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【旅行】仙台苫小牧ドンブラコ −19− アイヌのモノづくり

北海道の工芸品といったら結構昔から有名で、木彫りのクマが一番よく知られているようで、また私のようなおっさんでかつてパソコン少年だった人だと、名作「オホーツクに消ゆ」に出てくるニポポ人形などを想像する人もいるかもしれない。
またアイヌの伝統衣料であるアットゥシと呼ばれる厚手の半纏のような服には精緻な伝統意匠がパッチワークで表現されていて、デザインの面でも独特の文化がある。
狩猟採集のアイヌ文化は年代史的に見た場合近代まで縄文時代のようなものだったとも言えるのだが、工芸の面で多くの優れた点が見られるのが大変興味深い。
特に、自然の素材を機械に頼らずにすばらしいものに加工する点は、普段モーターツールに頼りきりの木工屋の私にとってはものすごいものを見せられている気になるのである。

材を紐で縛着して作った舟
この構造で水が入ってこないのはすごいことだ
マキリと呼ばれる小刀
精緻な意匠が彫刻で彫り込まれている
魚の皮でできた靴
自然の素材を適材適所で加工するのがアイヌ文化の特徴
アレッポと呼ばれる仕掛け罠
内地では平安期以降廃れた弩(クロスボウ)が北海道では使われ続けたのが興味深い
トンコリ
これは前の話に出てくるOKI氏が使っていたもの
Fenderのエンブレムが入っているが、まさかまさか

ウポポイには伝統工芸の製作を実演展示するところがあって、大変興味深い。
私がお邪魔した時には、木工の人と刺繍の人が作業をしていたのだけれども、私はその時点でかなり疲れが溜まっていて眺めるだけでその場を去ったのがなんとも惜しい。
ピンピンしていたらいろんな話を聞けたのだが、残念なことだ。

マキリを作る職人さん

ところでアイヌ文化は本土の縄文文化とかなり相似点があるのではないかと以前から考えていた。
共に狩猟採集を主とする生活で、交易はあるが富の拡大を目的とするよりもあくまでお互いが持っているものを相互に補完しあうというものである点も同じであれば、実用性と同じくらい装飾性にも労力が払われている。
のちに福井県の鳥浜貝塚にある博物館を訪れた時に、最新の考証で製作された縄文のものづくりの展示を見たが、アイヌ文化の直接の源流ではないものの大変よく似た空気を感じることができた。
一部の技巧は古代の縄文のものが伝えられたのかもしれないが、おおかたは多分どの文明でもものづくりの過程で試行錯誤の末に発明されたものではないかと考える方が自然なような気がする。
脱線するが私は本業の木工でものを作る際に、なるべく確実に失敗なく労力が少なくて済む加工を考えるのだけれど、これには工具や治具、加工の段取りなどが重要になってくる。
そうして誰がやっても失敗なく簡単にできる方法というものを考えて業務に供しているのだが、後で本やネットなどを見ていると同じようなものが紹介されていることに出くわすことがよくある。
つまりは、こういうものを作ろうという必要がありリソースとしてこういう素材と工具があるというような場合、やりやすさを本気で考えたら結構よく似たことを人間は考えつくのではないかということだ。
その思考の過程がノウハウとして可視化されるのだが、ものづくりをやっている人間としての視点で見るとこれは大変興味深いもので、なんだか時代を超えた同輩のような気がしてくるものだ。
ともかくも、リバースエンジニアリングではないが古来から伝わる工法が現代においても確かに受け継がれているという点で、アイヌのものづくりは大変に貴重なものであることがわかる。

福井県若狭三方縄文博物館の展示より木器を仕上げる縄文人
まず上衣の紋様の装飾性に目が向かう
同じく編布を編む縄文人
縦糸にウェイトをかけてテンションを張り間に横糸を通す編み方は世界中同時発生的に行われていたと考えるべきのようで、これはアイヌ民族のみならず本土でもむしろを編む方法として近年まで行われていたようだ
同じく丸木舟を掘る縄文人
石斧をちょうなのように使うこともおそらくはものづくりを行う試行錯誤の過程で自然発生的に発明されたものではないかと思う。

さて、ウポポイに滞在できる時間もかなり少なくなってきて、もとより全てを一遍通りに見て回ることは考えていなかったので、この日にやっていた特別展は当初は割愛しようかと考えていたのだが、その気を変えさせるほどのものを見てしまった。
それは博物館の一般展示の中にあったのだが、木彫の恐ろしく精巧なズワイガニだった。

藤戸竹喜作 ズワイガニ

藤戸竹喜というアイヌの木彫作家による作品で、凄まじいリアリティだ。
実のところ私は芸術というものがあまり分からない。
千利休は「渡四分に景六分(実用性四割/外観六割)」を理想としたというように、造形物はひとの役に立ってなんぼだと考えている私には、なんだかペンキを撒き散らしただけのような現代芸術や、屑鉄を適当に溶接したようにしか見えないようなオブジェと称するアート作品というものが理解できないのだが、このズワイガニはただ事ではない。
具象の極地のようなこのカニを仕上げるにはよほど丹念にカニを観察し、どういう動きをするか、どういう生態なのかを理解した上でないと到底できるものではないように思えた。
この人の作品がもっと見たいと思い、特別展に入ってみた。

アイヌ語で書かれた解説文

展示を拝見したところ、どうやらこのひとは木彫のクマの職人さんだったようだ。
北海道土産として知られる木彫のクマはアイヌの木彫技術の高さが遺憾なく発揮されたものだが、私はその具象的表現が昔から大変すごいなと思っていた。
よくあるデフォルメというか記号化されたキャラクター的表現ではなく、ありのままに彫る写実的な表現が私にとって大変心地よいものなのだが、このひとはそういう世界から物事を表現するひとのようだ。

写実的表現というものはまずは対象物をよく観察し細部に至るまで把握することから始まるのだろうが、これは写真に似ているなと思った。
写真はピントと露出を合わせてブレないようにシャッターを切れば誰でも写実的な絵を得ることができるのだけれども、それでひとの心を動かせるかといえばそれはまた別の話だ。
私は写真を撮る時にはできるだけその写真から何かを伝えようと考えるのだが、そのためには動きがあるものの場合はその瞬間を、状況を伝えるためには周囲のさまざまな事象から捨象された要素を切り取らなければならない。
そういうことをこのひとは木彫でやっている。
まずはリアルな説得力がなければならないし、おれはこれを伝えたいのだというテーマが明確に表現されていなければならない。
そういったものが、非常に細かい彫刻や、躍動感があるポーズ、そして構図やその他からこれでもかと滲み出ている。

先のズワイガニにしても、製作の過程で本物のズワイガニをしっかり観察するだけではなく、関節をバラバラにしてはそれぞれがどう動くのかということを確認して作り上げたとのこと、これは芸術家というより私の本業である木工屋の仕事に近いようなものを感じた。
多分アイヌの木彫のクマの職人だからこそ達することができた境地なのではないかと思う。

こうしてウポポイでたった1日、されどまる1日を過ごし、外に出た頃にはすでに日没を過ぎて青黒い空の下、白老の駅へと向かうのであった。

つづく

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