【中国戦記】カナダ人とめしを食う 2006/8/11
先日広州方面の町工場に出張したときのことだ。
サンプル室に西洋おじさんがいた。
アジアと違って欧米では知らん人相手でも挨拶をするのが習慣だそうなのでHelloと挨拶をする。
ハハアこのメーカーは結構いいものを作るのであちら方面からも結構受注しているようだなと思い、そのままこちらは打ち合わせを始める。
打ち合わせは30分ほどで終わり、ここまで来るのに往復で移動に4時間はかかるので何をしているこっちゃ分からなくなるが、しかし直接会って話をするメリットは大きいのでそういうことにしておく。
そのまま常平に帰れば夕方には工場に着くだろうと思っていたら、メーカーのラオバン(社長)がめしを食っていけと言う。
時間は2時を大きく回っていたが、なんでもカナダの客人に昼飯をご馳走するのだからお前も来いと言うわけだ。
いや俺はこれから常平に帰らなあかんのじゃと断るのだが、どうもラオバンと事務所の小姐(娘さん)とカナダおじさんだけでは間が持たないらしく、何とかしてくれと言うから参ってしまった。
誰彼かまわずやたらにめしに招待するのが中国人の習慣の良いところであり悪いところでもあるが、外のメーカーでハチあわせたヨソの客人と一緒というのは初めてだ。
日本人にしてみればちょっと節操がないのではないかとも思うが大陸では知り合いの知り合いは皆ポン友ということになるので、ちょっと時間が気になったがついて行くことにした
ラオバンの車に乗り込むと隣には大男のカナダおじさんが座っていて握手を求めてきた。
「私ハカナダカラ来タJeffダ。ヨロシク!」
「手前ハ日本国ヨリ参ツタ貿易商ノ手下ニシテ名前ヲKurosakaト申シ候。御目見光栄至極ニ存ジ候也」
恐ろしく久しぶりの英会話なのでひどくぎこちない。
やがて近所の海鮮レストランに着いたのでラオバンと事務所の小姐、そして我々の4人はテーブルに着く。
なぜか茶と一緒に豆乳が出てきた。
「コレハ何ダ?」
「Soy bean milkニテ候。大兄ノ健康ニ頗ル益ニシテ是非試飲ヲ推奨スル」
なんだか妙な顔をしながら豆乳を飲んだのがおかしかった。
「下に下りて魚をえらぼう」とラオバンが言う。
海鮮レストランはたいてい入り口がイケスというか水族館のようになっていて魚を選ぶシステムになっている。
「ココハAquariumカ?」
「然ラズ。材料ヲ選択スル場所也」
ラオバンはいくつか魚を指してこれでいいかと聞くが、ハシが使えるかどうかでその辺の事情が変わってくる
「大兄ハ箸ヲ使用スルコト能フルヤ如何?」
「Basically大丈夫ダ」
なら大丈夫なので、割と大きめで食べやすそうな魚を選んでもらう。
席に戻ると、どうやらカナダおじさんもかなり時間を気にしているようで頻繁に時計を見ている。
聞けば4時20分の広州発温州行きの飛行機に乗る予定なのだそうだ。
「広州空港マデハココカラドノクライカカルノダ?」
ラオバンに通訳すると、「大丈夫、没問題だ。あっという間に着くよ。それよりめしだ」と言うから却って心配になる。
まったく中国人の時間の感覚ほど当てにならないものはなく、また中国人の昼飯ほど長いものはないのである。
「現在ハ空港迄高速道路ニテApproximatelly30分デ到着スヘシト雖モ何時昼飯ガ終ハルカガ問題ニテ候。1時間以内デ済ムヤウ余モ配慮スルノデ安心サレヨ」
やがてビールが到着したので「CHEERS!」「GANBEI!」「KANPAI!」の三ヶ国語で食イ方始メとなる。
出てくる料理がみな珍しいようで会話も進む。
「ほら蝦蛄だよ先生。おいしいからぜひ食べなさい」
カラつきのシャコをどうやって食えばいいのかわからないらしく、私が見本で手づかみで殻を剥いて食ってみせる。
「大陸ハ食事ノ習慣ノ異ナル事至大ニシテ手掴ミ吐捨テ等モInpoliteニ非ザル也。古人曰クChinaニ在テハChineseニ従ヘト申シ候」
そうすると安心したようでカナダの先生さっそくエビのカラを剥きにかかる。
だいぶ食が進んだあたりで言葉の話題になる。
「大兄ハカナダ国ニ於テハ英語若シクハ仏蘭西語ノ何レヲ用イラル哉?」
「今ハカナダハホトンドガ英語デ、French SpeakerRハケベック州ノホンノ一部ダケダ。シカシ普段英語バカリ使ッテイルト他ノ言葉ヲ覚エルノニlazyニナッテシマウノガ困ルナ」
「ナニ米国人ヨリハ余程マシダラウト推察仕リ候」
そういうとカナダおじさんはよほどおかしかったと見えて多弁になる
「Australiaノ義務教育デ多クノ若者ガ日本語ヲ選択シテイルノヲ知ッテイルカ?ヒトツハ経済上の理由、ツマリ観光ガイドダ。モウヒトツハAustraliaガJapanニ対シテトテモfamilliarダカラダ」
「斯クコソアル哉。然レドモ小生七年前ニ豪州ヘ社員旅行ニ赴キタル折ニハ外国語ヲ多用セルト雖モ其ノ半分ガ実ハ中国語ナリ」
