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【模型】正義の味方のかたち ~トランぺッター 1/72 74式戦車~

昔から悪役は悪役の形をしているもんで、善玉はなるほど善玉と分かりやすい顔をしているものだ。
私などはひどい悪人面なので昔から悪党を標榜していたが、これは中国で仕事をしていた時は結構ニラミが効いて役に立ったようだ。
逆に正義の味方は見てすぐにわかるような形をしていることがフィクションだと多く、視覚的効果からも好看(ハオカン:見栄えがいい)なものを主人公に据えないと納得しない層がいることから日本のドラマは大体においてハオカンな美男美女を主役に据えるもので、ために日本のドラマは薄っぺらでつまらないという見方もできる。
学校では外見で人を判断するのはよくないといくら教えても、人間はそういう風に思ってしまう生き物なので、仕方がないのかもしれない。
今回の話は、日本の中年おっさんにとってはおなじみの、いかにも正義の味方というようなかたちをした74式戦車のおはなしで、それこそ実車が登場した1970年代からビッグワンガムやタミヤのリモコン戦車など様々なキットでお世話にならなかった人は少ないのではないか。

※以下は2008年2月7日のmixi記事より転載加筆を行ったもの

スプリング・ハズ・カム!
バネ持って来い!
というギャグはおいといて、本日は春節(註:中国の正月)当日、新春のお慶びである。
私にもかつて幼少のみぎりという時期があったが、1月といえばドカ雪が降って除雪車に轢かれないよう気をつけて登下校する季節だと思っていたので、どういうわけで年賀状に「新春のお慶びを申し上げるので謹んで聞け」と書いてあるのかフシギで仕方がなかったが、なんのことはない、旧暦では確かに春の初めなのである。
さて何かと四苦八苦していた74式がようやく完成した。
以下、陸上自衛隊の74式戦車の話をしたい。

正義の味方の構図というものはわかりやすい。
だいたいが、見てすぐに分かるようななりをしている。
例外としては黄金バットや月光仮面のように、現代の目からすれば変質者にしかみえないものもあるが、そういえば現代においても「けっこう仮面」はどう見ても変質者だが、さておいて善玉というものは善玉らしい見かけをしているものだ。
アメリカのマンガになるとこれがさらに顕著であり、GIジョーの悪役コブラコマンダーや武器商人なんぞはどこから見ても悪人にしか見えず、さすがに善悪でしかものを見ない国柄だけのことはあると感心する。
この構図は虚構の世界のみならず現実においても当てはまるようで、分かりやすい例で言えば戦車のデザインにもそういうものを濃厚に感じることができる。
前世紀の悪役であったソ連やこれから21世紀の悪役に変貌するであろう中国のものはみな分かりやすく悪役風である。
特に中国の軍隊などはOD色からしてうす汚い馬糞のような色をしている。
香港に駐留している中共軍のZH-901装甲車を見て「おおカッコイイ、正義の味方だ」などと思う人物は感性がよほどイカれているか目玉がビー球でできているに違いなく、97年7月1日に香港‐深圳国境のLOKMACHAUチェックポイントから香港に進駐してきた解放軍はどこから見ても侵略者の軍団にしか見えなかった。
香港が中共に併呑されて早や10年も立つが、あのときの英軍と中共軍の実に分かりやすいコントラストは今でも強烈に脳裏に焼きついている。

1997年の香港会展中心での返還式典

話がそれた。
今を去る25年(註:2008年当時の25年前)近くも前のことになるが、当時の私はマンガよりも図鑑が好きなガキンチョであった。
学研の図鑑「自動車」には軍用車両のコーナーもあり、当時の世界の第一線のものが掲載されていたのだが、ソ連の戦闘車両とはなんと醜いのだろうと思ったものだ。
一方でわが陸上自衛隊の車両だけ別コーナーでいろいろと掲載されており、その中にM42自走高射機関砲が出ているあたり実に時代を感じさせるのだが、そのページのメインは74式戦車であった。
当時の塗装はOD色の単色で砲塔側面に日の丸がマーキングされているものであったが、74式戦車はガンダムなんぞよりはるかに正義の味方に見えたものだ。
74式戦車に正義を見出したガキンチョが幾星霜を経て今の私に至るという取り返しのつかないことになっているのだが、たぶんに以下の2人の大人が影響していることは間違いない。

