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【木工屋】全てはここから始まった⑤ 〜掃除機用スタンド〜
ヤミ商売を初めて4ヶ月を経た9月になると売り上げは完全に手取り収入を上回りました。
ここでいろいろなことを考えます。
このまま老後を迎えたらどうなるか
その当時会社からもらっていた月給は総支給で29万円くらいだったと思うのですが、中途採用で入社したことから昇給はこれからもほぼ望めず、ボーナスも金一封程度なので、このまま定年の60歳まで働いたところでこの先得られる収入など知れています。
60歳からは雇用延長でさらに5年働くことができたとして、収入はさらに半分に減ってしまいます。
それでも辛抱強く勤め上げたとして、この会社で私は何か得ることはできるのだろうか、65歳で会社を辞めた時、私は別の方法で食っていく能力はあるんだろうかということを考えると、明るい未来がその先にないことだけは確かなようです。
何よりも、希望がない状態でこの先仕事をしていると、人間が完全にダメになってしまうだろうと感じました。
ブラック企業について考える
ここで脱線しますが、ブラック企業というものは完全に社会悪です。
もしかすると、1970年代の公害問題よりも社会に及ぼしている被害は甚大でしょう。
その定義は様々ですが、まず社会的に感心できないようなことをやって存続している会社が一定数存在します。
私はかつてそういった会社に在籍していた瞬間がありまして、これは詐欺の片棒を担いでいるのではないかという仕事をしたこともあります。
実際には無在庫販売なのに在庫から即納できるような話を顧客に持ちかけるとか、実態は数人で回している転売稼業であるにもかかわらず商品は自社で製造しているというメーカーを標榜するなど、社会に対する裏切り行為にほかなりません。
こういう会社はそもそもがモラルのかけらもないもので、とにかく社員を脅して意味不明に働かせ、なおかつ賢い会社ではないのでいろいろな面でボロを出すので、これはまともな会社ではないとすぐに気が付いて3か月で辞めましたが、社会悪に加担することになるので関わるべきではありません。
大半はやるべきことをやらない企業
次に、一般的にブラック企業として見られている会社の大半は、一見普通の会社ではありますが、やるべきことをやっていない会社です。
さすがに残業代を払わないということは最近はずいぶん減ったようですが、私が社会に出た頃は現場系の会社であっても残業代がきちんと支払われることはまれで、「若いころは進んで苦労を買って出るもんだ」という考えが支配的でした。
会社によっては月に1回紙が回ってくることもあります。
この紙にはそれぞれの月の出勤時間と退勤時間を記載するようになっていて、退勤時間は定時で書いて署名してハンコを押して提出するということが定例業務のようにまかり通っていました。
デスクワークならいざ知らず、現場で働いている以上会社に提供している付加価値は労働時間に比例しているはずで、残業代を払わないことはレンタカーを借りて超過料金を払わないことと何一つ変わりません。
ではなぜこれがまかり通ってきたか、それは「それが普通」とされてきたからです。
結局社員が無意識にブラック企業を支えている構図
私が最後に勤めていた会社もいろいろなおかしなことがありました。
例えば有給休暇を取得することはほぼ犯罪に等しく、来週休みが欲しいのですがと申し出た場合、それは代休か?とまず聞かれます。
土日出張が多い会社だったので、平日に休むなら代休を使うということが一般的でした。
厳密には、土日出勤した場合は労働基準法により会社は割増賃金を支払う義務があり、その分を単純に平日の代休消化で相殺するということは割増賃金はどこに行ったんじゃということになるのですが、これは瑣末なことです。
もし代休がない場合は有給ということになるのですが、有給を取りたいと申し出ることは恐るべき犯罪でした。
なんと非常識なことを言う奴だ、周りにそんなもん取ってる奴なんか誰もおらんぞ、滅多なことはいうもんじゃないと上司に諭されてしまいます。
実はこの会社の有給とは「有料休暇」の略で、一日取得するとボーナスから1万円引かれるという恐るべき制度だと聞かされました。
なんでも社労士が監修したものらしく、初めから賞与に皆勤手当が5万円が含まれていて、1日休むごとに1万円ずつこれが減額されるというものだそうです。
そもそも皆勤とは有給休暇を全部消化してもそれ以外の日数をきちんと勤務していれば成立するので、これ本当に社労士が認めたのかと訝しく思ったものです。
重要なのは、そういう制度が本当に存在するのかということではなく、社員が皆そういう認識でいたということです。
マボロシの有料休暇の制度
この会社のおかしなことは社員に就業規則を見せてくれないということです。
それで一度総務に直接話を聞いたことがありますが、そういう減額の制度はないということでした。
ははあそうですかと引き下がって、そうか皆勘違いしていただけなんだなと納得してしまっては物事の本質が見えてきません。
重要なのは、そういう認識が社員全体に行き渡り、そう思い込ませておくことでマボロシの(ということになっている)有料休暇の制度が有休消化の抑止という点において実際に機能してしまっているということです。
そのため、その会社では有給を申請すること自体が大変タブー視され、有休消化率が極めて低く低減できているという成果が上がっているわけです。
