【中国戦記】史上最大のハンドキャリー作戦 ー上ー 2007/5/20
詰まらない納期
「もうあかん、笑うしかないわ、アハハ」
本国の課長が途方に暮れた 。
平成19年5月9日のことである。
1升の桝には1升しか入らないものであり、1たす1は2にしかならないことは宇宙の法則である 。
発注時の1日と出荷前の1日では重さも密度もまるで違うことも世界の常識である 。
にもかかわわらず、これらのことは一部の方面では時に無視されがちで、たった1日詰まらないがために本国の貿易責任者がチベット王国へ亡命を模索したり現地駐在員が謀反を起こしたがるということが起きるのはなぜだろうか 。
本国の営業からの納期繰上要求は絶対であり、一方工場側は形而上的希望の介在する余地が一切ない純粋に物理的な次元の世界である 。
両側から万力のごとくギリギリと締め付けられる本国の課長の立場とはそういうものであり、而して前述のボヤキが海を越えネット回線をブッ飛んできては耳元のヘッドセットで音声に還元され、これがエンドレスで続くのである 。
あまりにも状況が好転しないことに業を煮やした本社は、ついに社長に状況の打開を諮る。
本社から各メーカーの台湾本社へ社長同士のホットラインが開かれ、そのやりとりの中でどんないきさつがあったのか知らないが、こっちではどうやっても詰まらなかった納期がキッチリ1日詰まったのには驚いた 。
こういう伝家の宝刀はいざというときに初めて使うもので、「ナンダできるではないか」とばかりにこれが恒常化してしまっては御利益がなくなるというものであるが、いずれにせよ本社課長を両側からジワジワと締め上げていた鉄の万力は死の一歩手前でその動きを停め、ここにわずかに活路を見いだした 。
そういう顛末があり、5月11日、危機は回避されたかに見えた 。
もっとも極超特急納期であることには変わりなく、本国からは私に温州とシアメンにそれぞれ飛んで状況と品質の確認を行えとの指令が来た 。
そういうわけで13日より温州に出撃、ついで14日の午後には再び飛行機に乗ってシアメンに転戦、事変はそのときにもたらされたのである 。
まさかのハンドキャリー発令
15日に温州から出荷になる分66カートンは当初予定していた上海からの航空便では間に合わないことから急遽これをハンドキャリーに変更、本国から3名の増援があるので、これに協同して上海から関西空港までの66カートンのハンドキャリーに全力を尽くせとの訓電である 。発令者は本国の部長、私がその報に接したのは14日の夕方だ。
以前から噂には聞いていた最終手段のハンドキャリーであるが、まさか本当に発令されるとは思わなかった 。
本来であれば15日に出荷される66カートンは翌日上海で通関の上17日のフライトを経て同日本社に配送となる予定であった。
ハンドキャリーがうまく行くかどうかはともかく、莫大なカネをかけた末に得られるメリットとは、本社の到着が1日早まるだけのことである。
気でも狂ったかと思うのは大陸ボケの駐在の浅はかさ、本国には相応の深謀遠慮があるに違いないと思い、これまでの出張行動をすべて変更、かくて史上最大のハンドキャリー作戦の状況開始となったのである 。
ハンドキャリーとは、正常な出荷手段では間に合わずDHLやEMSなどの国際宅配便でも間に合わない場合、やむを得ず文字通り荷物を手荷物として直接飛行機に積んで「本人が持ち帰る」ことであり、業種を問わずこういうことは大陸ではよく聞く話である 。
通常航空機には22㎏程度の荷物ならば無料で機内預けで積み込むことができ、それを超える分については超過料金を支払うようになっているが、それでも常識的な範囲とは「旅行者個人で搬送できる量」が原則だ。
翻って今回のハンドキャリー対象は66カートンもの量であり、普通の中型トラック一杯であるので尋常な量ではない 。
こんな大量のハンドキャリーは実績もないが、それ以上になんと言っても時間がないのが実に厳しい 。
14日の夕方にシアメンのメーカーでの用件を手短に終え、そのままホテルに直行して各方面との連絡調整を行う 。
夜になって、本国からハンドキャリー作戦の概略に関するメールが入った 。
要点は下記の通りであった 。
・本国から部長以下3名のハンドキャリー部隊が15日夕方に上海方面へ進発、同日シンセン訪問中の本社課長も上海入りの上本社部隊と合流、シアメン出張中の私は出荷元である温州に飛び同日深夜に出荷される荷物の工場出荷を確認した上でそのままトラックに便乗、翌日17日早朝に上海浦東空港にて本隊と合流
