快楽の回数の大きさだけが本当に幸せなのか?

快楽至上主義こそ最高だ!
一生で何回幸せなことがあったかが、
その人の幸せ度を図る材料になる!
果たして本当にそうだろうか?

NARUTOで言うところ無限月読のような世界が幸せなのだろうか?

世の中の幸せを
快楽至上主義が本当なら麻薬常習者、
バーチャルリアリティの環境、
カルト宗教などの仮想空間での
異常的な幸せが本当の幸せになってしまう。

確かに現世では自分のキャラクター、
己自身の変更は出来ない為に、

腕を無くしたり、
怪我をしたら取り返しがつかない。
他にも資本主義の現代、
人口に対してのお金持ちなどの総量は決まっているはずなのに
世の中大多数の人がどうやれば
お金持ちになれるか?
FIRE、早期退職をして楽に生きられるか?
を常に考えてる
確かに世の中には苦行が沢山あり、どうしようもないほどの格差がある。
フワちゃん、ヒカキンなどめちゃくちゃ楽しそうに仕事をしてたり、遅刻をしょっちゅうするやつなどに憤りを感じたりもする。

別に全員が今の世の中を楽しむ必要はないが、
仮想空間での異常的な幸せよりも、

この世に幸せを感じられる人は一緒に楽しむのもありなのではないか?

例えば、
ポケモンで言うならコイキングだけで
ポケモンリーグチャンピオンになる
縛りプレイをしてるかの様な感覚で生きてみたりするのもありなのかな?