猫も杓子もGPTって、それだいじょうぶ?
とにかく聞かない日がないくらいです。
何かあればGPT、何となればGPTって感じで、ちょっと辟易もしていたり。
”どういうものなのか”って通じたうえで話題になってるんだろうか?
対話型AIなんて紹介のされ方も、あまり良くない気がします。
まずは、そもそもGPTって何なのか。
「生成可能な事前学習済み変換器」の頭文字がGPTです。
まず仕組みとして、自然言語処理の研究に用いられる自然言語の文章を構造化した大規模な集積データで「つまり自然な文章とは?」を学ばせます。
この、学ばせた自然な文章を心掛けることベースに使用者が調べたいことをネットから拾ってきて文章に生成して吐き出すチャットボットがその正体。
ちなみに人工無脳なんて訳されたりするのがチャットボットです。
AIチャットボットなんて説明は、けっこう意味わかんなかったりします。
対話にすることで検索から導き出せる情報が拡張される結果になった。
これが衝撃的なインパクトだったから話題なんです。
言っちゃえば仕組みとしては「Hey,Siri」やら「OK,Google」なんかと変わらないものが、1つ”学習させる”って要素を加えたことでクラスチェンジして人工知能めいたリアクションを見せることで話題になってるのが、いま。
あと数年すれば、ただの検索手段になっちゃう気もしますね。
人工知能の研究って「夢の技術」みたいなのを想像しちゃいません?
でも、べつに”ロボットのおともだち”を目指してるわけじゃなくて、今まで
人間にしかできないとされていた知的行為を、手順だったり知識を準備してやることで機械的に再現させるってのが主なところです。
得てして、むき出しになるのは人間のしょうもなさって気がします。
さも万能と真に受けて、なんでもできる..わけないじゃん。
使い方として、思考の補助という面では便利だと思います。
こんな引き方講座みたいなのは、どんどん広まるべき。
使い方が広まれば、ちゃんとした価値観で受け入れられるとも思います。
ただ、いま騒いでる圧倒的大多数は”ロボットのおともだち”みたいに捉えて受け入れてるんじゃないかっていう、大いなる勘違いを感じます。
この、生成可能な事前学習済み変換器レベルのコミュニケーションを満足な対話だと思えるのって、本人の対話レベルも推して知れるというか。
とくにGPTはアジア圏の、とくに日本やら中韓国で親和性が高いんだとか。
判で押したような、紋切り型の、みたいな会話に心地よさを感じる国民性。
そう考えると、なんとなく親和性が高いとされるのも分かります。
言っちゃえばユニークな個性より外れないことが尊重される文化ってわけ。
なんとなく「じつは恥ずかしいことじゃないの?」とも思っちゃう。
遊んでさわってみる分には、いいと思います。
ただ、けっきょくは賢くなった「Hey,Siri」やら「OK,Google」の拡張版で、研究成果としては確かにAIと呼べる1つかもしれないけど、ただのパターンから検索結果を対話式に変換してくれるだけってのは忘れないほうがいいと個人的には思っちゃいますね。
まだまだ、ギムレットには早すぎるかな。
楽しみではある技術だけどね。