・66カートンの荷物は5人で分担してそれぞれの名義で搭乗手続きを行い、朝9時前後の複数の便にてハンドキャリー敢行
・本国からの部隊3名はそのまま関西空港にて通関手続きを行った上で運送会社に引渡し、そのまま本社へ移動、定例出張中の本社課長および私は関西空港に到着の後、速やかに次回の上海便にて大陸に戻る 。
なんと言っても実績のないことをやるのであるから、リスク回避のため前もってケチをつけられるところを片っ端から列挙して計画の妥当性を考えてみる。
まず、本国は朝9時前後にある便を3便押えて貨物スペースを確保するというが、荷物が温州を出るのは16日の0時前後であり、これまでの温州-上海トラック便の輸送実績から考えると、どう見ても上海着は10時前後である。
本国では本社の受け入れ態勢上の制約から朝便を検討しているようだがこれは全く不可であるため午後便への変更を具申しなければならない。
また、大陸の運送会社の規定では外部の人間の同乗を禁じているため私が温州からトラックに乗ってドナドナと上海まで行くことも不可。
運送会社の話では上海浦東空港の出発ターミナルはトラックの構内進入が禁止されているため直接乗り入れることは出来ず、なんらかの方策を採らなければならない。
さらに通関の問題もあり、通常ならば1時間程度で終わるとされるがこれも不明、通関業者が同行することも出来ないので書類に不備があった場合は玉砕となる。
一番肝心なのが飛行機の貨物スペースに十分な容積が見込めるかどうかで、こればかりは本国から航空会社に十分な根回しが必要である。
以上のことを本国に具申し、本社および大陸の関連する各方面と幾度もメールやスカイプ、携帯電話及びホテルの固定電話でのやり取りを行った上で下記の通り予定を修正、なにぶんすでに各業者がすでに下班(XIABAN:終業)している時間であるので、未確認事項が多いがやむを得まい。
・深圳に滞在中の本社課長およびシアメンに出張中の私は翌15日午後に上海へ移動の上、同日夕方到着予定の本社ハンドキャリー部隊に合流、現地入りしなければ分からない状況については同日夕方より時間の許す限り聞き取りおよび調整を行う
・本国からの3名は16日の12:10発全日空NH156便および12:25発中国東方航空MU731便にてハンドキャリーを実施、大陸組の2名はバックアップとしてその1時間後にある13:25発日本航空JL794便を確保
・通関に関しては荷物に添付されている本来の書類にて通関を予定するが、できることなら通関せずに直接搭乗手続きに移れるよう検討
・再三の出荷前倒しの申し入れも空しく工場出荷予定時刻は全くの不動、貨物の受領についてはおおむね16日午前10時(±1時間)に上海到着ということで運送会社から返答は得ているが、空港へはトラックの乗り入れが禁止されていることから上海での荷受の場所については15日午後に上海浦東空港で実地に聞き取りを行った上で同日夜8時までに運送会社に指示するものとする
・ハンドキャリー作戦の実施については現時点では成功の確約ができず、万一任務に失敗して上海浦東空港で66カートンの大荷物とともに5人の男が途方に暮れることになるよりは、1日遅れても確実に本社に着けることができる従来の出荷方法を是とする判断も無意味ではないことから、改めて作戦実施の可否を本国に打診、航空券手配の都合およびホテルでメールによる連絡が取れる限界である15日午前中一杯までに再度進退に関する指示を仰ぐものとし、もし同時刻までにいずれかの返答が得られない場合大陸部隊は独自の判断により無条件で上記の行動に移るものとする
15日の朝になると、より詳細な情報が入ってくるようになる。
大陸側からはネガティブな情報が連綿と入る。
なんといっても工場からの出荷時刻から計算すると、上海方面にトラックが到達するのはおそらく午前10時ごろであることは間違いないのだが、上海浦東空港に直接トラックが入れないことが問題で、何とかして空港乗り入れの許可を得るか、他の代替案を講じなければならない。
また、本国の部隊が押えたチケットは12時10分と12時25分のものであるが、搭乗手続きの締切時刻を考えるとデッドラインは11時30分となる。
