる。