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【中国戦記】異文化理解のススメ 2006/4/8

温州3泊4日の出張では台湾企業にごやっかいになり、朝飯以外のめしにもれなく酒が付いてくるという地獄の業火にアブられてすっかり体がむくんでしまった。
「体質が酒を受け付けない」といくら言っても「ダイジョウブねー」と言って聞かないので、先方に合わせて飲んでいるうちに、私はもともと腎臓がよくないので体の排毒機能がイカれてしまい日を追うごとに水ぶくれになって、ついに出張最終日には死後10日たった水死体のような丸顔になってしまった。
もともとこうではなかったのだが、5年前浙江省の嘉興で東北人の役人に白酒のグラス乾杯を強要されて餐庁の床で散華して以来酒が飲めない体質になり、また酒と宴会と、酒(特にビール)が好きな人間に対し強烈なPTSDを負うようになってしまったのである。
そんなわけで本日仕事が終わると早速薬局で「排毒」の薬を求め、茶をガブガブ飲んでいる次第だ。

ともかくも身体的には大きなダメージを受けた4日間であったが台湾人との交歓は実に楽しかった。
なんといっても中国や韓国と決定的に異なるのが、異文化に対する興味関心の強さで、それらを受容する寛容さがとてもいい。
中でも台湾文化に根を下ろした「日本文明」および「日本を経由した欧米文明」は今に至るも健在で、台湾人と話をするとかなりの頻度で「日本語」もしくは「日本式なまりの外来語」が混じってくる。
すっかり仲良しになった50年配の台湾人副総経理「キンさん(と呼んでほしいそうだ)」とはこの4日間ウイスキーのビール割り、「サブマリーン」と言うのだそうだ、をガバガバやりながらいろんな話をしたが、一番印象的だったのが、休憩時間に私のPCに入っていた内地の写真を紹介したときである。

キンさん

どうも台湾人はわが国に対して「お手本」を見出す傾向が実に強いようで、ある写真が画面に映ったときに「キンさん」は突然非常スイッチが入ったかのように応接間を飛び出し、事務所にいたスタッフの女の子数人を連れてきて、「ほらほら、見ろ見ろ」と言うのである。
特に変わった写真ではなく、私が以前福井県の松岡町でアパート暮らしをしていたときに撮った松岡まつりのスナップで、キンさんに「電気」を入れてしまった写真では普通の住宅地の裏道に御輿の一団がやってきて、くたびれたのかオッチャンがひとり道路に直に腰を下ろしているという一見なんでもないものである。

キンさんにスイッチを入れてしまった写真

「ほらほら、日本の道路を見てみろ、ぜんぜんゴミが落ちていないのだぞ!」
「見ろ見ろ、日本では直接道に座り込んでもぜんぜん汚れないのだぞ!」
「日本では道路は掃除する人はいなくてもこんなにキレイなのだぞ!」

どうやらキンさんは最近工場スタッフに日本式の5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)の教育を行っているがどうもうまく理解を得られないらしく、一言言うたびに10言ほど言い返されるようで、「ピストルを撃つたびに重機関銃で撃ち返される」のだと言っていた。
そこで良き教材登場せりというわけで、日本のただの住宅地のスナップ写真を見せたというわけらしい。
キンさんはわが事のように自慢し、「どうだ見てみろ」とばかりに熱弁を振るうのが実にほほえましい。

普段はキンさんに十字砲火を浴びせていたスタッフの女の子数人も「具体的証拠」の写真を見せられるとすっかり黙り込んでしまい、中でも気が強そうな女の子はなんとかして言い返したいが材料が見つけられないので実にもどかしい顔をしている。
やがて日本の神社の写真になると、大陸のスタッフには様々なカルチャーショックが登場するようである。
まず神社の境内へ続く石段が実に清潔で、大陸のようにゴミだらけであったりタンとゴミで練り固められたようになっていないのが珍しいようだ。
次いで、手洗いの水盤の中に硬貨がたくさん沈んでいるのを見て、だれもこれを盗もうとしないのがショックらしい。
さらに、神社の拝殿には様々な什器があるが肝心の「本尊」がないのがどうにも理解できないようだ。

