【中国戦記】史上最大のハンドキャリー作戦 ー下ー 2007/5/20
荷物を待つ
翌日の16日早朝、ハンドキャリー作戦に関する最終ブリーフィングを行う。
・トラックの到着予想時刻は午前十時、それまでにホテルの車及び別に依頼した18人乗り中型バスにカートンを積み込み浦東空港到着ロビー8号門にて荷を下ろす。
・全日空向けの44カートンについては航空会社の全面的な了解が得られているので到着と同時に直ちに搭乗手続きを実施、2名態勢のカートピストン輸送で荷物を優先的に移動。
・東方航空の22カートンについても通関は敢えて行わないものとし、空港到着と同時に部長が数カートンをカートに乗せて突撃、有無を言わせず搭乗手続きに移る。
・私はまず全日空側の手続きが進んだことを確認した上で東方航空側の折衝に従事。
空港までの輸送手段については確保が完了、各運転手とも携帯電話による連絡を確立できた。
温州からのトラック運転手とも連絡が取れ、朝9時の時点であと1時間程度で到着予定とのこと、引き渡し地点であるホテルの位置についても了解済みとのことであったが、念のためホテルの服務員に電話を代わり、詳細なホテルまでの経路を伝えてもらう。
通関については今回はあえて行わないものとし、東方航空についても奥の手を使うことにする。
以上の確認が済んだ時点で一行は食堂に移動、朝飯を取りながらトラックとバスを待つ。
9時半になると、18人乗りの中型バスがやって来た。
シートが直角に近いタイプのものであるので荷物が効率よく積めるであろう
大陸国産のバスは座席同士の間隔が狭い上に背もたれが直角に近い角度で固定されているという非人道的なものが多いが、今回ばかりはこれに感謝した。
ホテルのJINBEI車もほどなくホテルに到着、後は温州からのトラックを待つのみである。
温州のトラックに再三電話をかけ、状況を確認する。
ところが、渋滞に巻き込まれたとの不吉な報に接し一同は一気に緊張、9時半の連絡を境に爾後しばらく携帯電話の不調により連絡が取れなくなる。
携帯電話の通話残高がわずか
大陸の携帯電話は実に曲者で、同じ中国移動通信であっても地域が異なると残高のリチャージもできず、登録している携帯電話番号によってはつながらなくなることがある。
これは、地区によっては地区外の携帯電話であっても市外局番を頭に付け加えたり、または0を付け加えたりしなければならず、さっきまで何の問題もなく通話していた相手の番号も地域が変わると「その番号は空号(存在しない番号)」という非情なアナウンスしか流れなくなる。
また電波の状態によっては雑音がひどかったり音が断続したりで会話ができず、これに加えて品質が優秀とは限らない中国製携帯電話機の要素も含めると、運が悪ければろくに使い物にならなことも多い。
また、大陸では受信にもカネがかかり、出張先等で本国から長々と国際電話が入ってくることは大変心臓に悪いことなのだ。
特に他所の省では電話代の残高をリチャージすることもできないため貴重な通話残高が本国からの国際電話を受けることでなくなってしまうと、その後一切電話を使うことができなくなり、出張先で耳と口をもがれた状態に陥ってしまうのである。
携帯電話から運転手を呼び出すことができないのでホテルの電話から呼び出すが依然不通、おそらくは運転手の側の電話に問題が生じたか、カネがなくなったか、もしくは一時的に電波の入らない地域に入っているものと思われた。
そのまま、実に心臓に悪い時間が流れる。
本社の課長などはすっかり言葉を失い、食堂で肉まんなどかじっていられるような心境ではなく、たまらず表に飛び出してはホテル前の道路に立ち、いつかトラックが走ってくるであろう方角を見据えたまま動かない。
予定しているタイムリミットの午前10時までは残りわずかであり、万一トラックが道に迷ったりしようものならその場でハンドキャリーは失敗、責任者は切腹の上本社課長はKCR(香港の近郊鉄道)に身投げ、駐在はビルマかどこかへ亡命となるのである。
携帯電話から運転手への連絡は依然として沈黙、数度ホテルの固定電話からも呼び出してみるが、「この番号は存在しない」とかいうメッセージしか流れてこない。
トラックが来た
タイムリミットまで5分を切った。
あきらめずにホテルのフロントから電話をかけること十数回目、不意に電話がつながった。
「ウェイ、今川沙路(A1高速道路から分岐してホテルまで伸びる道)に降りたところだ」
私の頭蓋骨の中で軍艦マーチが高らかに響くのが確かに聞こえた。
