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大学生になりました。

今さらだが、大学生になった。

「おいおい、夏休みになってその話かよ」と突っ込みたくなると思うが、そこに関しては許してほしい。大学生活が予想以上に忙しく記事を書く時間が無かったのだ。

それほど忙しかった理由は、もちろんキラキラしたキャンパスライフを送っていたから!と言いたいところだけど、残念ながら課題に追われていたからだ。現実は厳しい。

そんなこんなで課題を終わらせて前期を振り返っていると、色々と感じたことがあった。


理想と現実

4月。

人見知りオブザイヤー2021の称号を引っ提げ都内の大学に乗り込んだ僕は、その実力を遺憾なく発揮していた。冗談抜きで最初の一週間位はこんな状態。↓



マジで真剣にこんな感じだったのだが、あの頃の自分に何か伝えるならば「なんだかんだで友達出来るよ」ということだと思う。絶対に信じないだろうけど。

そういうわけで無事に(?)大学生活が始まったのだが、1ヶ月くらいしてからこんなことを思うようになった。

「あれ?なんか想像と違くない?」

毎回の課題を出すのはめんどくさいし、中身があるのかないのかわからないような講義はあるし、火災報知器もやたらと誤作動する。

たくさん勉強をして、怖くて眠れない夜もあって、そんな辛い思いをして入った大学は、自分の思い描いた理想と全然違うものだった。色々な期待をして入学したわけだけど、ものの見事に裏切られてしまったのだ。(入学して数ヶ月なのに!)

でもよく考えてみたらこれは大学に限った話ではない。今までもずっと理想を追い求めては現実という壁にぶち当たってきた。

期待するということ

理想を持つということは期待をするということだ。そしてその期待は現実に直面したときにあっさりと裏切られる。


『感染状況を踏まえて修学旅行を延期します』


そう言われた時に僕たちは「どうせ中止になるんだろう」と期待をしなくなる。傷つくことが嫌だから。

自分の身を守る最善の方法は期待をしないことだ。高い壁を登ったら良い景色が見えると言うけれど、壁が高ければ高いほど曇り空だったときのショックは大きい。

だったら期待をしなければ良い。「どうせ登っても曇り空なんだろ?」と思いながら登っていれば、「ほら、やっぱりね」で済ますことができる。何事にも期待をしなければショックを受けることなく生きていくことが出来る。

でも、それは楽しいのだろうか?

負けて悔しいのは勝ちたいからで、推しに会えて嬉しいのは会いたいと思うからだ。

期待をするからワクワクするし、期待をするから頑張れる。期待をしない繰り返しの毎日は、あまりにも薄っぺらい。

もちろん全てに期待しろなんて無茶なことを言うつもりはない。でも、せめて自分のことは、自分のことくらいは期待して生きていたい。自分にさえ期待しない生き方はあまりにも惨めじゃないか?

ワクワクを求めて

理想は理想でしかないし、期待は裏切られることの方が多い。それに気づかされる度に落ち込むわけだけど、だからといって何にも期待しないで生きる日々はあまりに味気ないと思う。

結果的につまらない旅行だとしても、せめて計画を立てている間くらいはワクワクしていたい。「どうせつまらないんだろうな」なんて思いながら行く旅行は、そりゃ楽しくないよ。


やっぱり期待しながら生きていた方が楽しい。そんなことを思った前期だった。

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