夢の舞台へ駆け上がれ
7月初旬、年に数回しか動かない家族LINEのグループで高3の弟が「なんとかメンバーに入りました」と一言呟いた。忙しい毎日であまり気に留めてやれていなかった。弟が高校球児だということを思い出した。それに対して親が「おめでとう。残り少し、思いっきり楽しんでね」と。このやり取りを見て、昔観た「ひゃくはち」という高校野球を題材にした映画で主人公の親友が高校最後の大会でメンバーに入れず、寮の電話で親にそれを伝えた後に1人泣き崩れるシーンを思い出した。
スポーツになじみの無い人はイメージが湧かないかもしれないが、チームスポーツの選手は実力順に大きく3つに分けられる。まずレギュラー(基本的に試合に出る選手。野球だと9人で、高校野球だと背番号が1桁の人。)次に補欠(控え選手。高校野球だと背番号が10~20番の人。ピッチャーが2枚看板のチームは10番とか11番の人は実質レギュラーだったりするけど。)このレギュラーと補欠を合わせた20人がメンバー。そしてこの20人に入れなかったベンチ外の選手がいる。彼らには試合に出る権利すら与えられない。よって部員が20人を超える学校は必然的にベンチにすら入れない子が出てくる。もちろん実力順に選ばれるので、3年生が特別に優遇されることは無い。強豪校であれば特に。弟の高校のメンバーは3年生が12〜13人、残りが1・2年生で構成されていた。皆同じように血の滲むような努力をし、娯楽も制限され、きつい練習に耐えて3年間を過ごすのに、高校最後の大会でグラウンドから遠いスタンドで応援に徹するしかない子がいるということだ。この他に男の子でもマネージャーや記録員としてベンチ入りできる人が1人か2人いるが、その子たちは「選手」という選択肢をそれぞれの色んな葛藤があったうえで諦めてベンチに入っている。
レギュラーになるかならないかは大きい。あんま言っちゃいけないかもしれないけど、弟の中学時代のチームメイトが行った隣の県の甲子園常連校でレギュラー当落線上の子の中で「100万円でレギュラーを買う」っていう話が本当にあったらしい。あんま言っちゃいけないかもしれないけど。親が「仮に自分が億万長者だったとしても出さない。自分の息子のポジションと、レギュラーを買った子のポジションが同じだったらと思うと胸が痛い。」って言ってた。なんかそういう次元の話じゃ無い気がするけど。
そこまでしてしまうような親が存在するのは「甲子園に出たあの〇〇高校のレギュラー」だからという理由でドラフト候補になりやすかったり、良い大学のスポーツ推薦が来たり、有名な社会人野球チームから声が掛かったりするからだそう。子への愛情の伝え方は人それぞれ。
でもレギュラー争いが出来ているならまだ幸せで、そもそも20人のメンバーに入れるか入れないかが一番大きい。弟は野球をするためだけに県外の高校へ入学し、寮生活をしていた。弟の高校の野球部は全寮制の強豪校。プロ野球選手も輩出している。全国各地からセレクションや特待生のスカウトを受けて部員が集まってくる。いわゆる野球留学というやつ。各学年20〜30人ほどで全部員数80人前後。普通に恐ろしいことが行われている。若干15歳の子供がほぼ野球をするためだけに親元を離れるのだ。弟の最後の大会の20人のメンバーには、弟も含めて高校の所在地の県出身の子が1人もいなかった。仮に甲子園に出場できたとして、その県の代表と言えるのかって感じだが。試合の時に選手1人1人の出身中学を〇〇市立とかまで言わずに「〇〇中」ってアナウンスされてたのちょっとおもろかった。誰が分かるんだよ。
夏の甲子園予選となる大会が開幕。大会はトーナメント戦で行われる。一度負けたら彼らの夏は終わることになる。流石に全試合チェックした。仕事をそう簡単には休めないので、直接足を運ぶのはシード校との対戦が始まる試合からにした。そこまでは下馬評通り勝ち上がり、休みを取って球場へ足を運んだ。入場料¥800を払い、バックネット裏へ。地方の野球場なので、たまに観に行くプロ野球の球場と比べると小さいはずだがとても大きく見えた。芝が青く綺麗で、奥に山々が連なって見える美しい球場だった。シートノックが始まり、弟の名前と僕の出身中学がアナウンスされる。背番号は2桁だったけど、強豪校での熾烈な競走の中でメンバーに入っているのは兄として誇らしかった。選手皆とても良い笑顔をしていた。11:00試合開始。けたたましいサイレンが鳴る。それまで曇っていた空がプレイボールとともに一気に晴れた。ミットにボールが収まる音、主審のストライクのコール、ブラスバンドのアフリカン・シンフォニー、金属バットの打球音。それらの音を耳にするだけで気持ちが昂った。対戦相手は甲子園に過去何度も出場している名門校。序盤からこんなにもか、というほどの投手戦が繰り広げられた。8回まで0-0と互いに譲らない。ただ正直なことを言うと、点差は無いがやや押されているように見えた。1点に大きな価値のあるゲーム展開だったため、終始観客をハラハラさせる試合だった。無死満塁、二三塁といった絶対絶命のピンチを何度も作られたがすべて無失点で凌ぎきった。