待ちに待った温州からのトラックが遂に来たのである。
「そのまままっすぐ来い!約2キロほど走ると右側に見えるはずだ!今から道路で誘導する!」
そのままホテルのロビーから駆け出して、叫んだ。
「トラックが来ます!」
それまで電池の切れたヒゲソリ器のようになっていた本社課長にバシッと大電流が流れこみ、二人で道の入り口に立って眼を皿のようにこらす。
はるかかなたに青いトラックが見え、次第にこちらに近づいてくる。
はたしてこのトラックだろうか。
豆粒ほどのトラックがピンポン球くらいの大きさに見えるようになった時、トラックの右のウインカーが明滅し、路肩側の斜線に進路を変更した
「おお、進路かえたげや、間違(まちげ)えねえ、あれやっちゃ!」
大きく両手を振ると、トラックの運転台でもこちらを指差しているのが見えた
はるばる温州から夜を徹して走ってきたトラックが遂にこちらを視認した。
荷物を積み込む
孤立無援の中で援軍を迎えた空挺部隊のように狂喜した我々はトラックをホテルの敷地内へと迎え入れる。
運転台から飛び降りた運転手が私に駆け寄り、「温州のXX公司から運んできたが、黒坂先生か?」と聞く。
そうだと答えると、トラックの助手が荷台側面の観音開きの扉をがちゃりと開く。
中には死ぬほど待ちかねた商品のカートンがぎっしり積み込まれている。
本社課長はなりふり構わず荷台に飛び乗り、カートンを片端から引きずり下ろしだす。
本国からのハンドキャリー部隊もこれに続き、たちどころにトラックの横にはカートンの山が出来始める。
私は18人乗りの中型バスへと駆け出し、運転手に向かって「荷物が着いたぞ!」と叫ぶ。
私は中型バスの入り口に陣取り、ハンドキャリー部隊がピストン輸送で引っさげてくるカートンを次々に車内の運転手に渡す。
なにせ1分1秒が惜しい。
人間が人生において極端に機敏に動けることが3度あるとすれば、そのうちの1回は間違いなくこのときのトラックからバスへのピストン輸送であったに違いない。
アドレナリンが全身から噴出しているのを感じながら必死でカートンを掴んでは車内に放り込み、バスの車内は瞬く間にカートンでぎっしり埋まってしまった。
概ね50カートンほどを詰め込んだあたりでバスのスペースがなくなり、私個人の荷物であるスーツケースを最後に詰めると、人間の立てる場所は入り口のステップだけとなった。
残りはすべてホテルのワゴン車に詰め込み、私を除いた4名がこれに乗車、示し合わせていたとおり上海浦東空港到着ロビーの8号門に向かうよう運転手に命じ、私はカートンを満載した中型バスに乗り込む。
バスの中で私が入る空間はドアのステップのところしかない、と書いた。
ところがバスの扉という奴は内側に2枚に折れて開閉するようになっており、スーツケースと肩からタスキに下げている巨大なカバンと私自身が障碍となって扉が閉まらないのである。
己のハラを心の底から恨む瞬間である。
なんとしても扉は閉まらず、冷や汗がドクドクと流れる。
運転手からは、「何しとんのじゃ、早よ閉めんかい」という声が天井のわずかなスペースを迂回して聞こえてくるが、なんとしても閉まらない。
仕方がないので張り出しているスーツケースとドアのヒンジ部分にそれぞれケリを入れ、気が遠くなるまで息を吐いて内側から一気に扉を押すと、バシャリといって扉が閉まった。
バスから出られない
「ドアが閉まったぞ、ソラ行け!」
バスは轟然と走り出し、ホテルの敷地から通りに出る段差でガタンとゆれた瞬間私の頭上からカートンがなだれ落ちてきた。
あわれ大陸の土地で遂にダンボールの藻屑と消えるかと思ったが、まだまだくたばるわけには行かない。
振動で四方八方から攻めてくるダンボールを押し返しながらドアのガラス窓に顔を吸盤のように押し付けていると、カートンの隙間から前方がわずかに見えた。
高速道路に乗りトラックの速度がいよいよ速くなるに従って振動も増してくる中で、カバンの中の携帯電話が鳴った。
こんな時に何だと思ったが、先行しているワゴン車からの緊急電かもしれない。
苦労してカバンから電話を取り出して通話ボタンを押すと、果たして本国からの国際電話である。
「今どこですか?実はインボイスの額面が合計30万円を越えると日本の税関では商業通関扱いになるのでインボイスを書き換えてください。」
冗談も休み休み言ってもらいたい、この態勢の中で一体何をせよというのか。