これについては解説が必要だと思ったので、早速「講義」を始める。
まず清潔さについては日本と大陸の国民性でもっとも違いが出る点で、日本向けの商品になぜクレームが出るかについてはまずこの点を十分に理解するべきだと説いた(自分のことは棚に上げてよくヌケヌケと言ったものだと我ながらあきれる)。
公共物の愛護と社会的道徳についても大陸と日本では考えがまったく異なり、大陸文化の特徴が「義」であるとすれば日本文化の特徴は「公」なのだ。
ついで、日本は一見多宗教のようであるが実質的には「神道」というアニミズムが精神の根底にあり、森羅万象に八百万の神々がいて、特定の偶像を祭るようなことは一般的ではない(最近はどんなもんだろうか)。
現在に至るも日本人の精神にはこういう点が強く残り、たとえるならば日本人は相手が人であれモノであれ、人間と同じような「人格」を感じるのである。
従ってモノに対する愛着も日本人特有のもので、よく働いた機械にも「ご苦労さんだったなあ」というような擬人化された感情を持つと言う点も大陸では理解しにくいことと思う。
よって、同じ日本製の設備であっても日本でなら何十年も稼動するのに大陸ではすぐに壊れてしまうというのもまさにこの点に理由があるのであって、民族性の違いが「メンテナンス」への理解に如実に現れるのだと結論する。

まったく我ながら自分のことはタナにおいて、よくもまあカッコつけやがったなと思うのであるが、傍らの台湾人「キンさん」は実にうれしそうな顔をして、「どうだ、そうなんだぞ」という目を大陸のスタッフに向けるのである。
大陸のスタッフもまんざらではないようで、「異文化」に初めて感覚的に触れたという顔をしている。

私の稼業である眼鏡の業界では、品質とは数字で表せない場合がほとんどで、基準を設定するのも実に困難な分野である。
つまりは究極的にはそれぞれのメーカーが「きちんと」ミスなく作れたものの比率が「品質」であるという言い方ができるのだが、その判断は官能検査がほとんどで、つまりは感覚的に判断しなければならないのだが、「感覚」こそもっとも「文化の違い」が現れるというわけで実にヤッカイなのだ。
その場合、出荷先の国の「民族性」を知ることは大変有益である。

「能ク敵ヲ知リ己ヲ知レバ百戦再タ春遠カラジ(危ウカラズとはなんぼなんでもありえない)」というわけで、自分のモノサシだけでなく相手のモノサシを知ることはこの業界に限らず重要なのである。
そういった「異文化理解」も、別に難しい話をするまでもなく時にはこういった何気ない写真からでも十分に説得力を持たせることができる。
コストありきのPRODUCT OUT的発想に終始しがちな大陸メーカーで「製品を買っている奴はどんなところでどんな生活をしてどんな考え方をしている奴なのか」ということを知ってもらうことは大変に意義があることだと思う。
そういう意味でも今回の出張はなかなか上出来だと思っている。
ただ「サブマリーン」は次はカンベンしてもらいたいもんだ。

【追記とあとがき】
2006年当時は多桑世代の台湾人がまだまだ現役で働いていた時代だった。
多桑というのは当て字で「トーサン」と発音する通り、日本語の「父さん」の意味で、日本統治時代に日本の教育を受けて育った世代に育てられた世代を指す台湾の言葉だ。
この世代は同時に幼少のころ大陸系政権である国民党のめちゃくちゃぶりを直接体験していたり、国民党によってひどい目に遭った親世代から徹底した薫陶を受けて育っているので、日本統治時代の台湾を直接知らず日本の教育を受けていないにもかかわらず、あらゆる世代よりも親日的な人が多かった気がする。

さて、文化の違いは品質を判断する上でも如実に表れるので、中国のメーカーから「このくらいのものがなんで不良品なんだ?」ということを聞かれることがよくある。
そりゃ「うちの営業が不良っていうから不良なんだ」というのは日本では通用するかもしれないが、海の向こうでは通用しない。
作り手であるメーカーは使い手である客先以降の事情についてはよく知らないので、どういうわけで不良と判断されるかの背景を伝えることが重要である一方で、この背景には民族性の違いによるものも多分に介在しているため「この客人はなぜ怒っているのだろう?」という方向に思考を誘導することが有効だった。
感覚的にわからないながらも、とにかく目の前の外国の客人は失望しているが、これはなぜなんだろうと思わしめることで、自分のモノサシ以外の尺度でものをみようというきっかけにすることができるのである。
ために、私は現場でよいものが安定して生産されているとわかりやすいほどニコニコ顔になり、残念なものが出てくるとはっきり眉をしかめ、時には烈火のごとく怒り狂い怒鳴り暴れまわるようなこともやった。

異文化を理解するのはそれまで持っていた感覚や常識から逸脱しなければならないという作業が必要なのだけれど、これは本稿のような雑談が役に立つことも多かった。
こういうことは直接異文化と接してきた駐在員や長期出張者のほうが、もしかすると日本で教鞭をとっている教職の方々よりも有用な経験を豊富に積んでいるのかもしれないと思う。

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