エースピッチャーは仲間の野手がミスをしてピンチを作られてしまっても「気にするな、俺がなんとかする」と言わんばかりに笑顔で仲間の尻を叩き、そのピンチを1段階ギアを上げたストレートでねじ伏せる。そして何事も無かったかのように淡々とマウンドを降りてベンチに戻っていく。カッコ良すぎた。誰も何かを他人のせいにしようとする奴はいなかった。当たり前のことかもしれないけど、それを目に見えるぐらいに言動に移していることに本当に感動した。
そして9回の攻防へと向かう。9回表、弟の高校の攻撃。ついに試合が動く。クリーンナップの2人が続けて長打を放ち1点を先制。タイムリーを放った子が大きな大きなガッツポーズをする。スタンドが、とてつもない沸き方をする。応援団の太鼓とブラスバンドの音がその日1番大きくなる。僕も大きく心を震わされた。1-0で9回裏へ。1回戦からマウンドに上がり続けるエースが完封を目指し再びマウンドに上がる。相手の先頭バッターにヒットを許してしまうが、ここまで何度もピンチを潜り抜けている。大丈夫だと祈りながらその後を見守った。相手もここで負けるわけにはいかない。先頭バッターを堅実に2度送り、二死三塁とチャンスを作る。だが、こちらもあとアウト1つで勝利。バッターを2ナッシングと追い込む。僕も手が痺れるぐらい拳を握りしめた。
バッテリーは3球勝負を選択。ただ非情にも打球はしぶとくライト前へ運ばれる。1-1の同点。土壇場で追いつかれてしまう。打ったバッターは先ほどと同じぐらい大きくガッツポーズ。その後もランナーを溜められ二死満塁。打たれればサヨナラ負け。
センター前に打球が抜ける。
試合終了。
相手チームの選手が満面の笑顔で試合終了の整列を始める。こちらの選手もうなだれて立てない選手が何人もいた。彼らの夏が終わった。誰もがそう思った。しかし、ここで異変が起きる。センターとセカンドの子が審判に何やら猛アピールしていた。1塁ランナーが2塁を踏んでいないと言うのだ。この場面では各ランナーに進塁義務があり、次の塁を踏まなければ得点が認められない。相手チームの1塁ランナーは打球が外野に抜けた瞬間に次の塁を踏まないままチームの喜びの輪に入ってしまっていたのだ。結果このアピールが認められ、3アウトチェンジとなり延長戦へ。相手チームの保護者たちの怒号が飛び交う異様な雰囲気だったがルールはルール。セカンドとセンターの子も、諦めずに良く見ていた。観客の僕は抜けた瞬間に天を仰いでしまった。最後の最後まで諦めないというのはこういうことだ。
延長10回から選手交代で弟がセンターの守備についた。守備につく時、全校応援で来ていたサッカー部の奴らにデカい声でイジられてて、太ももを自分で叩く変な動きをしてスタンドから笑いを取っていた。お前そんなキャラじゃなかっただろ。捨てんなよプライド。ただ、とても楽しそうでちょっと羨ましかった。
センターの定位置に着いた弟はバックスクリーンに向かって1礼した後に、しゃがんで右手を地面につけていた。肘のケガから復帰した時の桑田真澄みたいに。何日か後にイジってやったけど、その時は笑えなかった。
10回は両チーム無得点。そして11回の表。9回にタイムリーを放った子がもう一度打って2点リード。11回裏の守りへ。しかし、エースは今日ここまで160球を投じていた。プロでも100球が交代の目安。もう限界に近かったのだろう、逆にここまで球威があまり落ちていなかったのが不思議なくらいだ。すぐに2点リードを追いつかれ、最後はフォアボールで押し出し。今日2度目のサヨナラ負け。彼らの勝ちをこの目で見たかった。どうにか彼らを勝たせてあげたかった。入場料¥800というのがあり得ないくらい価値のある物を見せてもらった。今の僕は¥800分の仕事でこんなにも人に感動を与えられるだろうか。
試合後、球場の外で弟から声をかけられた。「勝ちを見せられなくてごめんなさい」と言われた。いくらなんでもこれには涙が溢れた。そして年始に帰省した時に買ってやった木製バットを見せてもらった。大事に使ってくれていたのが一目で分かった。バットは全体的に汚れているけど芯に付いているメーカーのマークだけはピカピカだった、そこだけは傷つけたくなくて常に反対側の芯でバッティングをしていたらしい。
現役中は炭酸ジュースが禁止されていたらしく、負けて悔しくも引退が決まってしまったのでみんなが行列を作って炭酸ジュースを買って盛り上がっていた。それを見てこの時代に現金しか使えない球場の白い自販機で弟に三ツ矢サイダーを買ってやった。僕も一緒に飲んだ。あれ映像にしてたら爆売れ確定なので誰かCMください。とても暑い日だったのですごく美味しかった。弟はきっともっと美味しかったんだろう。