空港についても悠長にカバンからPCを取り出してプリンターはどこかいななどとやっている余裕など一切ない。
「今は全く時間がありません、どうにもなりません!」
顔をガラスに押し付けられながらようやく答え、通話障害によって電波が切れた瞬間、カートンの隙間から上海浦東空港が見えた。
バスはそのまま8号門に滑り込み、本社課長が駆け寄ってきた。
月面にも着陸できる現代である。
一度は入れた扉から出れんという理屈があるか。
20センチほど開いたドアの隙間からアメーバのように身をよじり、なんとかして出ようとするのだが、振動で崩れかかったカートンのせいでドアはそれ以上開こうとしない。
とりあえずズックのカバンだけでも外に出し、裂帛の気合をかけてドアをヒン曲げる勢いでコジ開けるとようやく上半身が出た。
上半身が出たならば腹も出るはずだ。
立てば歩めの親心、根性入れてズリ込むと、ドアの金具にベルトのバックルがカチリと当たる。
南無八幡大菩薩、別しては我が国の神明、願わくばこのドアを抜けさせてたばせ給へ
此れを抜くる能はざらば上海浦東空港に見事自害して人に二度面を向かふべからず
那須与一の心境でドアをコジ開け、遂にバスから脱出できた。
空港での積み込み
シアメン方面から転戦してきた私は巨大なズックのカバンと、更に巨大なジュラルミンのスーツケースを携行しており、まずはこれを何とかしなければならない。
前日の偵察で、出発ロビーには荷物預り所が2箇所あることを確認していたので、まずは荷物を放り込みに行く。
ゴロゴロと巨大なスーツケースを引きずり、カウンターの服務員に渡そうとすると服務員はまずX線にかけろといい、航空券を見せろという。
なんでも、飛行機に乗る人間しか相手にしないとのことである。
俺は乗らないんじゃというと、航空券をもたない人間の荷物を預かることはできないという。
よく考えたら、乗らないにもかかわらず関空往復の航空券を持っていることに気がついた。
これを渡すと、今度は身分証を見せろという。
たかが荷物一時預り所でなんと面倒なことか。
それでは荷物をX線にかけろというのでコンベアの上にドカッと投げ出すと、今度は「PCは預かれない」とかいう始末だ。
航空機に機内預けにするわけでなし、直ぐ後のロッカーに入れるだけのことでPCの破損の可能性があるとは一体何事か。
大体私のPCは空手家が正拳突きしても壊れないパナソニックのTOUGHBOOKで、なんなら実演して進ぜようかとも思ったが、すでに無視できないろすたいむが発生していて時間もないことであるので荷物を預けることはあきらめる。
なんということだ、合計25キロもあるスーツケースを引きずりながらハンドキャリー作戦の支援に従事することになってしまった。
示し合わせていたとおり、まずは全日空のカウンターへ向かう。
いち早く空港に到着していた先発隊はすでにカウンターに達しており係員とやり取りを行っている。
私は大荷物を抱えたままテンサバリヤーをくぐる。
まずは問題ないようだが念のため係員に確認する。
「昨日確認したことではあるが、このままこれと同じものを44カートン直接ここに持ち込んで構わないな?」
係員は、これと同じ重量体積なら問題ないからどんどん持って来いという。
ヨシ、これで44カートンは安泰である。
一旦荷物を集積している場所に戻り、荷物を見張るために立哨中の本社課長に伝える。
「全日空は問題ありません」
課長に代わってしばらく私が荷物の番をし、課長は空港備え付けの台車にカートンを積み上げて全日空カウンターのほうに走る。
トラブルは聞かなければトラブルではない
東方航空にチェックインする部長にはそのまま荷物を5,6個持って直接搭乗窓口に並んでもらうよう伝え、問答無用で「トゥエニィトゥ カートン」とだけ言ってもらうように言い含める。
なにせ東方航空の場合は航空会社の確約が完全ではなく、もしかしたら通関を要求されたりするかもしれないので、こういう場合はヘタにベラベラと説明をすることは却って危ない。
意思疎通が期待できないことを逆に利用し、こちらのペースに持ち込もうという禁じ手である。
しばらく外で立哨していると、部長からの電話がかかってきた。
なんでも向こうのいうことがよく分からないということである。
どういったことを言われているのかよく分からないが、またもや禁じ手が必要なことになったようだ。
全日空から戻ってきた課長と交代し、カートンを6個積んだ台車を押して当方航空カウンターへ急行する。
