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卒業

卒業式の日の夜、中々制服を脱げなかった。
制服を脱いだら、本当に終わってしまうから。

人生にはどうしても受け入れなきゃいけないことがある。
2022年3月、僕は高校を卒業した。



高校での三年間という時間は長かったのだろうか。

「三年間あっという間だったね!」と言われれば確かにそんな気もする。
だけど、ほぼ毎日つけてきた日記を見ればしっかり三年分のページがあって、三年分の厚みがあって、ひとつとして同じ一日はない。
こうやって振り返ってみると決して薄っぺらい三年間ではなかった。

もちろん悩んだこともたくさんあった。
大変なこともたくさんあって、良いことばかりだったわけではない。
じゃあ悪いことばかりだったのかといえば、そうでもない。

尊敬できる人に囲まれ、出会えて良かったと心からいえる友と過ごした日々は本当に濃く、そして「密」だった。

たくさんの学校行事は楽しかった。
沖縄にも行けたし、制約はあったけど行事も楽しめた。

でも、いつも一番最初に思い出すのは変わり映えのない毎日だ。

朝、学校に来たら挨拶してくれる友がいて、困っていたら手を貸してくれる友がいる。
そんな当たり前の日々がどれほど尊く、支えになっていたことだろうか。

受験シーズンが本格化すると学校を休む人が増えてきた。仕方ないなとは思っていたし、僕も受験生だから気持ちはわかる。

だけど本当は、みんなと会いたかった。
会って一緒に話をしたかった。
くだらないことで笑いたかった。

学校は僕が思ってる以上に大きな存在だったのかもしれない。どこかでわかっていたつもりだったけど、全然わかっていなかった。

そのことにもっと早く気づけてれば、、、なんて今さら思っても仕方ない。
大切なものの価値は失うことでしか気づけないのだ。


前日の夜、僕は中々眠りにつけなかった。
寝たら明日が来てしまうから。


少し寝不足で迎えた当日。
いつも通り乗りたい電車には乗れず、駅に着いたらトイレだけ借りにセブンイレブンに入る。そんなもはやルーティーンとも呼べる行動にもどこかぎこちなさがあった。

卒業式は涙の雨を降らすには十分すぎた。

最後のホームルーム。
いつも不愛想な先生は長い話をしてくれた。
先生は泣いていた。みんなも泣いていた。
素晴らしい仲間に囲まれて幸せだったと思うと同時に、自分もその一員として一緒に過ごせたことが心の底から嬉しかった。

それでもまだ、卒業という事実を信じることができていない。
確かに卒業証書こそもらったけど、明日にはまた制服を着て学校に行ってそうだし、教室に入ればみんなが居る気がする。


でも、違う。


もう最後のホームルームは終わってしまった。
朝、友達と挨拶をすることも、みんなで授業を受けることも、もうない。
教室から見える景色も、もう見ることはない。
いつまでも続くと思っていた当たり前の日常は、もう戻ってこない。


もっと笑えばよかった。
もっと泣けばよかった。


そんなことを思っても、もう意味はないのだと思うとなんとも言えない感情が心を支配する。

ただ、そんな風に思えるのも、僕と同じ場所で同じ時間を共にした人たちとの日々が濃く美しかったからなのだろう。
話したことがある人だろうとない人だろうと、みんなに感謝をしたい。

かけがえのない時間を、ありがとう。



ボタンを外して、ネクタイを緩める。
毎日何も意識することなく繰り返してきた動作も、もう最後なのだと思うとこみあげてくるものがあった。マサチューセッツ工科大学の論文によると、人は感極まると目から汗が出るらしい。

僕たちが今いるのは終わりじゃない。自分の人生への始まりだ。
いつも誰かに支えられていた僕も、自分の足で大人への一歩を踏み出さなきゃいけない場所へ来たのだ。

高校で出会えた仲間と離れ離れになるのは確かに寂しいけど、決してつらくはない。

また会えるから。
まだ繋がっているから。

卒業おめでとう。
体を大切に、自分を大切に生きていこう。
そして今度は自分が誰かを支えられるように。
たまには、愛しいこの日々を思い出しながら。



















本当にありがとうございました!!!

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