子供のころの74式戦車といったらこのイメージ
タミヤ 1/35 リモコン戦車の箱絵

まず小学校の担任の先生というのが毎日ビンタを3発くれるという気前のいい人物で、身の丈6尺のヨカレン帰りのような先生だったが、当時28歳だったにもかかわらず実に時代錯誤で、たとえば帰りの会で次の日の時間割を見て「おお、明日の音楽の時間はグリーン・グリーンをやるか、さうか、ヨシ音楽係、ちょっと口ずさんでみよ」てな口調と調子であり、社会の時間になるとやたらに脱線して「バルチック艦隊は南から来るんじゃ」とか「おいしいオレンジジュースの作り方」とかいうわけの分からん話を展開するのであるが、私の性格は多分にこの先生から半分は受け継いでいるに違いないと今にして思う。
そういえば、ある日の授業で例によって脱線した際に「日本には給料をもらえる大学がある」という話になり、かくて小学5年生にして私はすでに防衛大学校を知っていたのだから、やはり現在の私のありように関する罪の半分はこの先生にあるであろう。

もう半分の罪はわが叔父上殿に着せるべきだ。
中学卒で家を飛び出して自動車整備工をやり、航空自衛隊に入隊して夜学の高校を出、4年後空士長で満期除隊してから大学に入り、学生運動なるものを生理的に受け付けず4回生のときに中退、本田技研に入社してからはどんどんエラくなり、ついでに態度もどんどんエラくなり、最後は子会社の社長でホンダを満期除隊、もとい定年退職し、山下清ばりに兵隊の位でいえば最終階級は大佐くらいなので、なまはんかな変人ではない。
福井の出身だが自衛隊時代から現在に至るまでほとんどを愛知ですごしているので言葉が尾張弁である。
小牧の家に遊びに行ったときなどは「ナアよし坊、おじさんがあの基地に兵隊に行っとった頃はだなァ」てな具合で話が始まり、手紙を出すときは「小牧 レーダー XX士長(註:レーダーとは基地固定レーダー設備ではなく当時の新鋭機F86Dのレーダー整備班のこと)」で届くのだという話は何べん聞かされたか分からない。
そういえば私の親族で当時タバコを吸うのはこの叔父上殿だけであったが、その理由がふるっている。
「おじさんがタバコを吸うのはだなァ、1本でも多くタバコを吸うことによって少しでも税金を納め、有事の際に1発でも多く鉄砲の弾丸を備えてもらうためだ」てなことをニヤニヤと語るのだが、大体がこのおじさんは言うことが白髪三千条で、もともと頭のいい人間が頭をヒネってバカなことしか言わないのだから並大抵の変人ではない。
ともかく突拍子もない人物で、従姉妹の婿さんなどはあのおじさんが義父になるわけだから当初は相当苦労したに違いないが、つまりはそういう人物が私のおじさんなのである。
甥の私がこうなったのも半分は叔父上殿の確信犯的責任であろう。

そういう子供にとって74式戦車は問答無用で正義の味方の形容であり、戦車といえば74式であった。
かつてタミヤのリモコン式1/35やビッグワンガム、はては100円プラモなどでさまざまな74式のキットを作ったものだが、さまざまな種類がリリースされている中で74式を選ぶという行為は、ガンプラであればガンダムに手を出すようなもので、クジでいえばアタリであった。
当時は陸自の戦車もOD単色塗装であったことから塗装自体は割りに楽だったが、まだタミヤから陸上自衛隊戦車色スプレーが発売される前だったので、タミヤスプレーのTS5オリーブドラブで我慢していたのを記憶している(当時400円だった)。
もっとも当時は塗装といってもせいぜいドライブラシを角にかけて擦れ表現をするくらいだったので、よく考えたら74式をマトモにきっちり完成させたという記憶がない。
そういうわけで、いっちょ気合を入れて74式を作ってみようと思ったのである。