見ると、カートンの一部はすでにカウンターの中に入っており、通関をせよとは言われていないようだ。
テンサバリアーを押しのけてカートごと直接カウンターに乗り付け、向こうが何かいう前にこちらから畳み掛けるように一気にまくし立てる。
「この客人は本国でチケットを手配する際に貨物22個の持込をすることは貴社の日本事務所も了解しており、昨日もここの値班主任から完全没問題(まったく大丈夫)との確約を得てある(大ウソ)。今ここにあるものと同じものがまだ外に10個ほどあり、交通の妨げになるといけないから今すぐここに持ち込むが宜しいな?」
こういう場合通関のことなどオクビにも出さず、完全にこちらのペースで話しかけることが重要だ。
ヒトラーの著作にも「小さなウソなら誰でもつくが大きなウソはそう簡単につく訳にはいかないので、堂々と大きなウソを言えば大衆は信用するものだ」と書かれているが、まさにその通りで、こういう切迫した時に堂々とハッタリをかまし相手の思考を誘導することで危機は回避される。
論理的に考えても、上の問いに対して抱く自然な思考とは「フライトまでの少ない時間の中で搭乗手続き待ちの行列を捌ききるには面倒は回避したいが、コイツが言うとおり積み込みについて何度もウチの航空会社が了解したというのはホントウか?」ということであり、こういう展開で通関のことを切り出す人がいるならば、よほど普段から人の言うことを聞かない人か、並外れた切れ者であるに違いない。
やがてカウンターの中の主任らしき男が出てくる。
「全部これと同じ大きさなのだな?」
そうだ、間違いないと答えると、係員は是と言って、ならば今すぐ持って来いと答えた。
こうなればしめたもので、係員がいらんことを思い出す前に搭乗手続きを完了させなければならない。
「部長、OKです。全部持ち込んで大丈夫です」
部長は、それじゃあオレも今から持ってこようかというのだが、こういう場合は押しが利いてなおかつ言葉が通じない人がニコニコしているのが一番良い。
私などがカウンターに残っていると、「オマエも大荷物を持っているが乗らないのか?怪しい奴だ、キサマは何者だ?アア、そういえば通関はどうした?」という展開になってはヤブヘビだ。
構いませんからここで応対していてください、済みませんが自分の荷物も見ててくださいと言って、空のカートを押して再び外に戻る。
どうも私は社長だろうが総統だろうが回りにいる人を問答無用でコキ使う悪い癖があるのだが、非常時であるため仕方がない。
バスの運転手怒り狂う
外に集積してある荷物の側で周囲を警戒中の本社課長に「22カートンもOKです」と伝え、直ちに残りのカートンを台車2台に積み替えて東方航空のカウンターに急行しようとしたところ、中型バスの運転手がなにやら怒り出す。
何事かと聞いてみたところ、先ほど相当ムリをしたせいかバスの扉が壊れて自動開閉ができなくなってしまったとのことだ。
見てみると、なるほど扉は半開きのまま動かず、どうやら自動で開け閉めする機構のどこかが壊れてしまったようだ。
顔を真っ赤にして怒り狂う運転手に「では名刺を渡しておくから修理代を後でホテル案内所経由で連絡してもらえないか」と申し出るが、そこは仁義なき大陸であるのでまるで信用されない。
「そんなこと言ってもオマエ等これから飛行機に乗ってどこか行ってしまったらカネを取りはぐれてしまうではないか!」
こんな時に言い争う時間などないので、では修理代を1000元やるのでこれでなんとかせよと言うと、分かったという。
財布を開いたところ、当座残りの人民元は数百元しかないので、香港ドルの500ドル紙幣を1枚入れても構わんかと言うと、「バカなことをいうな、今は香港ドルのほうが人民元より価値がないのをオレはちゃんと知っているのだ、だまそうと思っても無駄だ!もし香港ドルで500ドル混じるならもう100元よこせ」と来た。
仕方がない、状況が状況であるので領収書など持ち合わせているはずもなく、カバンの中からノートを取り出してサインと連絡先番号を書くよう求める。
「おお、書く分にはなんぼでも書くぞ」とばかりに運転手の機嫌がとたんに良くなったあたり、どうも修理代1100元(約1万8千円)は多すぎたのかもしれない。
全部流れて行ってしまえ
さて、こんなことで時間を無駄にしている余裕などはない。
残った荷物を次々に運び込む。
あっという間にカウンターの前にカートンの山ができ、片っ端からコンベアの中へと消えていく。
いいぞ、係員がいらんことを思い出す前に全部流れて行ってしまえ!