「そうそう、今は中国人移民がたくさんオーストラリアやカナダに行ってるからね」
「ソウカ、ソウイエバ次ノOlympicハBeijingダッタナ。君ハ楽シミカ?」
「もちろんですよ。先生もぜひいらっしゃって見てはどうですか?」
「イヤ、ホテルヤチケットノ手配ガ大変ダロウカラ、No thank youダ」
そこで「大陸ハ人口頗ル多大ニシテ行列ニ並ブ時間ノ長大ナルヲ如何セン?」とツッコミを入れるとThat's right!と言って一同大いに受けた。
やがて空港に行く時間が近づいてきたようなのでラオバンに目配せを送り、カナダおじさんはラオバンのクルマで空港へ向かった。
車に乗り込むときに「Great talkヲドウモアリガトウ。マタ会オウ!」と言ってくれたのでこちらも「I also enjoyed talking with you. Have a nice business in Wenzhou!」と 言って別れた。
たった4人なのに英語と中国語と広東語が入り乱れるので頭がすっかり疲れてしまったが、こういう体験は面白い。
義和団の乱の北京籠城55日ではないが、なぜか大陸にいると外国人同士一種の連帯感みたいなものを感じる気がする。
さて、すっかりサビついた英語をなんとかせねばならんと痛感した。
【追記とあとがき】
中国人にとって食事ほど大切なものはなく、これには惜しみなく時間を使うのが普通だ。
特に仕事での訪問となると結構なレストランに招待され、昼であっても酒が出てくることが普通で、私が駐在していた広東省はそれほどめちゃくちゃに酒を飲ませる習慣がないためまだよいのだが、東北などでは昼間から乾杯と称する殺し合いがしばしば展開される。
食事は簡単でいいといっても向こうは向こうでメンツがあるので客人を粗末に扱うわけにはいかないという事情もあり、時間に余裕がある場合は付き合っていたものだが、たっぷり2時間はかかるので午後の仕事が押しているときなどはなかなか悩ましいことだった。
さて、中国人との食事、特にこういった会食や宴会ではたのしく過ごすことがマナーで、招待した側にとっても客人が楽しく満足できたことがそのまま面子にもつながり、時には客人がへべれけになって動けなくなることが、より望ましいともいえる。
動けなくなるほど飲み食いしてくれたということで先方のメンツも大いに立つというわけである。
ところで中国ビジネスの参考書などでは「宴会」に少なからずのページを割いているもので、ここでどう良好な関係を構築できるかが後のビジネスに濃厚に影響してくるという点がほかの国とは違う。
例えば相手がこちらからモノを買う立場だとして、先方の資金繰りがあまり良好でない場合、「宴会で仲が良かった順に支払う」ということもあるので「酒が飲めなければ売掛金が回収できない」という話もよく聞いたものだ。
更に、中国人と真に良好な関係が築けているかどうかはその人にとって自分が「朋友(pengyou)」かどうかということで、何かあった時の対応に天と地ほどの差が出てくる。
中国でのビジネスは日本ではとても想像もつかないようなことが起きるものだというが、それらに対する中国人の解決方法もまた日本人には想像もつかないようなものであり、いざという時そういったことが期待できるかどうかで大変に大きな違いとなって表れるのである。
なお、こういった席では日本のいわゆる「美徳」または「気遣い」とされる行為は結構裏目に出るもので、遠慮をするのは無粋なことだ。
日本人は「飲み会」などで1人前の料理を数人でシェアするときにかなりみみっちい取り分けをしたり、皆が遠慮して「最後の1個」に手を出さないということがあるが、あれも見苦しいだけで誠意が伝わるどころか「オレの招待が迷惑なのか?」というわけで大変無礼なふるまいに写る。
目上のひとに敬意を払うのはこっちもあっちも同じではあるが、招待されている側が先方よりも自分の上司に気を使って兵馬俑のように無表情な顔でおとなしくしていることもいただけない。
こういう場では上役は目下に対して「楽しませる配慮を行う義務」というか、そうするのが当たり前で、社長だけがえらそうにしていて同行の社員がみな兵隊のように黙り込んで社長の顔色ばかり見ているというのは、招待する側にとってはまるで火星人を招待しているくらい居心地の悪いことだ。
またこういう場では、雰囲気を盛り上げるための話ができるかどうかも重要で、特に外国人として招待されている場合はこちらに対してどんな話を聞けるのかという期待もあることから、気の利いた話ができるのとできないのでは大きな違いが出る。
これは単に語学的な能力に負うもののみならず、自分が背負っている文化的背景についてきちんと理解できていて、かつ「楽しい話題」として提供できるかどうかが肝心だ。
こういうことは中国だけでなく、どこの国に行っても同じだと思うのだがいかがだろうか。