【中国戦記】トラ!トラ!トラ! 2006/2/22
先生お願いします
本日午前より深圳に出張し、取引先や当社の新人駐在員を交えて楽しくめしを食っているときだ。
出向先である常平のY社の業務担当より携帯電話に入電があった。
「黒坂先生、今日深圳方面に出張しているなら帰る途中に例のXX工場から金型を奪還してきてくれませんか」と来た。
状況は少しく複雑である。
まず、当社は東莞市常平鎮にある出向先の工場(以降Y社と呼称)にとある樹脂成型品を発注し、Y社の購買課が外部のメーカーにこれを発注するというスタイルになっているため、外注メーカーへの発注から納品までの実務はY社が行い、出向駐在員である私は仕様と金型の確認および製品品質の確認を行うという業務分担になっている。
Y社購買の責任者である香港人の某Pが東莞市の最も南端にある鳳岡鎮というところにある同じく香港系XX社にオーダーを回したところからこの話の伏線が展開されるのである。
さて、常平の購買責任者である某Pはどうも以前から「黒い霧」の噂が立っており、不可解な事件がよく起きるのであった。
たとえるならば、以前香港系ZZ社に前金XXXXX元也を払って金型を発注し、金型が完成する前に図面上で不具合な点あったため修正を依頼したところ、ZZ社は否といい、再びXXXXX元を支払って新規で金型を起こさなければならないのだという。
図面上で確認したならば重新開模(金型起こし直し)になるほどの変更ではないのでこれはおかしい妙だなと思い、実際に金型を引き上げさせてみると、なんのことはない、まっ平らで何も彫っていないただの100kgの鉄の塊であった。
ロクに着手もしておらず、その上で適当なことを言って金型代を倍せしめようという実にフテエ業者もあったものだ。
この件があって以来Y社は内密に某Pを注意するようになったらしい。
当然その金型は即他のメーカーに振り替えられることになった。
その後のつづきで今回の案件はこうである。
件の金型はその後某Pによって上記の東莞最南端にある鳳岡鎮のやっぱり香港系の金型メーカーXX社に振り替えられ、そこで一回目の量産は完了したのだが本国の顧客から再度金型の修正が入り、某Pを経由して、XX社に修正を依頼したところロクでもない見積もりが上がってくるのである。
台湾系企業である常平のY社はどうも香港企業をあまり信用しておらず、今回のズバ抜けて高い見積もりを受けるに至ってついに某PとXX社が「おとなしくないことをしている」関係であると断定し、この両者を切り捨てることになった。
某Pは即時解雇を言い渡された。
そこで問題になるのが金型の回収である。
金型は当社が全額費用負担しているので当然ながら当社の財産であると皆が認めるところであるが、某Pと末端のメーカーの関係になると実に不透明で、前回ZZ社からまっ平らの金型を引き上げる際も返す返さないで大いにモメたという経緯がある。
なるほどぜんぜん着手していないのに再度金型費用を巻き上げようというのだから返せないのも道理なのだが、そういう「信じられん」ことも往々にしておきるのが大陸ビジネスの面白いところであるといえる。
従って今回の場合もXX社が金型を素直に返却しないことも考慮しなければならず、実に疲れる話である。
この件については改めて常平のY社が同じ台湾系のメーカーに振り替え、C総経理(Y社の常平でのいちばんえらいひと)自身が差配するという話になった。
そのため金型を至急回収する必要が生じたのだが、納期も差し迫っており無駄にゴネている余地は一切ないのでC総経理は「保険」をかけた。
つまり昨日解雇を言い渡され本日Y社の香港事務所で退職処理のために出頭している某Pの身柄を拘束し、本日夕方までに金型の無事回収が確認できない場合はXXXXX元を某Pの未払い賃金及び退職金より弁済させるというものである。
時間は急を要し、そういうわけで深圳方面に出張中であった私に緊急電が入った次第である。
もともと私はY社にとって顧客の代表ということで出向している立場上、Y社とその外注先との間のモメゴトに介入する言われはみじんもないのであるが、位置的に私が最も近いところに出ていることと「日本からの顧客」であるという強烈な圧力を利用できること、加えて鳳岡鎮のXX社には某Pと私しか行った事がない点を考えると、なるほどもっともな判断かもしれない。
ただちに状況開始
午後2時半に取引先と別れ、件のXX工場へ向かう。
シンセンには赤いタクシーと緑色のタクシーがあって、赤いタクシーは深圳の特区外には出られないのだそうだ。
従って緑色のタクシーを拾わなければならないのだがどういうわけかシンセン郊外の横岡鎮には赤いタクシーしか走っていない。
仕方がないのでバスで向かうことにしたのだが、聞けば中間地点の丹竹頭というところで乗換えが必要なのだそうだ。