やがて、最後のひとつがコンベアの奥に飲み込まれた瞬間、任務成功を確信した。
それではオーバーチャージを支払って来いと言われ、航空券を持って支払所へと向かう。
航空券にはバゲージクレームのタグが連続して22枚も貼られている
商売上飛行機にはよく乗るが、こんなムカデみたいになった異様な航空券を見るのは初めてだ。
やがて全日空組の2名がすべての搭乗手続きを済ませて戻ってくる。
前日から綱渡りの連続で極度に疲労していたが、やるべきことは終わった。
空港へ赴くバスの中でカートンに押しつぶされながら聞いたインボイスの件についても、その後部長と本国の間で何らかのやり取りがあり、問題なくいける方法が見つかったとのことだ。
オーバーチャージのカネを支払い搭乗券を手にした部長は、それでは大変ご苦労さんでしたと言って出国審査へ向かい、全日空組の2名もこれに続く。
出発ロビーに残った私と本社課長の二人は、多大なる疲労感と、同じくらい強い達成感のなかでしばらく立ち尽くしていたが、やがて予定の行動へと移った。
紆余曲折の末、ハンドキャリー任務は無事成功した。
16日の正午のことである。
任務完了
今回の場合、ハンドキャリー任務では直接発生した費用だけでも100万円近いカネが動き、さらに本国では同日夕方荷物が届き次第全社を挙げて徹夜態勢で出荷作業に移るというが、こういったコストおよび大量の人員を動員することで「本来はできるはずだったシゴト」という「得べかりし利益の損失」も含めると、今回の一連の動向にかかったコストは一体いくらになるのか一兵卒の私には見当もつかない。
商売とは一定のコストをかけてそれ以上の利益を求める行動であり、100円稼ぐのに100円以上かけるものはおらんのである。
しかし、真に必要とされる場合はコストを度外視してでもやり遂げなければならない局面が存在することも実際にはままあることだ。
万やむを得ないとは言え、顧客に対して納期を死守するという意味において、今回ほど強烈に誠意を印象付ける手段はあるまい。
また、人間はヒデエ目に遭って初めて物事の本質に気づくという習性があるが、今回の顛末は今後の問題抑止にとって実に説得力を持つ教訓となるに違いない。
現地駐在の私にしても、これほど大規模なハンドキャリーに従事したことで知り得たノウハウは少なくなく、どう考えても無理に近い任務を一同一致協同して敢行し、見事成功を収めたという事実は何事にも代えがたい達成感がある。
物量・組織・士気は大きなシゴトをする上で欠くべからざる要素である。
士気の高揚は組織運用の要であり、なるほど今回は決算書の世界では容易ならざる失態であったかもしれないが、はたして当の当事者はこれを「敗北」と捉えているだろうか。
防衛とは本来積極的に得るものは何もなく、むしろ失わないために行うものである。
今回のハンドキャリー任務はまさに「防衛戦」であり、その意味において、十分な成功を収めたものと確信する次第である。
私と本社課長はその後飛行機のチケットの関係で同日は上海泊を余儀なくされ、翌17日深夜に常平に帰着、18日は来客アテンドのため終日広州方面出撃となり、19日の本日朝、改めて常平来訪中の社長に対し出頭、本社課長より一連の顛末の報告となった。
これに対する社長の講評は、まさに上述の点に関し十分な理解を得られたものであった。
当事者としては、これに余る救いはあるまいと思う。
以上を以って、前代未聞の66カートンハンドキャリー作戦は状況終わりとなった。
ーおしまいー
【追記とあとがき】
この話は2007年のことだから今から15年も前のことだと思うと、隔世の感がある。
私もずいぶん人でなしだったなと思う一方で、まあよく動けたものだとあきれる。
一歩間違えたらすべてパーという危ない橋の連続で、もしひとつしくじって上海空港に66カートンの荷物と5人のおっさんが残され途方に暮れる羽目になっていたらどうなっていたか。
この時の一番の懸念点は通関で、同じロットの同一の製品を44カートンと22カートンに分けて別の航空会社に委託するわけなのだが、1セットの書類で大丈夫だったのだろうか。
また航空会社が一声「不行(だめだ)」と言えばすべてだめ、上海空港におろした荷物はどうやって回収しどこへ運べばいいのだろう。
今から考えても冷汗が出る心地がする。
これは当時向こうでやっていたミッションインポッシブルの中でも最大の語り草になったもので、あまりお勧めはできないし真似もしていただきたくないと思う。
肝心なのは、こういうことをやらずに済むよう発注段階で十分に納期に余裕を見ておくことで、この時点なら時間は綿のようにいくらでも縮んで詰め込めるのだが、工場で出荷する直前の時間は鉄のように密度が高く、これを縮めるのはこのくらいのことをする羽目になるという教訓にすることなので、商品発注を仕事にされている方には他山の石として頂きたいと切に思う。