もしこれが誤解によるものであれば会社は就業規則を公開してその事実が無根であることを証明すれば済むだけの話なのですが、この状態は会社にとっては大変有益なものであるはずで、これによって得られる利益は「1日あたりの人件費×14日×社員数」という膨大な額に上ります。
社員が勝手にそう思っているだけならそう思わせておけばいいということなのでしょう。
ところが、社員にとって、このことを含めさまざまな腑に落ちないことが余りにも多いことと、どうせ何を言ってもダメだという諦観が会社全体を重苦しく包み込むことで、ひどく殺伐とした空気が社風として漂っていたことが会社にとってひどく致命的なダメージであることに経営者は気付くべきです。
昼休みの喫煙所で、特に話を交わすこともなく大のおっさんが何人も項垂れたまま無表情でタバコをふかすだけの、この世の終わりに臨むような空気はあきらかに人事的に破綻している会社特有のものでした。
周りが真実だと思っていることは、必ずしもそうではないという実例です。
皆がやっていることは正しいか
Might is Right(権力は正義なり)ということばが西洋にありますが、私は若い頃から日本社会はMawari is Rightだと思っておりました。
海外での生活が長かったこともあり私は日本を外から俯瞰してしまうという悪い癖があるのですが、日本人の民族性には本質がどうであるかよりも自分が属する集団から認知されるかどうかを優先する傾向がきわめて強いように感じます。
それで集団に付和雷同することが美徳であるとされるのが日本人に見られる大きな特徴です。
そのため「皆やってるじゃないか」ということがモラルや本質を越えて優先される社会を自らが作り出しているのではないかと考えています。
今は社会のホワイト化ということで、企業体質の大幅な改善が行われているようですが、これも「忙しいのに残業できないため家に持ち帰って仕事をしている」といったマンガのような構図を生むこともあり、結局は「言われたからやっている」という本質を考えない集団迎合の結果なのではないかと考えています。
日本人を黙らせるのは簡単で、単に「誰もそんなことやってない」と言えば済む話です。
ブラック企業を支える日本人の民族性
先にやや脱線しますと書きましたが、もう少し脱線します。
日本人のこういった民族性はどこからやってきたのでしょうか。
人によっては、江戸幕府が支配を進める上で有効なように朱子学を奨励したからだと言われることがあります。
儒教の一派である朱子学は観念論の産物としてみなされることもあり、つまりはカクカクシカジカなのだからこれに従えということに従順に従うことが美徳とされる学問です。
これはブラック企業のガバナンスとかなり近いもので、集団は愚か者である方が支配がしやすいということに通じます。
ただし、この影響もせいぜい江戸時代260年のことに過ぎず、それではそれ以前の日本人はそうではなかったのかと言えば、そうも言い切れません。
はるか昔奈良時代の律令制の頃には公地公民といって民は国から一定の田畠を貸し与えられ大半を税で持っていかれるという一種の社会主義のような時代がありましたが、これは早くに崩壊し、民は逃散して田畠は荒れ果てるままというのが実情でした。
そこで墾田永年私財法という政策によって、自ら開墾した田畠は荘園として私有してよろしいということになるのですが、開墾者に力がない場合はせっかくの田畠も「これは荘園として認めない」ということで国衙に没収されてしまいます。
そのため、開墾した土地を有力者に寄進することで安全保障を図るということが一般化します。
これを寄進地型荘園といって、寄進される先は有力な貴族や寺社でした。
このように有力者に認められ守られることで自らの生存を保証するという時代が長く続きます。
また自分で切り拓いた土地をなんとか守るために武装化したものもいました。
これを開発領主といって後に武士となるのですが、小さな独立勢力のままではすぐに強者に収奪されてしまいます。
それで公の保証を得るために地頭という形で公的な土地の裁量者となり、朝廷から権限を認められることで安全保障を実現しようとします。
これが大きくなると守護代といって、守護に任命されながらも地方に行かず代理人にそれを任せたい守護(中央貴族)に代わって領国経営を行うようになるのですが、これを守護大名といいます。
これは支配権を公に、つまり朝廷から権威づけられたということで〇〇守という官職が与えられるのですが、これが生存権と支配権の担保になるわけです。
話は前後しますが、鎌倉時代には幕府というものができます。
これの主な仕事は各地の武士の所領の安堵、つまりその土地の領主であることを認めるというお墨付きを与えることでした。
このように、日本の歴史は土地所有の保証の歴史といってもいいもので、実力があることよりも権威、すなわち所属する集団の公認を得られるかどうかが一番の関心ごとであるという時代が長く続きます。
ご無理ごもっともで長いものに巻かれるという民族性が存分に醸成されたであろうことは想像に難くありません。
ところが室町時代に応仁の乱というものが起き、これまで権威とされたものが一気に力を失うという転機がやってきます。
それまで権威によって裏付けされた秩序は一気に崩壊し、北斗の拳のような社会が出現すると、それぞれの土地の有力者は自分の裁量で領地の経営と秩序の回復を行い、時には下剋上でのしあがって大名となります。
このように権威の保証を受けない独立勢力のことを戦国大名といいますが、なんの保証も受けることのない状況では自らの才覚だけが頼りです。