部品の整形と組み立てまで完了したところ

キットは前の61式に続いて同じトランぺッターの1/72のもので、これも61式同様になかなかに手のかかるキットだ。
パーツ構成は大昔の1/35なみにあるので(というより実質的にタミヤの縮小コピーで田宮俊作社長が怒り狂ったらしい)、完成したらディティールはすばらしいにちがいない。
トランペッターの傾向なのか、それとも金型を依頼したピットロードの好みなのかディテール重視で設計されているのでパーツの厚みが薄く、光にかざせばフェンダーのへこみから光が漏れてくる。
上手に組めばいい仕上がりになるだろう。
ところが成形のいい加減さはさすがにトランペッターだけのことはある。
今回は砲塔リングの寸法が穴と砲塔側で1ミリも違うというのに出くわした。
1ミリも違うと砲塔はガタガタにガタつき、下手すると片方にオフセットされて実にみっともない。
そういうわけで穴の4箇所に出っ張りを設けて修正し、なんとかセンターを保持したままガタを解消できた。
まったくのっけからなんちゅうシゴトをさせやがる。

砲塔リングの穴を小さく修正

ともかくもパーツの切り出しと整形で結構な仕事になる。
そういえばこのキットはハッチなどがコンパチブルになっていて、3段階に開閉状態を選べるほか、潜水装置までついていて、なかなか豪華だ。
そうやってパーツの切り出しを進めていると、なんだか見慣れないパーツがあるではないか。
何じゃこれと思ってよく見るとなんとスキーである。
こんなものがついているとは恐れ入ったが、よくよく説明書を読んでみると前面装甲板のところに2セットぶっちがいに取り付ける指示になっている。
それはなかなか魅力的だが、それでは塗装を冬季迷彩にしなければならないではないか。
今回は初めての迷彩塗装であるのにそんなややこしいものに手をだすわけにはいかん。
そういうわけでスキーのセットは今回使用しないので、次回何かのときに使ってやろう。

タミヤゆずりのスキー板

さて、このキットには1/72にしてはなかなかよくできたフィギュアが付属している。
前に61式を作ったときにもこのフィギュアが付属していたのだが、唯一開く車長ハッチは機関銃が邪魔でフィギュアを立てられず、かといってほかの操縦手や砲手のハッチははじめから閉じているというトンチキさであったので、61式の分が二体あまっている。
74式のものとあわせて4体あるので、なかなかにぎやかだ。
そういうわけで、フィギュアを初めて改造することにした。
今回は初めての試みが多い。

このキットにはミニスケールにしてはなかなかよくできたフィギュアが付いている

まず車長だが、せっかくなので観閲式のようにカシラ右で敬礼させてみよう。
右手は関節に切れ目を入れてからタミヤ流し込み接着剤でやわらかくし、任意の角度に曲げてから通常のタミヤセメントをパテ代わりに盛る。
左手はもともと軽く曲がっていたものをプライヤーで強引に伸ばし、首も正面を向いていたものを強引にプライヤーでつかんで左を向かせる。
1/72だからこそできる荒業だ。

あとは砲手と操縦手を任意の寸法でカットして両手を取り付ける。
なかなかそれらしい雰囲気であるので戦車に載せてみよう。

なかなかいい感じではあるが、敬礼している車長の横で砲手がなにやらものすごい形相と手振りで何かを訴えているではないか。
もともと両手も「小さく前へならえ」のように両手のひらが縦になっているのも変だと思っていたが、こうして乗せてみると「こはいかに!かかるやうやはある!」てなふうに何かを訴えて怒鳴っているようにしか見えない。
これではいかん、なんて存在感のある野郎だ。
奴を黙らせなくてはいかん。
というわけで腕まくりした腕の部分でカットして90度向きを変えて再度接着、これで小さく前へ直れは解決した。