2元支払ってギューギュー詰めのバスに乗り込む。
まったく知らない土地であるので車掌の小姐に「丹竹頭に着いたら言ってくれろ」と頼んだが、途中でY社のC総経理より電話が入る。
金型を受け取る際は念のために金型を割って中身に傷がつけられてないかどうかを確認してほしいとのことだ。
なんでもヤケになったメーカーがタガネで故意に傷をつけることがあるらしく、もしそんなことをされたら金型はパーになる。
まったく仁義なき戦いとはこのことだ。
こまったことに、やかましいバスの中で力いっぱい電話を耳に押し付けて話をしているうちに車掌の声を聞き逃してしまいバス停をひとつ通り過ぎてしまった。
仕方がないので次のバス停で降りて前の丹竹頭のバス停まで2km歩いて戻り、道の反対側にあるバス停に移動するのだがこれがハンパではない。
片側3車線で車がバンバン走る高速道路のような道で周囲には横断歩道はおろか交差点すらない。
極め付けには中央分離帯はコンクリート製で高さが1メートルもある。
覚悟を決めて命がけで横断を試みるが、道路の真ん中で少なくとも3分はコンクリートに張りついていたような気がする。
命の危険を感じる瞬間が数度あり、当時の会社の規定では中国国内の出張には出張手当は出ないのであるが(註:このためにのちに会社に改めて申し出ることで一日1000円出るようになった)、出張手当はいらんので危険手当がほしいと心底思った。
聞いた住所と全然違う
さて、なんとか無事に鳳岡鎮行きのバスに乗り込んだのだがもともと今回はXX社へ行く予定はなかったので先方の住所がわからない。
先方のラオバン(老板:社長の意味)の携帯電話にしきりに電話をかけるのだが自動的に電話会社の秘書サービスにつながるようになっているので連絡をよこしてもらうよう何度もメッセージを入れるのだが一向に電話がかかってこない。
Y社の業務に電話したところY社からも連絡を取るよう何度も試しているのだがやはりダメなのだそうだ。
仕方がないので先方の住所をSMSで送ってもらう。
やがてバスは鳳岡鎮に到着し、さっそくタクシーを拾って住所を見せる。
陽気だがかなりヌケた感じの運転手はあちこちで聞きまわって目的地に行こうとするのだが、まったく見覚えのないところをグルグル回るだけで一向にXX社が見つからない。
常平Y社の業務からは「どうですか?どうですか?」と電話がひっきりなしに入ってくる。
そのうち私の携帯電話の通話残高が残りわずかになり、節約のためメールでのやり取りに切り替える。
タクシーで30分も同じところをウロウロ回っていても埒が明かないので、究極の選択である「記憶」を元にさがしだすことにした。
以前訪問したときには鳳岡鎮の交通警察と大世界ホテルと立体交差のある交差点を交通警察側に曲がってからまっすぐ走り、道がカーブし始めたあたりのごみごみした裏道に入って坂道を登った記憶があったので、それを頼りにランドマークである交通警察の前まで戻り、そこからは頭を車の窓から突き出し目を皿のようにして走る。
住所とは方角が90度も違うのであるがかまわず走ったところ、なんだか見覚えのある町並みが見え始めた。
道がカーブに差し掛かり小さな裏道を見つけ、「そこだ!右折だ!」と叫ぶ。
果たして坂を上りきったところに見覚えのあるXX社があった。
住所と完全に違うので運転手は完全にあきれ返っていたが無理もないと思う。
よく見れば工場には看板も出ていないではないか。
金型があった
ようやくの思いで工場に着き、これから奇襲を敢行せんというわけであるのだが深謀遠慮が必要だ。
なにせ某Pとどういう話をしている工場なのかがわからないので、単に金型を返せというのでは向こうが警戒する。
不穏な雰囲気を微塵も感じさせては奇襲は失敗となるので、終始にこやかとして何食わぬ顔で工場に入るのである。
呼び出しベルを鳴らすと中から若いワーカーが顔を出したので声をかける
「やあ、また来たよ。ラオバンはいるかい?」
「今おらんのです」
「じゃあ、現場でいちばんえらいひとを呼んできてくれるかな?」
「なら、職長を呼んできますから中で待っててください」
やがて初老の職長が現れた。
直接話をしたことはないのだが以前訪問したときに顔を覚えていてくれたと見えて、やあお久しぶりですと挨拶を交わす。
「実は今日急な用件があって朝から(大ウソ、実は昼から)ずっとラオバンの携帯に電話してるのだけど一向に出てこないんで、常平から直接飛んできたんだよ(これも大ウソ)。ラオバンに連絡は取れるかい?」
職長はおもむろに携帯電話を取り出しボタンを押して「どうぞ直接話してくれていいですよ」と渡す。