従って戦国大名は実力主義であることが求められ、何かに依存することなく自ら合理的に考えて生きていくことになります。
一番有名なところでは織田信長というひとがいて、朝廷の庇護を受けることなく自分の才覚でさまざまな新しい施策を行い、天下統一を成しかけたことで知られています。
もっとも戦国大名が活躍できる時代は1603年の江戸幕府成立によって終焉を迎えます。
このように日本の歴史から見るに、どうやら日本人は集団の後ろ盾があって初めて生きていけるという時代を長く生きてきたことによって、本当は自分はどう思っているのかとは裏腹に、集団に寄り添う体質が醸成されたのだろうと考えています。
その証左に、日本人はツマハジキ者になることを極度に恐れるという特徴がありますが、コンプライアンス的にはアウトでも結局は会社に従うという空気が漂うのは日本的には自然なことで、結果ブラック企業を資することになってきたのでしょう。
どんなに筋が通っていても周りがやっていないことはできないし、周りがやっていることはどんなに納得がいかなくともやるもんだ、ということが少なくともこれまでの日本のサラリーマンの本質であり普通だったといえると思います。
日本人の「普通」ほどあてにならないものはない
「普通だ」ということはなんでしょうか。
今いる周りの中で当たり前とされていることです。
では「周り」とはなんでしょうか。
会社員をやっていれば、会社が「周り」ということになります。
その中で当たり前なことなど、よその会社に行けば通用しないことも珍しくありません。
会社にとっての周りとは、その業界を指すようですが、業界が変われば当たり前のようにやっている業務上の通例などまるで昭和の会社だと言われるようなこともあります。
ではもっと広げて一億二千万の人間で構成される日本社会自体を「周り」とした場合はさすがに「当たり前=常識」と見なしても構わないかもしれません。
しかし、その前提は「これまでの環境と条件の元で一般に認知されてきた」というだけで、環境や条件が変われば常識すら崩壊してしまうでしょう。
肝心なのは、今現在通用している「普通」という共通認識が、環境や条件の変化によってアップデートされたものかということを考えることで、その上で個別の「普通」とされている事象を自分も認めるかどうかに尽きるでしょう。
他人や周囲が何を言おうが、実際にフタを開けて中身を見て、それが本当に妥当なものかどうかを判断するのは一人称たる自分です。
少なくとも、「理不尽なことに我慢を重ねて真面目に勤め上げる」という普通は、これからは通用しない普通だと考えました。
起業するなら今だ
ブラック企業であっても定年までの生活はとりあえず安定が保障されています。
しかしながら、日々の業務やストレスでどんどん精神に余裕がなくなり、結局惰性の中で受け身で耐えていける人間にならなければ務まりません。
その状態でたとえ65歳まで会社に養ってもらえたとして、その先はどうでしょうか。
自分でものを考え自分の力で生きていけるとはとても思えないのです。
私のような1970年代生まれの世代には、これから間違いなく陰惨な老後が控えています。
支払った分の年金に相当する額もおそらくは貰えず、また支給開始も70歳、もしかすると75歳以降になるかも知れません。
その頃には日本の社会も随分と縮小し、滅びの方向に向かっているはずです。
そのためにも、まだ元気に動けるうちに強くならなければならないと考えました。
その当時はまだ42歳、人間の定年が65歳だと考えてもまだ23年もあります。
新しいことを始めて経験を積み上げるには十分な時間で、また始めるには最後のタイミングでもあります。
私は何にも頼ることなく、何にも従うことなく自分の力で生きていく戦国大名になろうと決めました。
歯を食いしばって掟に従い周囲に伍していくのではなく、掟は自分で作って周囲を引き寄せる側に回れば良いだけの話ではないか、これができるのが現代の戦国大名たる個人事業主です。
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個人事業主になれば、当たり前ですがなんの保証もありません。
何があっても自己責任で、自分で始末をつけなければなりません。
その代わり、自分が決めたことはなんでもでき、結果は全て自分で享受することができます。
果たして自分にそれができるのかは誰も教えてくれませんし保証をしてくれる人もいません。
しかしながら、週末のヤミ商売で得た9月分売り上げ261743円という数字は、私を後押しするには十分でした。
実は開業したいのだが、という話をすると世の中の奥様方はまず不安になって、そんなこと言わずになんとか定年まで頑張りなさいと言うでしょう。
家のローンがあったり子供の養育費でこの先びっしり支出が控えていれば、当然な話です。
幸いにしてうちは私と家内の二人住まいの共稼ぎ、特に財産もない代わりに負債も一切ありません。
これに加えて、私は平均的な人と比べるとかなり変わっているというか、子供の頃から変わり者だったのが20代で明確に変人になり、30代で中国に渡ってからは誰しも認める怪人になっていたのですが、うちの奥様はその私が普通の人に見えるほどの人物で、世の中でどう言われているなんていうことは一切気にしません。
二つ返事で快諾してもらえ、すぐに退職届を書くことになりました。
つづく
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