よく見るとコイツの口が開いているので、パテを塗りこんでとりあえずふさぐ。
表面が乾いたあたりでデザインナイフでちょっと整形、荒れた表面を流し込み接着剤で溶かしなおすと表面がスムーズになる。
ほほう、流し込み接着剤にこんな使い方があったとは知らなんだ。

塗装準備

本当はこの段階になったところで休暇のための一時帰国の予定であったのだが、突然熱が出てしまった。
空港で止められてはかなわんし香港の国境でSARSと間違われてしまうおそれもある。
さあこまったぞ、帰国できなくなってしまったぞ。
それじゃあ仕方がない、大陸で春節を越すしかないではないか。
というわけで1週間大陸でボケボケすることになってしもうた。
なんせ飛行機に乗れないんじゃしかたない。
というわけで74式戦車の塗装がはかどるわけである。

濃緑色のグラデーション塗装が完了

ここまでなら今までと同じ単色なのでスイスイ進む この次に茶色を塗って迷彩にするのだが、せっかくのグラデーションを崩すのはなんだかもったいない。

次いで茶色を塗装

実は迷彩塗装をやるのはこの時が初めてで、1色目のグリーンがだいぶ明度を上げたグラデーションを掛けたのに対してブラウンは瓶の明るさそのままを吹いたので、それぞれの間で明度が釣り合わずずいぶんと違和感のある仕上になってしまった。
それで、2色の迷彩の場合は2色目は思い切って明度を上げるとか、1色目の色を少し足してなじみやすくする必要があることなどを知った次第。

さて、塗装でつまづいた74式戦車だが、大きく路線転換してウェザリングでごまかすことにする。
はじめはタミヤのウェザリングマスターをやや自暴自棄に塗りつけていたのだが、よく考えたらデカールを貼るのが先だった。
あわててウェザリングを落としてデカールを貼ると案の定シルバリングを起こしてデカールの余白がテカテカと光ってしまった。
どうもいっぺんダンドリが狂うとどもならん。

ほか、ライトの塗装も行う。
一番外側はウインカーなのでオレンジで塗らなければならないが、クリアオレンジしか持っていないのでとりあえず先にホワイトで塗っておいて、あとでオレンジをかぶせることにする。
なお私のミニスケールでのライトの表現はこれまでホワイト一色で塗りつぶす印象派であったのだが、ライトを点灯している写真を見ると、白熱灯であるので肌色を帯びた光であることがわかる。
そういうわけで、いったんホワイトで塗っておいてからフレッシュでスミ入れをすればライトの周辺部にフレッシュがたまって実際の点灯したイメージに近くなるに違いない。
ホワイトが乾いたら早速やってみようと思う。
それにしても、正面から見たらライトガードは実に不恰好だが、ミニスケールでの表現の限界かもしれず、これ以上なんとかするにはエッチングパーツの出番になってしまうので仕方ない。
赤外線投光器の内側をフラットブラックで塗ると、なんとかメリハリがついてきた。

さらに車体後部のウインカーの塗装だが、これはやっかいだ。
直径1ミリくらいの円の下半分にヤギの目のような平たい赤色灯を書き込むのだが、ヘッドルーペを使ってキアイで書いた。
やはりこういうポイントをちゃんと塗ると、ぐっと模型ばえしてくる。
砲塔の車載50口径機関銃は下塗りのフラットブラックの上からエナメルのガンメタルをドライブラシする。
金属光沢がでてなかなかリアルだが、あとでさらにつや消しトップコートをふくとこの光沢は消えて単なるグレーになってしまう。
この上からさらにメタリックグレイでドライブラシをかけて機銃は完成となる予定。
あとは履帯を塗装してとりつけ、オノやトンカチなどの車外装備品を塗装して取り付ければ車体は完成となる。
さらに、ある意味メインディッシュともいえる乗員3名の塗装が控えている。