通常の場合通関が順調に進んだとしても1時間はかかるということで、もっとも理想的に状況が展開したとしてもまったくのギリギリである。
次いで、これが一番肝心なのだが、搭乗手続きの際飛行機に数十カートンもの「機内預け荷物」を積むスペースが確保されているかということである
いずれにせよ、昼前には本国から最終決定事項として作戦の実行が指示されるに至り、問答無用で各航空券を手配、上記の不安材料を抱えたまま私は上海へ飛ぶこととなった。
状況開始
バスは延安路の高架を走っているうちは調子が良かったが、直に上海名物の渋滞に巻き込まれる。
満員のバスの中でつり革を握り、動き回る荷物を押さえつけながら揺られていると、カバンの中で電話が鳴った。
着信番号を見ると番号不明の国際電話であり、出てみると果たして本国からのものであった。
なんでも本社からの3名については航空会社と話がつき、それぞれ22カートンと44カートンの持ち込みについて了解が得られたとの事、大陸部隊2名は不要となったとのことである。
なんということだ、出張日程を全て変更し万難を排して急遽上海方面に飛んだものの、上海に着くなりオマエは要らんとのこと、体中の力が一気に抜けた。
あまりの脱力にそのまま常平に帰ろうかとも思ったが、ともかくも深圳方面からも本社課長が上海に向かっているところであり、上海に一人で置いてけぼりにするのは仁義に反する。
それに、上海浦東空港で何か役に立てることもあるに違いない。
いずれにせよ合計66カートンの持込について航空会社の承諾が得られたことは何より吉報ではないか。
そう思い直し、釈然としないまま満員のバスに揺られること30分、ようやく市内の静安寺に到着し、ここから地下鉄に乗り換えて龍陽駅へと向かう。
上海の地下鉄は12年前(註:2007年当時)に開通して以来、乗るのはこれで2回目だ。
思えば13年前(註:1994年)初めて上海を訪れた時は市内の至る所が再開発で瓦礫の山になっており、建設中の地下鉄は初乗りが3元もするということに大変驚いたものだ。
なにせ当時唯一営業していた北京の環状1号線および東西の2号線はどこまで乗っても料金は一律5角(0.5元)であり、市内バスも一律3角(0.3元)という物価であったからだ。
13年後の現在では、会社の通勤に毎日片道5元のバイタクに平気で乗るようになったが、こういうものの物価はひどく上がったものだ。
13年前は、そんな高い地下鉄に一体誰が乗るものかと思っていたものだが、21世紀の現在上海の地下鉄はいつも満員である。
この地下鉄に揺られること20分、終点のひとつ手前の駅である龍陽路駅に降り立った。
リニアモーターカーに乗る
龍陽駅からはマグレブと呼ばれる世界初の旅客リニアモーターカーが走っている。
浦東空港までの35kmを7分30秒で結ぶという驚異的なものだが料金が高く、同じ経路をバスなら13元で行けるところ、マグレブでは50元もする。
従って、よほどの物好きでなければ乗らないため駅も閑散としている。
3年前(註:2007年当時)に開通した時は列車も設備も運転手も全てドイツのジーメンス製であったが、最近は中国製の運転手に変わったらしい。
だからかどうか知らないが、昔乗ったときは430km/hも出したのだが今回は300km/h止まりであるので、ちょっと拍子抜けだ(夜6時以降は時速300km/hまでしか出さないのだと後で知った)。
いずれにせよあっという間に終わってしまうので、7分なり9分なりに50元も出すのは惜しい、できれば20分くらいは楽しめるよう走ってほしいと思うのだが、速度がメリットのマグレブを同じ50元も出してノロノロ運転させるのは根本的に何か間違っている気もする。
マグレブは遊園地のマシーンではないことに気がついた瞬間、浦東空港に到着した。
やはりマグレブは速いと改めて感心した。
上海浦東空港にて本社部隊と合流
マグレブの改札口を出ると、そこに本社課長が憔悴しきった顔で待っていた
帯同されて浦東空港到着ロビーへ向かうと、部長以下3名のハンドキャリー部隊がすでに到着している。
何より時間が惜しいので、あいさつもそこそこに早速所定の行動に移る。
本国からの部隊は到着したばかりでお疲れでもあるので、航空券だけ預かって単身空港の中をタテヨコ十文字に飛んで回る。
まずは翌日の荷物大量持ち込みに関する航空会社との確認だ。