「やあXX先生お久しぶりですねえ。実は明日日本の本社のラオバンが常平のY社に出張に来て、例の金型をぜひ見たいとこう仰るのだよ。今度の修正点についても変更が出るかもしれないし、控えている量産数にも増減があるかもしれないからね(このメーカーから金型ごとオーダーを引き上げるのだからウソは言っていない)。メンドウで申し訳ないけど今日金型持って帰っていいかねえ?」
「うーん、じゃあいいでしょう。何か不都合な点があったら直しますから連絡くださいよ」
というわけで、ラオバンの許可が出たので職長は安心して射出成型機から金型を外し出すのである。
「念のために中割って見せてもらえんかねえ?」
職長は怪訝な顔をするが、もともと型の修正を依頼していたこともあり、ワーカーの兄ちゃんを呼んで二人して金型をバラしだす。
何せ一組100kgもある鉄の塊なのだから、中を見せてくれといってもタイヤキの型を見るのとは訳が違う。
二人が大汗をかいて割ってくれた型の中を点検するのだが、ここで不信感を与えてはならない。
「うーむ、ここんところはピンの動きがどうもシブいなあ・・・」などと敢えて日本語でブツクサつぶやきながら抜け目なくチェックしたところ、とりたてて異常はないことがわかった。
任務完了
「うむ、じゃあ持って帰るよ、ありがとう」
と言い、金型引取り証明に署名してから金型をタクシーのトランクに詰めてもらう。
何せひとつが100kgの鉄の塊を2セットも積むのだから、ひとつ積むたびにタクシーの車高が目に見えて下がる。
金型をはじめて見るタクシーの運転手は「ウワァー、重そうだ!」と無邪気な声を上げる。
その間、数日後にXX社のラオバンが血相を変えて電話をかけてくるであろうなと思い、どういうスッとぼけた言い訳をしようかなと考える。
最後まで終始一貫にこやかな雰囲気の中タクシーに乗り込み、工場を出た瞬間どっと疲れがあふれると共に、「ワレ奇襲ニ成功セリ」という旨のSMSを常平のC社に送り、ひと仕事おわった。
うまくいくとアドレナリンのおかげかいろんな疲れも感じないものだが、やっぱり疲れていたのか常平までの帰途はほとんど寝ていたようだ。
【追記とあとがき】
中国で製造関係の仕事をされていた方ならば、金型に関するトラブルは結構ポピュラーな話題なのではないかと思う。
金型はプラスチック成型工場の片隅で無造作に床に置いて保管されているのをよく見かけたが、実は簡単なものでも数十万円、ちょっとしたものなら数百万円、大がかりなものならば家が一軒建つほどのコストがかかる。
新規製品の立ち上げでイニシャルコストの大半を占めるのがこの金型代で、これを償却できるほど売れるかどうかが勝敗を大きく左右するのだけれども、工場でサビサビになって転がされているものにそれほどの影響力があるのかということに初めは戸惑いを感じたものだ。
金型は人力ではまず扱えないほど重量があって扱いが厄介なので、簡単に持ち運んで製造委託先の向上に貸し出して、生産が終わったら回収するということがやりにくい。
ために、たいていはリピート生産を見越して外注先に預けっぱなしにしておくことが多いのだが、その工場が倒産すると自社の資産である金型が失われてしまい、突然リピート生産ができなくなったりすることがある。
また自分の会社が倒産してしまうと、顧客から金型代を頂いて作った金型は当然顧客の資産なのだが、未払い代金が山のように積もっている外注先にとっては売掛金を回収するための大事な人質でもあるので容易に返還に応じることは少なく、不条理な話ではあるが顧客は改めてその外注先にカネを払わないと金型を回収することはできず、ここにいろんなドラマが展開されることになるのである。
このように金型は中国駐在員にとって、「金型系ドラマ」というジャンルを作るほどができるくらい、厄介で大変なものだったように記憶している。
ところで当時は外注のメーカーまでたどりつくこと自体が冒険のようなものになることがあり、中国の地図はいい加減である上に名刺の住所がもっといい加減(移転する前の住所を平気で使う等)なので、基本的には訪問先から迎えを呼んで赴くことが一般的だった。
ところが私はメーカーに対して借りはなるべく作らない主義で、訪問前に可能な限り地理情報を頭に叩き込み、初めて行く場合は経路で印象的に見えたものをなるべく記憶するようにし、自力で訪問するようにしていた。
大学で地理を専攻していたことがいかんなく発揮されたのだが、この時は1回目に訪問した時に某Pと運転手が広東語で会話をしていて、工場近くのランドマークと思しき地名を広東語で発音していたことが幸いなことに頭に印象として残っていた。
「大世界酒店」は広東語でダーイサイガイザウディーン、「交通警察」はガウトンギンチャーといった具合だ。
そのために記憶をもとにたどり着くことができた次第。
何事もよく観察し印象的なことは覚えておくと、時にはこうして役に立つもんだ。