なんといってもこの大きさ
まずはアクリルのフレッシュにフラットアースを足したもので下地吹きする

面倒なので全面に吹いた
つづいて顔の凹みにレッドブラウンでスミ入れする

パーツの整形をいい加減にやったので、なかなか思い通りに塗料が流れてくれず往生した

さらに鼻やアゴの線にハイライトを入れる
ついでにフラットグリーンでTシャツも書き込んでおく
カーキにフラットグリーンを足したもので迷彩の基本色を塗る
つづいてフラットグリーンで緑パターンを書き込む
なるべく点が細かくなるようにしたつもりだが、こうやって拡大してみるとアラばかりがめだってしかたない

ともかく陸自のⅡ型迷彩は点の集合で出来ているので、間違っても縞にならないよう気をつけた
さらにブラウンを入れる

全体の比率を見ながらの作業となる
最後にフラットブラックを入れる

赤飯にゴマをふる要領でまばらに入れるとそれらしく見える
早速戦車に載せてみる
背中のほうが面がフラットな分だけ迷彩がやりやすかったせいか、後ろから見るとそれなりにⅡ型迷彩に見える
そうやってなんとか74式ができた

ちょっと感慨深いものがある

製作はえらく難産であった。
なんといってもエアブラシによる迷彩塗装がこんなに難しいとは思わなかった。
ヘタをすると1/72の乗員の2型迷彩服の表現よりも気を使ったかもしれない。
教訓として得たノウハウは、じっくり三面図を見て迷彩の境目を下書きしておくこと。
まず車体上面に塗る2色目の迷彩色はベースと同じ比率で明度を上げたものを使用し、エアブラシ用に希釈した塗料で先に輪郭を入れておくこと、輪郭の境目で色差がでるのでハイライトのグラデーションは1段でやめておくことといったところだろうか。
ほかにも転輪を組み付ける際、ミニスケールの場合起動輪と誘導輪は大きなテンションがかかるので通常の接着剤ではなくエポキシをつかうことというのも大きな教訓だった。
また、トラブルとしては車外装備品などの極端に細い部品(0.3ミリのシャープペンの芯より細い)を整形する際に結構頻繁に部品を折ってしまい(なおかつ折れた部分を失くす)、パーツの方向に向かって削るのではなくカッティングマットの上から余剰部分を押し切るようにして整形、あまり深追いせずに残りはペーパーでじっくり整形するのがよいようだ。
またこのスケールになるとパーツが極端に小さく、ピンセットでつまんだ際ハジき飛ばしてしまうことが多く、何度床にへばりついてイスラムのお祈りをやったかわからない。
結局排気管のパーツはどうしても見つからなかったので、今回断腸の思いであきらめた次第である。

2023年3月6日加筆

文中にも注釈で書いたように、どうもこのキットはタミヤの1/35のものをトランぺッターが縮小コピーしたものらしく、このためにタミヤの社長がブチ切れて、それ以降海外のプラモデルメーカーは静岡ホビーショーから締め出しを食うことになったのだとか。
そういえば韓国のアカデミーも当時は他社のコピーを堂々とやるのでパチデミーなどといわれていたように覚えている。
知的財産権の意識が今ほどにはちゃんとしていなかった過渡期の産物ということだな。

さてこのキットは日本ではピットロードから販売されていたようで、日本向けではちゃんと塗装やデカールの指示がされていたと思うのだが、トランぺッターのものはデカールの貼り付け位置が一切指示されておらず、注意書きなど細かいデカールはどこに貼っていいのか皆目わからないので画像検索で必死に調べ、どうしてもわからないものは陸自の幹部で元74式戦車に乗っていた友人に聞いたりして貼った次第。
正直なところ1/35のキットを無理矢理縮小したキットなのでとにかく作りにくく、パーツも随所に無理があるようなものだったので大変往生したが、組み上げるとなかなか精密感がある。
今でもアオシマの73式特大型セミトレーラーにはこのキットが付属しているものがあるそうなので、久々に作ってみたくなった。


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