全日空及び中国東方航空はそれぞれ44個と22個の荷物持ち込みを日本側では了解したというが、万一話が伝わっていないのでは困る。
そういう訳で、東方航空の搭乗窓口を訪れたところ、係員は何じゃッてか?という顔をし、よく分からないのでとりあえず直班主任(当直主任)に聞けという。
東方航空の直班主任とやらはどこだと聞くと、搭乗窓口の反対側に長長とした専門のカウンターがある。
4、5名の係員がたむろしているので、一番ヒマそうでない係員に声をかける。
「この搭乗券の客人が明日22カートンの荷物を託運行李(機内預け荷物)で持ち込むことを東方航空の日本側事務所は了解しているが、連絡は来ているか」
直班主任は、基本的に連絡を受けているが託運行李扱いではものすごく高いぞとのんきなことを言う。
あたりまえだ、そんなことは始めから分かっていることで、こっちが聞いているのは確実にスペースを確保できているかどうかなのだ。
各カートンの重量及び寸法を伝えると、重量は問題ないが寸法がやや問題で、機内にスペースがあるかどうかについては明日の朝でなければ何とも分からないという。
無理もない話だが、これでは心もとない。
要するに、朝一番にやって来て状況を改めて照会してほしいとのこと、我々には「ハイそうですか」と引き下がれる余地などないので、これは可能な限り早い時刻に搭乗手続きを行って問答無用で積み込めという意味で解釈する
懸念の種であった通関については、事前に取引先や知人などに聞き回ったところ、量が極端に多いので絶対に必要だろうとのことであったが、これに対する東方航空の回答は「尽量(JINLIANG:なるべく)通関してほしい」とのことである。
「なるべく」とは何事か。
これは語尾に続く文節の内容を希望する接続助詞だ。
ということは、相手の希望をブチ壊し、通関せずに荷物を渡すことも不可能ではないとも解釈できる。
そういうわけで、東方航空分22カートンについては明日の出たとこ勝負になりそうだ。
次に全日空のカウンターに走る。
さすがに日系企業だけのことはあり、本国での根回しが上海浦東空港の末端係員まで十分に行き届いていた。
明日の44カートンの件だがと切り出すと、係員の小姐は一旦奥へ引っ込んで上司に確認に行くようなブサイクなこともせず「本国から聞いている。大丈夫だ」と即答、通関が必要かと聞くと「不要であるから明日搭乗手続きをする時にそのまま持ち込まれよ」という頼もしい回答だ。
重量や体積についても本国から十分に申し送りがあったようで、何の心配もいらないので安心せよとのこと、さすがは世界に冠たる全日空だと感心した。
ついでに、荷物の持ち込みについてトラックの乗り入れができないと聞いたが何か方法はないかと聞くが、さすがにこれは管轄外なので、空港の問訊所で聞いてほしいとのことであった。
荷物はどうやって持ち込むか?
東方航空の場合はややクエスチョンが残るが基本的にはなんとか航空会社の問題はクリアした。
次は税関である。
空港の税関で通関の所要時間について聞いたところ、実際に書類と現物を見てみないことには何ともわからん、とにかく税関は朝っぱらからやっているので朝一番で荷物を持って来いという、ごくあたりまえの回答であった。
ついでに、荷物を持って来る際トラックを構内に入れることはできないかと聞くと、「税関としてはトラックだろうが何だろうが全く関与しないが到着ロビー前の道路は交通警察の管轄だから交通警察に聞け」という。
交通警察は外の6号門のところにあると教えてくれた。
ヒマだったせいもあるが、なかなか親切な税関だ。
6号門の付近を探したが、それらしい警察の事務所は見当たらない。
あちこち歩き回ってみたがどうにも分からないので問訊所で聞くと、6号門から出たずっと外だという。
ついでであるからトラックの乗り入れについて聞いてみた。
すると、貨物がむき出しになるタイプのトラックは不可だが荷台がコンテナ状になっている密封型なら大丈夫だというではないか。
温州のメーカーに電話を入れて確認したところ、果たして密封型のトラックであるので何とかなりそうではある。
といっても念のため交通警察に裏を取らなければアブないので、せっかく教えてもらった交通警察の場所にも行ってみる。
再び6号門から外に出ると、各車線を区切るコンクリの島が列になっており、かなり向こうに薄暗い掘建小屋のようなものがあって付近に警察車が停まっている。
なんだか道路工事の現場事務所のようだが、これが交通警察の詰め所らしい
