「グラデーションの美しさ」はどこにあるだろうか 日々風呂日記#22
最近空ばかり撮っている。
今は上を向いていたいのかもしれない。
晴れた日には夕方になると、とても綺麗な夕日のグラデーションが広がる。
この景色は好きだ。
でもそれはなんでだろう。
多様性
昨今は多様性の時代だ。なんて言われたりする。
昔はおおよそのことが二項対立的にカテゴライズされていたけれど、その対立的な二項はどんどん崩れて、多様な価値観がそれぞれ存在している。
人間⇔神
男性⇔女性
なんて、わかりやすくあった二項対立も、ジェンダーレスで性差は多様化し、「神」は金という「紙」に代わったりして、そもそも対立という舞台から降りていたりする。
グラデーションの美しさ
そんな中で、ぼくは、どちらにも属さないそれぞれの選択肢の美しさ、だけでなくそれが無数にその二項の間に存在している状態それ自体の豊かさに興味がある。
それは、対立する二つがあって、その互いに対する憧れから、お互いに向かって行くこと。
でもどんなに憧れたって、その相手にはなれないから、余計に憧れは深まって行くこと。
その現象自体になんだか美しさがあるんじゃないか。
それがグラデーションの美しいではないか。なんて。
建築の内と外
建築にだって、どうしようもない「内」と「外」という二項対立がある。
でも、例えば昨今内と外が連続して、なんて空間の指向はあるけれど、
極論言ったら、それならそもそも内と外作らなければいい、建築なんてなくていい。ってなってしまう時もある。
でも、それは違う。というか、そうじゃない、内と外ができるからできる世界もある。と思う。
内と外があるから、その間に無限にそのどちらでもない世界が広がる。
それはとてもコスモロジックな広がりだ。
そんな豊かな、「二項の間の無限」そのものがある空間なんてできるだろうか。
今日ののぼせ具合
今日ののぼせ具合は80%
寝不足が続いているけれど、上を向いて頑張らなくては。
それで今日はこの辺で。
おやすみなさい。
最近寒いけれど、寒い方が空は乾いて綺麗だ。