Respect for the martyr.
「Cyberpunk2077」はサイバーパンクの世界観そのままに未来世界を舞台としたオープンワールド型のアクションRPGである。
ナイトシティ生まれストリート育ち、悪そうなヤツはだいたいトモダチな、ヴァレリーちゃん。プレイ日記20回め、ローカライズが正しく文化を伝える情熱まで持ち合わせる必要はあるかとも思いつつ余談から。
あるいは私の勘違いかもしれないが、日本で「殉教者」はヒロイックに捉えられがちだ。が、つまりは迫害で命を奪われた者たちで、あえて致命という日本語をあてるキリスト教の教派もある。聖人として崇敬されるヒロイズムだけにフォーカスして名前を使いまわす日本的サブカルチャーの感覚が宗教背景を気にするとも思わないが。ただ、日常的に賛美歌を歌う環境にあった方であれば思うところは多分にあるサブクエストだろう。
※掲題画像だがソフトウェア側で制限がかけられ本来は撮影できない
さておきレストランで別れて後日。
ヨシュアが会って話すことを望んでいる、とレイチェルから連絡があった。
かなり大きなスタジオの入り口をNCPDが警護している。
さらにはプラカードを掲げて抗議している人たちの姿もある。
まさに世紀のBDが撮影されようとしているのだ。
護送に付きあわされていた警部補を見つけ、レイチェルに呼ばれたと告げてスタジオの中へ。ぽつねんと座るヨシュアを見つけると、誰もが思い描くであろう磔にされる者の格好をしている。いや、”させられている”だろう。
伝道師となることを望んでいたが、彼自身が「救世主」や「再来」であると言ってなどいなかった。
告解として、あるいは司祭によって許される罪が両手の届く範囲だとして、それ以上の罪で”ゆるしの秘跡”を得るための回心であり、BDは全てをさらす告白であり、同時に償いとなる行為がヨシュアの望むものである。
真に正しくあれば"ゆるし"は得られるはずで、1つの儀礼として完成する。
※カトリックに傾倒しているが細部にそれという暗喩も多い
「誰かと話がしたかったが頼める相手がなかった」とヨシュアがつぶやく。
いっしょに祈りはできないが最後まで見守ると約束した。
磔にする役を頼まれてほしい欲しいとも言われたが、それは断った。
ここで頷くやつなんているのだろうか。
たとえゲームだとしても、だ。
どこまでがヨシュアの考えであったか知れないまま、彼は致命する。
すべて終わり、見守っていたある者は膝をつき祈りを捧げていた。
プロデューサーのレイチェルは「偉大な作品になった」と興奮を隠さない。
「このBDは世に出すべきじゃない」とだけ言い残して、次回へ。