窓からみると交通警察が4人ほどたむろしており、ヒマなのか私の姿をみると「おう、入れ入れ」と手招きする。
早速話を切り出すと、「それならエリート公司に話をしてみろ」という。
エリート公司とは何だと問うと、なんでも空港内のいろんなサービスを行っている会社で、ここに頼めば空港管理事務所にトラックの入構許可が回り、自動的にオレ等交通警察中隊に指示が回るようになっているのだ、オイ、エリート公司ってどんな字を書いたかな、愛情の愛に力量の力に特別の特、いや立場の立だ、分かったか?ということでなかなか親切だ。
何がなんだか分からないが、「愛立特公司」とやらを探さなければならない
再び3階の問訊所に戻り、エリート公司はどこだと聞くと、出発ロビーF島の隣だという。
さっそく飛んで行くと、なんのことはないさっき問い合わせをした東方航空の隣ではないか。
英語名でElite Clubというらしく、なんでもビジネスセンターに近いような業務をやっているようだ。
ブ厚いガラス越しにトラックの件を伝えると、どうも相手の係員の小姐は要領を得ないようで、「そんな服務など聞いたことがない、何かの間違いではないか?」という。
ソラ始まった、大陸では親切心からいろんなことを教えてもらうことができるが、往々にしてイイカゲンなことを言う奴が少なくない。
おのれ交通警察めテキトウなことを言いやがったな、ただでさえ夜8時までに貨物会社に上海での荷降ろし地点を指示しなければならないというのに、これで貴重な時間をまた使ってしまった。
再び外の6号門にある中華おまわりボックスに乗り込み、話が違うぞ、愛立特はそんなことやったことないといっているが、外に手段はないのかと聞く。
罰金を払ってもかまわんからトラックを入れさせてくれとも言ったが、現行犯で捕まった時ならともかく、かいじん21面相ではあるまいし犯行予告をいちいち聞き入れるほど交通警察もヒマではないらしい。
そういえばさっき密封型のトラックなら入構できるという話を問訊所で聞いたが実際どうなのだと尋ねると、そんな話は聞いたことがないからダメだという。
世の中イイカゲンな事を言う奴が多いので困ったものだ。
さて、クルマさえまともな乗用のものであれば荷物の積み降ろし自体はまったく問題ないので、マイクロバスか何かで乗り付けてはどうかと提案してくれる。
車の積み替えも以前から検討していたが、大型の車をどうやって現地で手配するかと、トラックとどこで合流して荷物を積み替えるかが問題であった。
待てよ、ホテルだと送迎用の中型バス位は手配できるはずだ。
またホテルならばまがりなりにも所在がしっかりしているので運転手にも住所を伝え易く、なんとなればホテルの服務員に直接電話でトラックの運転手を誘導してもらうことも可能である。
荷物を積み替えるにしてもホテル内の敷地なら保安上の懸念は少ない。
コロンブスの卵のようにいくつかの課題が同時に氷解、交通警察に礼を言って、再び空港内にあるホテル案内所へと走る。
「浦東空港に最も近いホテルを頼む。それから大型の送迎車を確保してほしい。部屋など豚小屋でかまわん!」
空港1階は多くの旅行業者のブースが入っており、その一つに足を止めるなり矢継ぎ早に注文をつける。
分かった、ならばここから15分の距離に1軒あり、1泊388元だがどうだと言う。
車は手配できるのかというと、ホテルにはJINBEI車(トヨタHIACEの中国製海賊コピー版)があるらしい。
66カートンを一度に積むことはできないが、ピストン輸送なら何とかなりそうだ。
それからこの業者が独自で大型の車を手配することもできるという。
これなら何とか行けそうだという手ごたえを感じた。
時計を見ると、貨物会社に連絡を入れる期限時刻である夜8時まで数分もない。
従ってその場で即決し、ホテルの住所と電話番号を携帯メールにて送り、確認できたかどうか電話で問い合わせ、無事手配できたとのことである。
そういう訳で、本日やるべきことはなんとかやり終えた。
思えば浦東空港に着いて以来、いろんな人に話を聞いたり振り回されたりで、コマネズミのように端から端、上から下へ動き通しであった。
とたんにひどく疲れを覚え、外まで一服に出る。
やがてホテル差し回しのワゴン車が来たので皆でこれに乗車、高速道路を10分ほど走り、下道に降りてさらに5分ほど走ったところにあるホテルに落ち着いた。
ーつづくー